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登録する名前

 チーム名が決まると、今度は本当に大会へ申し込まなければならなくなった。


 山岸さんが店の奥からノートパソコンを持ってくる。


 使い込まれた銀色の本体をテーブルへ置き、電源を入れた。


「店のですか」


「一応、帳簿にも使っているよ」


「一応?」


「最近は動画を見る時間のほうが長い」


「何を見るんですか」


「若い頃の野球」


「昔の試合が残ってるんですか」


「いや。海外の名勝負」


「思ってたよりちゃんとしてる」


 元四番が言うと、山岸さんは丸眼鏡の位置を直した。


「何だと思っていたんだい」


「猫の動画とか」


「それも見る」


「見るんだ」


 大会の申し込みページを開き、チーム名の欄へ入力する。


 商栄スターズ。


 文字が画面へ表示される。


 さっき全員で決めた名前なのに、登録欄へ入ると急に正式なものに見えた。


「代表者は?」


 山岸さんが聞く。


 全員が僕を見る。


「何で」


「言い出しっぺだから」


 元四番が答える。


「主将もお前だろ」


「決めてない」


「じゃあ今決める?」


「勝手に進めるなよ」


 布団屋が大会規則をスマートフォンで確認しながら口を挟む。


「代表者と監督は、別でもいいみたいですよ」


「監督が必要なのか」


 肉屋が聞く。


「必須ではないです。ただ、試合中にベンチへ入る責任者は登録しないといけません」


「こいつでいいだろ」


「先発投手が、試合中に運営との確認までやるんですか」


「じゃあ四番の俺が」


「まだ四番ではありません」


 僕と後輩の声が重なった。


 肉屋が隣で笑う。


「人気ないな、お前」


「そっちには言われたくない」


 山岸さんは僕たちの会話を聞きながら、大会規則を上から順番に読んでいた。


 さっきまで古いユニフォームを懐かしそうに見ていた顔とは違う。


 丸眼鏡の奥の目が、細かい文字を追っている。


「私でよければ引き受けようか」


 しばらくして、山岸さんが言った。


「何をですか」


「監督兼責任者」


 元四番が身を乗り出す。


「山岸さん、野球分かるんですか」


「失礼だね。君が生まれる前からやっていたよ」


「でも、昔の草野球ですよね」


「今日二本打ったくらいで、ずいぶん偉くなったものだ」


「見てたんですか」


「動画が送られてきた」


 全員の視線が遊撃手へ向く。


 遊撃手は何も悪びれず、コーヒーを飲んだ。


「商店街の共有グループに」


「何で送るんだよ」


「盛り上がるかと思って」


「肉屋さんの空振りも?」


「もちろん」


「お前、次は絶対に飛ばすからな」


「俺じゃなくて球を飛ばして」


 山岸さんが咳払いする。


「監督といっても、昔のやり方を押しつけるつもりはないよ」


 テーブルの上に置かれた古い写真へ視線を落とす。


「今の野球は君たちのほうが知っている。私は登録と、試合中に誰かが止めなければならないときだけ口を出す」


「誰かって?」


 元四番が聞く。


 山岸さんは僕を見た。


「心当たりがあるだろう」


 僕は答えなかった。


 後輩だけは、小さくうなずいていた。


「お願いします」


 僕が言うと、山岸さんは穏やかに笑った。


「承りました」


「急に店員みたいですね」


「一応、店員だからね」


 代表者の欄には僕の名前を入れ、監督兼責任者には山岸さんを登録することになった。


 仮エントリーの段階では、参加予定人数と代表者、チーム名があればよかった。


 必要な項目を入力し、確認画面へ進む。


 最後に送信ボタンが表示される。


「押せ」


 元四番が言う。


「何で命令するんだよ」


「こういうのは言い出しっぺの仕事だろ」


「失敗しても戻れるんですよね」


 後輩が山岸さんへ確認する。


「仮登録だから、締切までは変更できる」


「なら大丈夫です」


「何で僕が失敗する前提なんだよ」


 僕は送信ボタンを押した。


 画面に、申し込みを受け付けたという文字が表示される。


 大きな音が鳴るわけでもない。


 紙吹雪が舞うわけでもない。


 それでも、その瞬間から商栄スターズは大会へ参加するチームになった。


「これで逃げられないな」


 元四番が言う。


「仮登録です」


 布団屋が訂正する。


「まだ逃げ道を残すのか」


「事実を言っただけです」


「本登録も今やろう」


「メンバーが確定してません」


「分かってるよ」


 そう言いながら、元四番は少し残念そうだった。


 その日から、登録に必要な項目を一つずつ決めていった。


 参加する同級生へ改めて日程を確認する。


 仕事の都合で全試合には出られない者。


 初戦だけなら確実に参加できる者。


 大会期間中、出張と重なる可能性がある者。


 全員が毎回そろうわけではなかった。


 それでも、正式登録に必要な人数は何とか集まった。


 次の練習後、僕たちは再び喫茶ヤマギシへ集まった。


 今度はチーム名ではなく、登録する守備位置と背番号を決めるためだった。


「俺、四番で三塁」


 元四番が最初に言う。


「打順は登録しません」


 後輩が答える。


「じゃあ三塁」


「それもまだ確定じゃないです」


「何なら決まってるんだよ」


「名前」


 遊撃手が言う。


「元四番」


「登録名じゃない」


「役割として定着してるよね」


「嫌な定着の仕方だな」


 登録上の主な守備位置を投手とするのは、僕一人になった。


 大会規則では、登録した守備位置以外へ入ることもできる。


 野手として登録された選手が、必要に応じて登板することも認められていた。


「予備の投手は必要ですよね」


 布団屋が言う。


 僕は参加者の一覧を見る。


「元四番、投げられる?」


「無理。高校のときから肩は強くない」


「潔いな」


「できないことをできるって言うほうが格好悪いだろ」


 肉屋が腕を上げる。


「俺は投げられるぞ」


「本当に?」


「始球式くらいなら」


「試合の話です」


「なら無理だ」


「同じじゃないですか」


 遊撃手がテーブルへ頬杖をついた。


「俺、草野球でたまに投げてるよ」


 全員がそちらを見る。


「聞いてない」


 元四番が言った。


「聞かれてないから」


「遊撃じゃないのか」


「基本はね。人数足りないときとか、投手が遅刻したときに」


「どのくらい投げられる?」


 僕が聞く。


「三回くらいなら。それ以上は知らない」


「球種は」


「真っすぐと、曲がるやつ」


「何で球種名を知らないんだよ」


「投げたら横に曲がるから」


 後輩が眼鏡を押し上げる。


「今度、ブルペンで見せてください」


「査定される?」


「緊急時に投げられるか確認します」


「厳しいなあ」


 遊撃手はそう言いながら、嫌そうではなかった。


 外野手の一人も、遠慮がちに手を上げた。


「俺も、一応なら」


「投げたことあるの?」


「草野球で二回くらい。大した球じゃないけど、ストライクは入る」


「それが一番大事かもしれませんね」


 布団屋が言う。


 本人は自信がなさそうだったが、試合を壊さずに投げられるなら十分だった。


 投手運用は、僕が中心。


 緊急時は遊撃手。


 その次に外野手。


 登録上は二人とも野手のままにする。


「投手三人いるなら安心だな」


 元四番が言う。


「三人ではないです」


 後輩が返す。


「中心は先輩一人です。二人は緊急時だけ」


「同じようなものだろ」


「違います」


 後輩の声が少し強くなる。


「先輩一人で全部投げる前提にもしたくないです。でも、最初から誰かが代わってくれると思って投げるのも違います」


 僕は後輩を見る。


 本人は真面目な顔で、登録用紙へ視線を落としていた。


「初戦は五回まで」


 山岸さんが言った。


 店内の空気が、わずかに止まる。


「何で五回なんですか」


 僕が聞く。


「二年ぶりに本格的な試合で投げるから」


「この前のブルペンは問題なかった」


「三十球だろう」


「少しずつ増やしてる」


「だから五回だ」


 山岸さんは穏やかな口調を崩さない。


「何があっても五回で交代するんですか」


「絶対とは言わない。ただし、基本はそこまで」


「球数が少なくても?」


「内容と身体の状態を見て決める」


「僕は投げられます」


 口にした直後、二年前の自分と同じことを言っている気がした。


 肩に異変があっても、大丈夫だと言った。


 まだ投げられると、自分で決めた。


 誰の言葉も聞かず、ベンチを見なかった。


「先輩」


 後輩が呼ぶ。


 強く止める声ではなかった。


 ただ、昨日交わした約束を思い出させるには十分だった。


 異常を隠さない。


 無理だと判断されたら止める。


 僕は登録用紙に書かれた自分の名前を見る。


 主な守備位置、投手。


 その横には、同じチームとして登録される人間たちの名前が並んでいる。


 一人で最後まで投げることだけが、責任ではない。


「分かりました」


 僕は言った。


「初戦は五回を目安にします」


「目安ね」


 山岸さんが笑う。


「完全には譲らないんだな」


「試合の流れもあるので」


「そのときは、私と後輩君で決めよう」


「僕の意見は?」


「聞くだけは聞くよ」


「信用ないな」


「二年間分です」


 後輩が言った。


 ブルペンで聞いた言葉と同じだった。


「もう少し短くならない?」


「これから減らしてください」


「どうやって」


「約束を守れば」


 元四番が笑いをこらえながら僕を見る。


「完全に捕手に管理されてるな」


「お前も打てなかったら管理されるぞ」


「誰に?」


「僕に」


「主将気取りかよ」


「誰もやらないから」


 言ってから、自分でも少し驚いた。


 元四番も目を丸くする。


「今、主将やるって言った?」


「言ってない」


「言ったようなものだろ」


「必要なことをやるだけ」


「それを主将って言うんだよ」


 遊撃手が楽しそうに笑った。


 僕は否定しようとしたが、山岸さんが先に登録用紙へ書き込んだ。


 主将。


 その欄に、僕の名前。


「勝手に」


「変更するかい?」


 山岸さんが聞く。


 全員の視線がこちらへ集まる。


 誰か代わってくれと言えば、元四番あたりが引き受けるかもしれない。


 それでも、僕は首を横に振った。


「それでいいです」


 山岸さんがうなずき、入力を続ける。


 代表者。


 主将。


 投手。


 一つずつ、自分の名前の横に役割が増えていく。


 二年前なら、全部を一人で背負わなければならないと思ったかもしれない。


 今は、その隣に捕手も、内野手も、外野手も、監督もいる。


 名前が並んでいるだけで、少し違って見えた。


 最後の項目を確認し、山岸さんが正式登録のボタンを押した。


「これで完了」


 画面に、登録済みの文字が表示される。


 仮ではない。


 商栄スターズという名前も、そこに参加する人間たちも、大会の名簿へ正式に加わった。


「次はユニフォームだな」


 元四番が言う。


「金かかるぞ」


 肉屋が腕を組む。


「胸に肉屋と入れるなら、俺が多めに出す」


「入りません」


「まだ間に合うだろ」


「正式登録、終わりました」


「チーム名の変更は?」


 布団屋が規則を確認する。


「締切まではできるみたいですね」


「調べなくていいです」


 僕が言うと、全員が笑った。


 画面の端には、エントリー締切までの残り日数が表示されている。


 時間は多くない。


 それでも、最初に元相方から大会を見せられたときにはなかったものが、いくつもそろっていた。


 仲間。


 捕手。


 監督。


 そして、商栄スターズという名前。


 残るのは、試合へ出る姿を作ることだった。

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