十七.夜明けの足音に耳をすませば
駆け付けた医官の処置により、崇義は一命を取り留めた。
意識を取り戻した夜、蓮瓔の証言を受けた玄以鋭が短時間の聴取を行ったところ、彼は素直に罪を認めたそうだ。この後は医官の治療を受けながら、一人、獄舎にて過ごすことになる。それは生かすためではなく、罪人として全ての罪を認めさせ、正しく死なせるためだった。
蓮瓔はその話を、皇帝の居所である清寧殿で、父から直接聞かされていた。その私室には、側仕えの宦官たちの姿すらない。
正面の豪奢な椅子に腰掛けた父を、蓮瓔は疲れた表情で窺う。父も、同席している実兄の白晟も、同じような顔つきをしていた。
父は深々と溜め息を零し、右手で半顔を覆う。
「生命を狙われたお前たちには、全てを知る権利があろう。……他言は無用だ」
そう重々しく前置いた父は、長い悪夢のような真実を語り始めた。
崇義が凶行に及ぶ契機となったのは、蓮瓔の婚約が結ばれたことだったという。
身体が弱く、一生を央廷で過ごすことになるだろう義兄は、自分の目も手も届かない場所で蓮瓔が幸福になることを、許せなかった。
「どうして……」
何度、この言葉を口にしただろう。蓮瓔は苦い思いを持て余しながら、ぽつりと呟く。
父帝は目元を指で揉みほぐしながら、苦い声で返した。
「『役立たずの穀潰し、せめて皇女として生まれていれば』。……あれは、余の目の届かぬところで、そう言われ続けて育ったそうだ」
白晟と蓮瓔は目を瞠る。驚きからではない、「やはり」という諦念からだった。
(崇義お義兄様……)
側妃の産んだ第一皇子は、難しい立場にあった。
蘇 直謙の第一子である皇子。このまま、後に皇后となることが確約されていた魯氏が男児を生まなければ、第一皇子たる彼が玉座の後継になる。生まれつき身体が弱いのが懸念点だが、乳児の頃は体調を崩すのが仕事。そのうち良くなるだろうと、周囲は楽観していた。
だが、二年後に魯氏が産んだのは、頑健な男児だった。
その瞬間、変わらず病がちだった崇義は、「皇太子になれるかもしれない皇子」から、「養育に手間のかかる面倒な皇子」になってしまった。
たとえ病弱であっても、何の栄達も見込めぬ皇子より、政略結婚の駒となり得る皇女の方が使い道もあったのに──。周囲の無責任な声は、幼い皇子を傷付け続けた。母の藩氏は息子を慈しんだが、その傷を癒すには至らなかった。
そして三年後には、魯氏のもとに皇長女・蓮瓔が産まれた。彼女もまた病知らずな上に、幼い頃から利発で、人々は彼女を賛美し続けた。彼女は健康な身体、周囲の期待と愛情──崇義の望む全てを持っていた。
『ずっと、羨ましかった。妬ましかった。……それなのに』
崇義は泣きそうな声で、そう呟いたという。
蓮瓔はそんな義兄の胸の内を想像し、目を伏せた。
(それなのに、私は……。父母の関心を引けないからと不貞腐れ、幼い義妹を妬み、自分の不遇ばかりを訴え続けた……)
蓮瓔の零す愚痴を、崇義はどんな思いで聞いていたのだろう。
俯いて唇を噛んだ蓮瓔の背を、隣に座っていた白晟が、大きな手のひらでそっと叩く。
兄のこうした不器用な優しさにも気付かず、理想の兄像を演じてくれる義兄のことだけを、自分は追い掛け続けた。
父は子どもたちの様子を静かに見守っていたが、やがて遠くに目を遣りながら言葉を続けた。
「──后妃は毎朝、央廷の母太后のもとに、揃って挨拶に訪れる。崇義はその様をよく、離れから眺めていたらしい。……忍妃であった姚氏が皇后に向ける目を見て、『自分と同じだ』と気付いていたそうだ。崇義は密かに彼女と文をやり取りを始め、今回の計画を立てた」
二人にとって、蓮瓔は自分が手に入れられなかったものの象徴だった。その憎い相手が、自分たちの手の届かぬ場所に行ってしまう。互いの思惑は一致した。
そして、皇后への鬱憤を晴らすため、魯氏が溺愛する白晟をも傷付けたいと望む姚氏のために、崇義は蓮瓔の筆頭侍女だった江 瑾萱も誘惑し、利用した。
(瑾萱……)
蓮瓔は顔を歪めて、拳を震わせた。
頻繁に崇義を訪ねる蓮瓔の供を務める侍女が、義兄を密かに慕っていることには薄々勘付いていた。
だが、その思いはいつの間に、家を破滅させる大罪に手を貸すほどの熱量に育っていたのだろう。そして最後には、獄中で命を絶たれた。
彼女に毒を渡したのは、姚氏付きの首席宦官だった。心酔する主に危険が及ばないよう、刀に塗り付けた神経毒の残りを飲ませたそうだ。
項垂れる蓮瓔を横目に見ながら、白晟が父に静かな声で問う。
「……義兄上と姚氏は、どうなりますか」
父は冷たく目を細め、答えた。
「罪が確定し次第、極刑に処される。……白帛か毒酒のどちらかが差し入れられるかどうかは、二人の態度次第だな」
衆目の中、三日三晩苦しみ抜いて死ぬ極刑は、酸鼻を極める。その前に恩情が与えられることを、蓮瓔は祈らずには居られなかった。
父は小さく溜め息を零し、蓮瓔に向き直った。
「……皇太子のみに話がある。そなたは下がれ」
藩、姚、江。朝堂の重鎮の血縁者が起こした事件により、政治の世界は大いに荒れるだろう。蓮瓔は素直に頷き、席を立った。
そんな彼女を呼び止め、父が鋭さを帯びた声音で告げた。
「──蓮瓔。此度の件で、よく分かったはずだ。自分が見えているものだけを見るのではなく、その奥に潜む真意を見抜け。……これは、その手助けとなろう」
そう言って懐から取り出したいくつかの紙束を、蓮瓔に差し出した。中身は想像もつかなかったが、彼女はその場に跪き、黙ってそれを受け取る。そうして、かつて筆頭侍女が絶賛した優美な仕草で礼をした後、蓮瓔は静かな足取りで部屋を出た。




