図鑑「オリハ」項
日本。
寝室。布団に横たわりながら、結衣は、昼間、リアルタイムでタモンビーチの海を、兄と体が一体になって泳ぐ体験をした、そのレコードを、繰り返し楽しんだのだった。
一通り満足すると、バーチャル図鑑を開く。とたん、イメージが浮き上がり、解説が流れ始めた。音声モデルはまたもや兄だ。
『製品(未使用品)は通常、見分けがつかないほど透明な、ボール形態をとる』
『オリハ。
一言でいうと、インテリジェント・コーティング端末だ。
これ一つで何でもできる。貴方が考えてること以上のことが、実現可能だ。
使い方は簡単。まず、新品を、素肌に当てよう。次に、“スタート”とか、“起動”とか、“展開”とか、とにかくそれらしい“概念”を声に出す。あるいは強く念じる。とたんオリハは“目覚めて”、瞬時に貴方の全身を柔らかくコーティングするだろう。あとは勝手に脳波を学習し、意思を理解。望むことを実行してくれるようになる。
エネルギはオリハ自身が内蔵している。コーティングしっぱなしで、およそ1年で寿命だ。気化して消滅する。だから、半年ごとに追加補充して、寿命による機能停止に備えるのが普通。だって、空に浮かんでるときに“切れ”ちゃったら大変だろ? そういうことだ』
『コーティングのその被膜の厚さは約0.01mm。これが標準サイズだ。
さて。身長170cm、体重50kgの人がいたとして、その体表面は1.57m2ほどと言われている。これに0.01mmを掛けると、オリハの最低必要量が分かる。
15.7cc。イメージで例えると、それは直径、約31mmの球になる』
『さらに、“毛”のことも忘れないでほしい。
産毛、無駄毛は最悪なくなっても問題ないとして、髪の毛、それと眉毛、睫毛は大事だろう?
人の髪の毛の本数は、10万本ほどと言われている。で、毛の平均長さを5cmとしたら、10万本のその総表面積は、ほぼ、体表面と同じになるんだ。
31mm球を二つ足したら、約39mmの球になる。
ピンポン玉を思い浮かべてほしい。あれは直径40mm。イメージできたかな? それ一個で、ようやくまともに全身コーティングできるということだ。このサイズだったら、お値段にして、1万エン程度で購入できるよ』
『誤解されていると思うが、オリハは工業製品じゃない。
鉱物だ。いや、これもあやふやで、鉱物として取り扱っているってのが正確なところだ。今のところ、人類にはそうとしか解析できていないのだから。
石油や金などといった、高級地下資源と同列の存在。現時点では、そんな認識だ』
『製品オリハの密度は約1.9kg/m3である。とても軽い。空気が約1.3だから、その軽さが想像つくだろう。だから、体積を膨張させてやることによって、浮力で空に浮くことができる。
ではこの姿がオリハ・オリジナルなのかと問われれば、答は否だ。
オリハ原石なるものがある。見た目はカクカクした透明な岩石。文字どおり“宝石”だ。その密度は約7875。鉄の密度が7874だから、鉄と言っていいね。それが、本来の姿だ。
実際、語源である「オリハ・ルコン」は、部族の言葉で、「透明・鉄」という意味になる。彼女らにとっては鉄と同列の、神聖にして最高の資源だったのだろう』
『この原石からどうやって製品を作りだすのかというと、基本的には、人の手で二つに割るだけだ。割れるんだよ(笑)。
このとき、“オリハにな~れ”と念じつつ作業するのがコツだ。
すると、「同じ体積の物が二つ」できる。奇術みたいだが本当のことだ。つまり、「密度が1/2」になるということなのだ。
もう一度やると、結果、同じ物が四つできる。密度は1/4だ。わかるね?
で、この操作を12回繰り返すことによって、僕たちが馴染みのオリハと呼ばれる最終形態となる。いきなり柔らかくなって、形状が球に変わるからすぐに判別できる。密度は原石の1/4096。それが、1.9という数値の出どころだ。
別の言い方をすれば、39mm球の原石があったとして。その質量は約244gで、そのお値段は4096万円だということだ。小さな原石一個発見するだけで金持ちになれるということ、理解いただけるだろう。
ちなみに。最終形態から更に分割することはできる。だけど密度はこれ以上変わらない。つまり、体積の方が普通に1/2になる、ということだな』
『コーティング端末として利用できるのは、最終形態の製品と、原石だけだ。中間製品は発動しない。たやすく想像できると思うが、原石コーティングの方が、製品コーティングよりも4096倍強い。まぁ、強さの定義によるけどね』
『世界に流通しているのはむろん、製品の方だけだよ。ほぼ百パーセントだ。原石は、持ち主が決して手放さないからね。今では探せば世界中で見つかるようになったけど、そんなのはちょびっとだ』
『世界最大の産出国はブラジル……の、アマゾンの奥地の、今では“アトランティス”という“国名”で有名になってしまった、あの一帯だ』
『コトは百年前。アマゾン開発を進めていたブラジルが、偶然、未開だった先住民族の住処を壊してしまうという悲劇から始まった。
正確には住居の出入り口だな。彼女らの巣は、地下千メートルのところにあったのだから。
そこは女尊男卑の世界。一人の女王を中心とした、一大王国を築いていたんだ。
なんにしろ、怒った彼女らが、まるで軍隊蟻のように報復を開始。結果、ブラジル正規軍と衝突することになってしまった。
最初、すぐにも撃退、鎮圧できると誰もが考えていた。だってイメージしてほしい。彼女らは裸族。いかにも原始的だったのだから。得物だって貧相だ。
ところが事実は逆。
銃弾を雨あられと浴びせても、ミサイルを打ちこんでも、電撃を与えても、毒ガスで包んでも、彼女らは平気でやってくる。
貧弱なはずの武器が戦車を打ち壊し、素手素足が防壁を粒子分解させる。合金鋼の塊を引きちぎる。
水の中を歩き、煮えたぎった鉄の湯の中を泳いでくる。空を飛んでくる。
まるで怪獣映画だね。みごとにパニックさ! 総崩れ。
そして、彼女らが当時のコンピュータの、ネットワークに遭遇した瞬間だ。彼女らの勝利が、つまりは全世界の敗北が、その一瞬で確定したというわけ。
旧来の常識的世界は、変革されてしまったんだ』
『後に、彼女らのマジックの素がオリハルコンだと判明してからは。それからはもう言葉遊びで、彼女らの支配地域がアトランティスと呼ばれるようになり。
戦士であった彼女らは、“アイアン・ウーマン”と呼称されることになったというわけだ。
オリハは貴重な資源として取引が行われるようになり。
利権争いの結果、世界各国の男どもとの交配が進み。今日では、かつての民族原形をとどめていない、とのことだ』
『世界の人口100億人として、一人一年で2個消費するとしたら、全体では一年で200億個必要になる。39mm球原石で換算すれば、1/4096だから、およそ488万3000個だ。
ところで、アメリカ合衆国の面積は983万4000km2である。これを、0.01mm厚さで、原石質にてコーティングする(笑)としたら、39mm球原石が、3兆1325億個ほど入用になる。
逆に言えば、地球のどこかに、“そんなに薄くて広い原石鉱脈”があったとすれば、全人類を64万1500年ほど賄える、という計算になる。
仮にそんな鉱脈がホントに存在するとしたら――
まぁ、仮定の話。夢物語さ』
「――……」
結衣はすでに、ドリームリアルの世界に沈み込んでいる。




