↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/23

六.暗転

「……ッ、どうして、刺繍は白金だと命じたでしょう! 何なの、この下品な黄色は……!」

「申し訳ございません、公主(こうしゅ)様……!」


 怯えた顔の侍女が平伏し、蓮瓔(れんよう)はくしゃくしゃに丸めた衣を彼女の足元に投げつける。まだ年若いその侍女は、ビクリと大きく肩を揺らした。本番の観月宴(かんげつえん)まで、もうそれほど日数がない。蓮瓔は肩を怒らせ、侍女たちを(にら)みつけた。

 駆け付けた筆頭侍女の瑾萱(きんけん)が、青ざめた表情で蓮瓔を振り仰ぐ。彼女は恐る恐るといった様子で、口を開いた。


「公主様、申し訳ございません。急ぎ司衣労(しいろう)に、衣装の作り直しを命じます。髪飾りや宝石も厳重に鍵をかけ、保管を……」

「当たり前でしょう!」


 蓮瓔の金切り声に、侍女たちは一斉に全身を強ばらせる。その様子がますます蓮瓔を苛立たせ、彼女は再び声を荒らげた。


「……出て行って! 一人にして!」


 肩を震わせる蓮瓔を何度か振り返りながらも、瑾萱は侍女たちを連れて部屋を出ていく。

 広い私室に一人きりとなった蓮瓔は、ずるずるとその場に崩れ落ちた。


(どうして……)


 初めは、些細(ささい)な行き違いだった。


 観月宴の演目は毎年、月の女神・嫦娥(じょうが)を主題とした「奔月(ほんげつ)」と決まっている。女神が月に帰る様子を表した優美な振りと、広寒宮(こうかんきゅう)に響く調べを思わせる優雅な音楽が特徴の、幻想的な伝統舞だ。


 蓮瓔は司技労を通じて、宮城(きゅうじょう)抱えの楽団に打ち合わせに参加するよう要請したが、指定した時間に彼らは現れなかった。後日になって、楽団の長は「誤った日時を伝えられていた」と真っ青な顔で謝罪してきたが、蓮瓔は苦い思いを隠しきれずにいた。


 それでも、その時はまだ、肩を(すく)めてみせる程度でいられたのだ。


 だが、その後も、小さな騒動は続いた。

 今回のために新たに作らせた衣装は、寸法がまるで合わなかった。身に付けるはずだった(かんざし)は先が潰され飾りの宝石が砕け、耳飾りは片方がひび割れていた。扇子は持ち手が折られ、靴は肥桶(こえおけ)に隠されていた。


(それでも、この程度ならまだ、耐えられた──)


 些細な嫌がらせ程度であれば、受け流すことは出来た。後宮に、こうした悪意はつきものだ。蓮瓔は必死に奥歯を噛み締めつつ、狼狽(うろた)える侍女に対処を命じた。

 それでなくとも先日から、不自然に琴の弦が切れたり、酒がすり替えられたりと、不審な嫌がらせが続いていた。「今更この程度、(おび)えることもないわ」と、蓮瓔は不安がる侍女たちを(なだ)めてさえいたのだ。



 そんな蓮瓔の強がりを嘲笑うように、悪意はやがて、害意へと姿を変えていった。



 仮縫いまで進んだ衣装に袖を通したところ、毒虫が袖口から飛び出してきた。夜、屋外で練習をしていたところ、風もないのに篝火(かがりび)が倒れ、危うく火災になりかけた。気を落ち着かせようと香を()けば、夾竹桃(きょうちくとう)(おぼ)しき枝が仕込まれていたこともある。

 どれもこれも、刃物で襲いかかられたり食事に毒を盛られたりするような、明確な殺意を向けられたわけではない。けれども、避け損ねたり、気付かなければ、蓮瓔は間違いなく死んでいた。

 その恐怖は確実に、蓮瓔の心身を(むしば)んでいった。彼女は日に日に顔色を悪くし、周囲に当たり散らす場面も増えていた。


(誰なの……? なぜ、(わたくし)を……。どうしよう、観月宴までもう二旬(にじゅん)もないのに……)


 一人きりの部屋で、蓮瓔(れんよう)は地に膝をつき、頭を抱える。


 もしこのまま為す術もなく、観月宴で失態を演じてしまったら。


(──きっと、お父様に見捨てられてしまう。お母様にもまた、「情けない娘だ」と(さげす)まれて……)




 (みじ)めだった。恐ろしかった。

 誇り高き皇長女が、このような陰湿な嫌がらせに屈するなど、あってはならない。全て悠然(ゆうぜん)と跳ね返し、完璧な姿で人前に立たなければならない。

 それなのに。


 思わず蓮瓔が涙を零しかけた、その時だった。




 ──カタン。




 扉の向こうで(かす)かな足音が響いたのを、過敏になっていた蓮瓔の耳は聞き逃さなかった。彼女は弾かれたように立ち上がり、飛びつく勢いで扉を開ける。


「──誰っ!」

「ひっ……」


 彼女の凄まじい剣幕に、扉の向こうの人物はたじろいで身体の均衡を崩した。無様に地面に尻もちをついた、小柄なその女の襟首を、蓮瓔は容赦なく掴み上げ──





「……ここで何をしているの、昭瑛(しょうえい)





 地を這うように低い声で、そう呟いた。

 恐る恐る顔を上げたのは、憎たらしいほどに整った顔立ちの義妹、昭瑛だ。彼女は怯えたように蓮瓔を見上げ、たどたどしく答えた。


「あ、あの……。部屋で書を読んでいたら、大きなお声が聞こえて……。な、何かあったのかと……」


 父によく似た三白眼気味の瞳に上目で見つめられ、瞬間、蓮瓔の怒りは沸騰した。


「……私がうるさいと、そう言いたいわけ?」

「違います……っ、(わたし)はただ、」

「何が違うのよ!」


 絶叫した蓮瓔は、掴んだままの昭瑛の襟首を振りほどいた。華奢(きゃしゃ)な身体は呆気なく、地に叩き付けられる。小さな悲鳴を上げる彼女に、蓮瓔の胸中で憤怒の炎が瞬く間に噴き上がった。


「全部、全部あんたがやったんでしょう! 父皇(ちちうえ)様を私に取られるとでも思った!? さすが、あの朱 玲穎(めぎつね)の娘だわ!」


 蓮瓔は床に転がったままの昭瑛の身体に馬乗りになり、あらん限りの罵声を浴びせ続けた。無抵抗な彼女の髪を掴み、頬を張り、硬直した身体を激しく揺さぶる。昭瑛はされるがまま、要領を得ない反論を繰り返すだけ。


 冷静になれば、ろくな後ろ盾を持たないこの義妹が、後宮で何か事を起こせるはずもないと、すぐに分かったはずだった。全て自分で仕組んだとして、小柄な彼女が、篝火を引き倒せたはずがないことも。


 けれど、あまりにも時機よく現れた義妹に(みじ)めな姿を見られた恥辱と、生命を狙われているかも知れない恐怖、思うように準備が進まない苛立ちが、蓮瓔を暴走させた。自分の発する言葉に煽られ、彼女の怒りは膨れ上がっていく。


 自分で自分を止めることなど、不可能だった。そんな蓮瓔を現実に引き戻したのは、焦ったように割り込んできた男性の声だった。



「──蓮瓔(れんよう)公主(こうしゅ)!」



 力強い手のひらに両肩を掴まれ、蓮瓔はハッと息を飲んだ。ぎこちなく振り返った彼女の顔を、婚約者の世璋(せいしょう)が険しい目で覗き込む。


「落ち着いてください。一体、どうなさったのです」

()公子(こうし)……」


 呆然と呟き、壊れたように震える蓮瓔の身体を支え、世璋は彼女を立ち上がらせた。彼に続いて部屋に入って来ていた筆頭侍女の瑾萱(きんけん)が、恐る恐る昭瑛(しょうえい)を抱き起こす。

 髪を乱し、両頬を腫らした義妹の姿に、蓮瓔は息を詰めて目を逸らした。瑾萱は他の侍女に昭瑛を任せ、蓮瓔の元に歩み寄ってきた。震える声で、蓮瓔は瑾萱に問う。


「どう、して……、李公子が」

「……面会のお約束の時間でしたので、客間にいらしていたのです。物音を聞かれ、驚かれて……」


 気まずそうに答えた瑾萱が、そのまま言葉を濁すように(うつむ)く。

 蓮瓔の醜態は、客間にまで響き渡るほどのものだったのだ。ならば当然、母の耳にも届いているだろう。


(何を言われるのだろう。──お父様だって、可愛がっている昭瑛に手を出した(わたくし)を、許してくださらない……)


 じわりと涙が(にじ)みかけ、蓮瓔は両手を懸命に握り込んで耐えた。


 (おび)えたように遠巻きにこちらを見る侍女たち。険しい顔の婚約者。ボロボロになった義妹。

 蓮瓔は全身を震わせ、叫んでいた。



「──放っておいて。一人にして。誰も、近付かないで!」



 肩にかかったままの婚約者の両手を振りほどき、蓮瓔は自室に向かって駆け出す。


「蓮瓔公主! 待ってくれ、話を」


 焦ったような世璋の声が、耳鳴りでわんわんと歪んで聞こえた。視界がぐるぐると回る。義妹の頬を打った手のひらが、焼けるように痛い。



(嫌、もう、嫌──)



 自室の扉を後ろ手に閉め、蓮瓔はその場に(うずくま)った。夏の終わりがけの生ぬるい風が、窓の隙間から忍び込み、蓮瓔の(かんざし)をシャラシャラと揺らす。

 宝玉の擦れ合う、場違いなほどに綺麗に澄んだその音に、やがて蓮瓔の(すす)り泣きが混ざり始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。