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商栄スターズ

 練習を終えて家へ戻ると、父は店先で空き瓶を仕分けていた。


「どうだった」


 僕がグラブを持っていたから、何のことか聞き返す必要はなかった。


「思ってたより動けた」


「お前が?」


「全員」


 父は空き瓶をケースへ入れながら、短くうなずいた。


「そうか」


 それ以上は聞かなかった。


 僕も詳しく話さず、店の奥を通って二階へ上がった。


 シャワーを浴びて着替える。


 身体には久しぶりに長く動いたあとの疲れが残っていた。肩ではなく、腰や太腿のあたりが重い。


 ベッドへ腰を下ろし、スマートフォンを開く。


 全体練習用に作ったグループチャットには、すでに今日の写真が何枚か送られていた。


 元四番が打つ瞬間。


 肉屋が空振りした直後。


 金髪の遊撃手が、カメラへ向かって手を振っている写真。


 いつ撮ったのか、僕がマウンドから軽く投げている姿もあった。


『肉屋さんの打球やばかった』


『俺の三塁打も撮れよ』


『三塁打じゃなくて三塁線への打球な』


『試合なら三塁打だった』


『守備いるから無理』


 今日初めて会った人間もいるのに、会話だけを見れば前から同じチームだったようだった。


 僕は参加者の一覧を開く。


 仮参加を含め、人数は増えている。


 後輩も引き受けた。


 試合をするための形は見えてきた。


 ただ、大会へ登録するには決めなければならないことが、まだいくつも残っている。


 僕はグループチャットへ書き込んだ。


『チーム名どうする?』


 送ってから間もなく、元四番から返信が来た。


『相方ファンクラブ』


 僕はすぐに返す。


『却下』


 元四番はまったくひるまない。


『何でだよ。一番知名度あるぞ』


『本人がチームにいない』


『優勝したら会えるんだから、活動目的として正しい』


『俺たちがあいつに会いたがってるみたいになるだろ』


『違うの?』


 違う、と打ちかけてやめた。


 優勝チームと戦うプロ選抜に、あいつは参加する予定だと言っていた。


 そこまで勝ち上がれたら、もう一度同じグラウンドに立てる。


 考えなかったわけではない。


 けれど、それをチーム名にするほど素直にはなれなかった。


 続いて、遊撃手から案が届いた。


『元県ベスト4』


『弱そうだからやめろ』


『事実だろ』


『二年前の実績を名前にするな』


『二十歳と愉快なおじさんたち』


『おじさん誰だよ』


 すぐに肉屋が割り込んでくる。


『肉屋と愉快な仲間たち』


『却下です』


『何でだ。覚えやすいだろ』


『四番も俺だから問題ない』


『まだ四番じゃないです』


 元四番の返事が、珍しく少しだけ丁寧だった。


 僕はそこで会話を切り替える。


『今日の夕方、ヤマギシ集合』


 しばらくして、布団屋から返事が来た。


『名前決めるためだけに集まるの?』


『登録に必要なんです』


『多数決でいいんじゃない』


『肉屋と愉快な仲間たちが勝ったら困るので』


 その直後、肉屋がまた送りつけてくる。


『更に一票入ってるぞ』


『誰ですか』


『四番の俺と代打の俺』


『いつの間に二人になったんですか』


『一人一票です』


 送信したあと、少しだけ口元が緩んだ。


 チーム名を決めるだけで、どうして全員で集まる必要があるのかは分からない。


 グループチャットで決まらないものが、顔を合わせたからといって決まるとも思えなかった。


 それでも、嫌ではなかった。


 今日グラウンドで聞いた声が、まだ耳の奥に残っている。


 僕は立ち上がり、階段を降りた。


「少し出てくる」


 父は帳簿から顔を上げる。


「どこへ」


「ヤマギシ」


「またか」


「チーム名を決める」


 父の視線が、わずかに止まった。


「そうか」


 何か言いたそうに見えたが、父はそのまま帳簿へ目を戻した。


 僕は店を出る。


 昼に見たときよりも傾いた日差しが、商店街の通りを長く照らしていた。


 喫茶ヤマギシへ着いたとき、店の奥ではすでに元四番と遊撃手が席を取っていた。


 四人掛けのテーブルを二つつなげ、中央にメニューと灰皿代わりの小皿が寄せられている。


「遅い」


 元四番が言った。


「集合時間の五分前だけど」


「主催者は早く来るものだろ」


「主催した覚えはない」


「今日の夕方、ヤマギシ集合」


 遊撃手がスマートフォンを見ながら読み上げる。


「命令形だったよ」


「登録に必要だから」


「そうやって全部、自分がやってないことにしようとするよね」


 遊撃手は楽しそうに笑った。


 昼間より少しだけ照明を落とした店内で、金色の髪だけが妙に目立っている。


「その頭、店の雰囲気に合わないな」


「むしろ映えてるでしょ」


「悪目立ちって言うんだよ」


「嫉妬?」


「何にだ」


 元四番が眉を寄せる。


 僕が空いている席へ座ると、山岸さんが水を持ってきた。


「今日はずいぶん賑やかだね」


「チーム名を決めに来ました」


「聞いているよ」


 山岸さんは僕の前へ水を置きながら、口元を緩める。


「名前を決めるだけで、何人集まるのかな」


「今のところ三人です」


「じゃあ、多数決ならもうできる」


「まともな案がないんです」


「相方ファンクラブ」


 元四番が言う。


「元県ベスト四」


 遊撃手が続ける。


 山岸さんは二人の顔を順番に見た。


「確かに、まともな案がないね」


「即答しなくてもいいでしょう」


「考える時間が必要な案だったかい?」


 元四番が不満そうに水を飲む。


 扉のベルが鳴り、肉屋が入ってきた。


 仕事を終えたばかりなのか、濃色のシャツの上に白い前掛けを着けたままだった。


「俺の案で決まったか?」


「却下されたままです」


「まだ全員揃ってないだろ」


「揃っても増えませんよ」


「俺は二票ある」


「一人一票です」


「堅いなあ」


 肉屋は大きな身体を椅子へ押し込むように座った。


 少し遅れて布団屋が現れる。


 今日も白いシャツにベージュの薄い上着を羽織り、眠たげな目で店内を見回した。


「本当に集まったんですね」


「仮参加の人も来るんですね」


「名前だけ勝手に決められるのは困りますから」


「仮参加なのに?」


「仮参加だからです」


 最後に後輩が店へ入ってきた。


 クラブチームの練習帰りらしく、深緑のパーカーに黒いリュックを背負っている。


「遅れてすみません」


「まだ何も決まってないから大丈夫」


 僕が言うと、元四番が口を挟む。


「相方ファンクラブで決まりかけてた」


「決まってません」


 後輩は真顔で返した。


「後輩、俺にだけ厳しくない?」


「先輩が変なことを言うからです」


「俺も先輩なんだけどな」


 元四番が肩を落とす。


 全員が席へつくと、山岸さんが人数分のコーヒーを運んできた。


「頼んでない人もいると思うけど」


「また再会料ですか」


「今日は会議室代だよ」


「高くないですか」


「まだ値段は言ってない」


 山岸さんは笑いながらカウンターへ戻った。


 テーブルの上へ、遊撃手がスマートフォンを置く。


「じゃあ、案を出そうか」


「もう出しただろ」


 元四番が言う。


「却下された案は、案として残らない」


「厳しいな」


「じゃあ、肉屋さん」


「肉屋と愉快な仲間たち」


「次」


「早いぞ」


 布団屋がコーヒーへ口をつける。


「商店街の名前を入れるのはどうです?」


「商栄商店街野球部?」


 後輩が言う。


「部活みたいだな」


 元四番が首を振る。


「商栄ベースボールクラブ」


 遊撃手が続ける。


「普通すぎる」


「普通でいいだろ」


「せっかくなら、もっと強そうな名前がいい」


 肉屋が胸を張る。


「商栄ビッグミート」


「肉屋さんしか関係ないです」


「強そうだぞ」


「食肉加工会社みたい」


 遊撃手が笑う。


「じゃあ、商栄ゴールデンズ」


「お前の髪から取っただろ」


「分かりやすいでしょ」


「一人だけだ」


「お前も染めればいい」


「嫌だよ」


「似合いそうなのに」


「話を戻せ」


 案は出るたびに消えていった。


 商栄ナイン。


 商栄クラブ。


 商栄ホークス。


 商栄フェニックス。


 どれも悪くはない。


 けれど、誰もこれだとは言わなかった。


「名前なんて、登録できれば何でもいいんじゃないですか」


 後輩が言う。


「珍しく雑だな」


「大事なのは試合なので」


「その通りなんだけど、ユニフォームにも入るぞ」


 元四番が答える。


「相方ファンクラブって胸に書いてあったら嫌だろ」


「それは嫌です」


「即答かよ」


 会話がまた同じところへ戻る。


 山岸さんはカウンターの向こうで、僕たちのやり取りを聞いていた。


 ときどき笑っているが、口を挟もうとはしない。


 僕は店内を見回した。


 昼に元相方と座った窓際の席。


 色の落ちた木の壁。


 その上に掛けられた、古い集合写真。


 若い頃の父に似た男が、端のほうに立っている。


「山岸さん」


 僕が呼ぶと、新聞を読んでいた山岸さんが顔を上げた。


「何だい」


「あの写真、何ですか」


 山岸さんの視線が壁へ移る。


「ああ」


 それだけ言うと、新聞を畳んだ。


「君はちゃんと見たことがなかったか」


「父が写ってますよね」


「よく分かったね。今よりずいぶん細いのに」


「眉が同じです」


「そこは変わらないな」


 山岸さんはカウンターの外へ出る。


 壁から写真を外し、僕たちのテーブルへ持ってきた。


 近くで見ると、ガラスの内側には細かい埃が入り込んでいる。


 写真も黄ばんでいた。


 前列に五人。


 後列に六人。


 揃いのユニフォームを着た男たちが、商店街の入口らしい場所に並んでいる。


 後列の端に父がいた。


 今より髪が長く、身体も細い。


 それでも、腕を組んで立つ姿は今と変わらなかった。


「これ、父さんですよね」


「そうだよ」


「山岸さんは?」


「ここ」


 山岸さんが前列の中央を指す。


 丸眼鏡はかけていない。


 髪も黒く、顔も今より細い。


 けれど、少しだけ目を細めた笑い方は同じだった。


「全然違う」


「君のお父さんよりは面影があると思うけどね」


 写真の中には、ほかにも見覚えのある顔がいくつかあった。


 肉屋の父親らしい大柄な男。


 布団屋の店先で昔見かけた老人によく似た人物。


 名前までは分からない人も多い。


「商店街の人たちですか」


 後輩が聞く。


「昔のね」


 山岸さんは写真を置き、店の奥へ入っていった。


「何かあるんですか」


「さてね」


 返事だけが聞こえる。


 しばらくして、山岸さんは古い段ボール箱を抱えて戻ってきた。


 テーブルの横へ置き、中から布を取り出す。


 白地に、濃い緑の縁取り。


 胸の文字はところどころ剥がれ、布地も黄ばんでいた。


 それでも、書かれている名前は読めた。


 商栄スターズ。


「スターズ」


 遊撃手が声に出す。


「普通にいいじゃん」


「昔のチーム名ですか」


 僕が聞く。


「そうだよ」


 山岸さんはユニフォームを広げた。


 背中には大きな番号が入っている。


「商店街の若い連中を集めて作った。二十年以上前になるかな」


「父さんも野球をやってたのは知ってました」


「チームのことは聞いてない?」


「草野球を少しやってたとしか」


「少し、ねえ」


 山岸さんは楽しそうに笑った。


「君のお父さんは、負けると三日は機嫌が悪かったよ」


「今と変わらないじゃないですか」


「今は一日で済むだろう」


「十分長いです」


 肉屋が写真をのぞき込む。


「これ、うちの親父だな」


「そうだよ。君より足は速かった」


「俺のほうが飛ばしただろ」


「それはどうかな」


「今度聞いとく」


 布団屋も写真へ顔を寄せる。


「うちの祖父もいますね」


「よく分かったね」


「立ち方が同じなので」


 写真の中の男は、端のほうで少し眠そうに立っていた。


 確かに布団屋と似ている。


「昔のチームを復活させろってことですか」


 元四番が聞く。


 山岸さんは首を横に振った。


「そんなことは言っていないよ」


「でも、これを出したのは」


「名前が決まらないようだったから、昔こういうチームがあったと教えただけだ」


 山岸さんはユニフォームの皺を伸ばす。


「使うかどうかは、君たちが決めればいい」


「勝手に使っていいんですか」


 後輩が尋ねる。


「もう活動していないからね。文句を言う人間もいないだろう」


「父さんたちは?」


「聞けば嫌とは言わないと思うよ」


「言わないだけで、喜びもしない顔しそう」


 僕が言うと、山岸さんは声を立てずに笑った。


「よく分かってるじゃないか」


 テーブルの上に、古い写真とユニフォームが並んでいる。


 僕は父の姿を見た。


 今の僕と同じくらいの年齢だったのかもしれない。


 何のために野球をしていたのか。


 どんな試合をして、どうしてやめたのか。


 何も知らない。


 名前を受け継いだからといって、父たちの続きをすることにはならない。


 昔のチームを、そのまま復元するわけでもない。


 写真の中にいる人間と、今ここにいる人間は違う。


 それでも。


 同じ商店街で暮らす人間が集まり、同じ名前で野球をする。


 それくらいなら、悪くないと思った。


「僕は、これでいいと思う」


 口にすると、全員の視線がこちらへ集まった。


「商栄スターズ?」


 元四番が聞く。


「ああ」


「相方ファンクラブより?」


「比べるまでもない」


「そこまで言う?」


 遊撃手が写真とユニフォームを交互に見る。


「俺もいいと思う。ちゃんとチームっぽいし」


「スターズなら、俺が一番星だな」


 肉屋が言う。


「それは打順で決めます」


「夢がないな」


「僕も賛成です」


 後輩が続く。


 布団屋は少しだけ首を傾けた。


「昔の名前を借りるんじゃなくて、正式に受け継ぐ形ですか」


「違いある?」


 元四番が聞く。


「借り物だと思って使うのと、自分たちの名前にするのでは、少し違うでしょう」


 布団屋は僕を見る。


「どちらです?」


 僕はもう一度、写真の中の父を見る。


 昔の商栄スターズがどんなチームだったのかは知らない。


 その歴史まで背負うつもりもなかった。


 ただ、これから登録用紙に書き、ユニフォームの胸へ入れるなら、借り物のままではいたくない。


「自分たちの名前にする」


 僕は答えた。


「昔の続きをするわけじゃない。でも、名前は受け継ぐ」


 布団屋は眠たげな目を少し細めた。


「なら、僕も賛成です」


「全員賛成か」


 元四番が周囲を見る。


 肉屋が手を上げる。


 後輩も続く。


 遊撃手は両手を上げた。


「一人一票だぞ」


「賛成の気持ちが二倍」


「肉屋さんと同じことするな」


 僕が言うと、肉屋が大きくうなずく。


「こいつ、分かってるな」


「変なところで仲間になるなよ」


 元四番が笑う。


 山岸さんは、僕たちの前に広げた古いユニフォームを見下ろしていた。


 その表情は穏やかだったが、いつもの茶目っ気は少しだけ薄れていた。


「では、決まりだね」


 山岸さんが言う。


「新しい商栄スターズ」


 その呼び方を聞いた瞬間、ただの名前だった言葉が、少しだけ形を持った。


 投手は僕。


 捕手は後輩。


 元四番と遊撃手、高校時代の仲間たち。


 肉屋と布団屋。


 まだ監督も、守備位置も、背番号も決まっていない。


 それでも、僕たちには初めて同じ名前がついた。


 商栄スターズ。


 写真の中のチームとは違う。


 今ここにいる僕たちのチームだった。

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