新しいユニフォーム
ユニフォームの話は、登録を終えた翌日には商店街中へ広がっていた。
誰が伝えたのかは、聞くまでもない。
昼の配達から戻ると、店先で父が封筒を数えていた。
「何それ」
「協賛金」
「誰の?」
「お前たちの」
父は封筒を一つ、作業台の上へ置く。
表には、八百屋の名前が書かれていた。
その下には、魚屋、米屋、クリーニング店。
どれも、商店街で見慣れた店の名前だった。
「頼んでないけど」
「山岸さんが話した」
「やっぱり」
「肉屋も回ってる」
「止めてよ」
「何でだ」
「大げさになるだろ」
父は封筒をそろえながら、僕を見る。
「大会に出るんだろ」
「出るけど」
「なら、ユニフォームはいる」
「自分たちで出すよ」
「出したいやつが出してるだけだ」
僕は封筒の束を見る。
一軒ごとの金額は大きくない。
それでも、いくつも重なれば、ユニフォームを用意する助けにはなる。
「返したほうがいいかな」
「返されたほうが困る」
「何で」
「応援する理由がなくなる」
父はそう言って、封筒を僕のほうへ押した。
「山岸さんに渡せ」
「父さんは?」
「何が」
「出したの」
「店の分は入ってる」
「いくら」
「人の金を聞くな」
「僕たちの金だろ」
「なら、大事に使え」
話はそこで終わった。
父は空のケースを持ち上げ、店の奥へ運んでいく。
僕は封筒の束を抱えたまま、その背中を見送った。
その日の夕方、喫茶ヤマギシには商店街の店主たちから集まった封筒が並んだ。
「思ったより集まりましたね」
後輩が言う。
「商店街の期待を背負うチームになったな」
元四番が胸を張る。
「まだ一試合もしてないけど」
遊撃手が返す。
「期待は早い者勝ちだ」
「勝つのは試合にして」
布団屋は封筒に書かれた店名と金額をノートへ記録していた。
「あとで収支は全員に共有します」
「そこまでしなくてもいいんじゃないか」
肉屋が言う。
「人から預かったお金ですよ」
「任せる」
「急に責任から逃げましたね」
「数字を見ると眠くなる」
「僕の台詞を取らないでください」
布団屋は眠たげな顔のまま、電卓を叩いた。
集まった金額だけでは、完全なオーダーユニフォームを人数分そろえるのは難しい。
そこで、既製品の白いユニフォームを基に、胸のロゴと背番号だけを入れることになった。
古い商栄スターズの色は、白と濃い緑。
胸の文字には少し角のある書体が使われていた。
「そのまま使う?」
遊撃手が古いユニフォームを持ち上げる。
「少し古くない?」
「昔のなんだから古いだろ」
元四番が言う。
「そうじゃなくて、今着たら昔の草野球チーム感が強い」
「昔の草野球チームだからな」
「俺たちは新しいほうでしょ」
遊撃手はスマートフォンへ古いロゴを写し、画面を拡大した。
「形は残して、線を少し細くしたら?」
「お前、そういうの分かるのか」
「見た目に関しては、そっちより分かる」
「髪を金色にした人間の意見を信用していいのか?」
「今の、全国の金髪を敵に回したよ」
山岸さんは二人のやり取りを聞きながら、昔のユニフォームを広げていた。
「好きに変えていいよ」
「残さなくていいんですか」
後輩が聞く。
「昔と同じものを作る必要はないだろう」
山岸さんは胸の文字を指でなぞる。
「名前が残れば十分だ」
最終的に、古い書体の輪郭を残しながら、少しだけ線を整理したロゴを使うことになった。
胸に商栄スターズ。
背中には名字と番号。
番号を決めるだけでも、また時間がかかった。
「四番」
元四番が言う。
「守備番号と背番号は関係ないですよ」
後輩が返す。
「知ってる。でも四番」
「肉屋さんも欲しがりますよ」
「早い者勝ちだ」
直後、肉屋からグループチャットに連絡が入った。
『背番号4は俺だから』
「何で分かったんだよ」
元四番が周囲を見回す。
遊撃手がスマートフォンを伏せた。
「偶然じゃない?」
「お前だろ」
「証拠ある?」
「顔が楽しそうなんだよ」
結局、四番は元四番が取った。
肉屋は不満を言いながらも、番号の見た目が大きいという理由で四十四番を選んだ。
「四が二つだから、実質四番二人分だ」
「そういう計算なんですか」
布団屋が聞く。
「打点も二倍だ」
「打席数は増えませんよ」
遊撃手は六番。
高校時代と同じだった。
「ショートだから?」
「見た目がいいから」
「理由が軽いな」
「一番は?」
元四番が僕を見る。
「まだ決めてない」
「投手なら十八でいいだろ」
「プロみたいで嫌だ」
「じゃあ十一」
「高校のときと同じじゃん」
「嫌なのか」
嫌というわけではなかった。
高校時代、僕が着ていた番号。
肩を痛めた最後の試合でも、背中にあった番号。
同じものをつけることに、少しだけ迷いがあった。
「別の番号でもいいんじゃないですか」
後輩が言う。
「何番がいい?」
「先輩が決めてください」
「じゃあ聞くなよ」
「変えるかどうかを聞いただけです」
僕は番号の一覧を見る。
空いている数字はいくつもある。
それでも最後には、十一を選んだ。
昔へ戻るためではない。
違う番号を選んだからといって、二年前が消えるわけでもない。
同じ十一を、今の自分が着ればいい。
後輩は二十二番を選んだ。
「二番じゃないの?」
元四番が聞く。
「空いてますけど、こっちがいいです」
「理由は?」
「高校のときに初めてもらった番号なので」
元相方の背番号ではなく、自分が最初に背負った番号。
それを聞いて、僕は何も言わなかった。
言う必要もなかった。
ユニフォームの発注を済ませてから数日後、父が店の奥で古い段ボール箱を開けていた。
「何してるの」
「探しもの」
「何の」
「これだ」
父は箱の底から、畳まれた白い布を取り出した。
黄ばみがあり、ところどころに薄い染みが残っている。
広げると、胸に見覚えのある文字があった。
商栄スターズ。
喫茶ヤマギシで見たものと同じ、古いユニフォームだった。
「父さんの?」
「ああ」
背中には父の名字と、背番号一が入っていた。
「一番だったんだ」
「空いてたからな」
「投手?」
「たまに」
「どこ守ってたの」
「外野」
「じゃあ何で一番」
「足が速かった」
「打順?」
「背番号の話だろ」
「そうだけど」
父はユニフォームを僕へ渡す。
僕と同じ名字が、今より濃く太い文字で縫いつけられていた。
「山岸さんは、父さんが負けると三日機嫌悪かったって」
「余計なことを」
「本当?」
「一日だ」
「山岸さんと同じこと言ってる」
父は眉を寄せる。
けれど、本気で怒ってはいなかった。
「これ、着る?」
「サイズ合わないだろ」
「そうじゃなくて。大会で」
「昔のだ」
「名前は同じだけど」
「お前たちのは新しく作るんだろ」
「ああ」
「なら、それを着ろ」
父は僕の手からユニフォームを取り、もう一度畳んだ。
「昔のものは、昔のままでいい」
拒絶しているようには聞こえなかった。
古いものを大事にしまいながら、新しいものを選んでいる。
そんな言い方だった。
発注から一週間後、新しいユニフォームが届いた。
段ボールを開けると、白い布地の上に濃い緑の文字が並んでいた。
古い商栄スターズと似ている。
けれど、同じではない。
元四番はすぐに袖を通し、店内の鏡の前で胸を張った。
「似合うな」
「自分で言います?」
後輩が聞く。
「言わなくても分かるけど、確認のために」
肉屋は自分の四十四番を広げる。
「小さくないか」
「一番大きいサイズです」
「洗ったら縮む?」
「今から心配するところですか」
布団屋は縫い目やロゴの位置を細かく確認していた。
遊撃手は胸の文字を指でなぞりながら、
「悪くないね」
と満足そうに言った。
僕も十一番のユニフォームを手に取る。
新品の布の匂いがした。
背中には自分の名字。
高校時代と同じ番号。
けれど、胸に入っている名前は違う。
家へ持ち帰り、父へ見せる。
父は作業台の向こうから、しばらく黙ってユニフォームを見た。
「どう」
「白は汚れるぞ」
「野球のユニフォームだから」
「ちゃんと洗え」
「そこ?」
父は胸のロゴへ視線を落とす。
古いものより線は細くなっている。
それでも、商栄スターズの文字は、父がしまい直したユニフォームと同じ場所にあった。
「悪くない」
父はそう言って、ユニフォームを僕へ返した。
そのまま仕事へ戻るのかと思ったが、空き瓶のケースへ手をかけたところで止まる。
「それ、商店街の連中にも見せてやれ」
「何で」
「金を出したんだ。何に変わったかくらい、見たいだろ」
「全員のところ回るの?」
「配達のついででいい」
父はケースを持ち上げる。
「写真でも撮って、山岸さんに送っとけ」
「父さんが送ればいいじゃん」
「俺のチームじゃない」
短く言って、店の奥へ運んでいく。
けれど、その背中は、昔のユニフォームを見つけたときより少しだけ軽く見えた。
翌日、僕は配達の途中で新しいユニフォームを持って商店街を回った。
八百屋は胸の文字を見て、昔より格好よくなったと言った。
魚屋は汚す前に写真を撮れと笑った。
クリーニング店には、泥汚れの落とし方を先に教えられた。
肉屋は四十四番のユニフォームをその場で着ようとして、前掛けを外す前に腕を通しかけた。
名前と番号の入った布を見せただけだった。
それでも、封筒に入っていた金が、ようやく一つの形になった気がした。
商栄スターズは、僕たちだけで作ったチームではなかった。
次の全体練習の日、僕たちは少し早く商店街へ集められた。
協賛してくれた店主たちが、新しいユニフォーム姿を写真に残したいと言ったらしい。
山岸さんは喫茶店から古い集合写真を持ち出した。
かつての商栄スターズが写った写真を背に、僕たちは同じ名前の入った新しいユニフォームで並ぶ。
写真の中の彼らと、今ここにいる僕たちは違う。
それでも、シャッターが切られた瞬間だけは、二つのチームが同じ商店街の中で重なって見えた。
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その後、大会の組み合わせが発表された。
全員が喫茶ヤマギシへ集まる時間はなかったため、山岸さんが対戦表をグループチャットへ送った。
商栄スターズの名前は、予選一回戦の端にあった。
その隣に書かれていたのは、
レッドホッパーズ。
『知ってる人いる?』
僕が送ると、外野手の一人から返事が来た。
『草野球で一回やったことある』
『強い?』
『派手ではないけど、全然ミスしない』
遊撃手も続く。
『俺も名前知ってる。長く同じメンバーでやってるとこ』
『強豪ってこと?』
元四番が聞く。
『草野球の大会ではよく上まで残ってる』
布団屋から、過去の大会結果が送られてきた。
優勝一回。
準優勝二回。
ほかの大会でも、早い段階で負けている年は少ない。
『思ったよりちゃんと強いですね』
後輩が書く。
『いいじゃん。倒しがいある』
元四番は変わらない。
『一回戦から楽な相手のほうがよかった』
肉屋が返す。
『弱気ですね』
『違う。俺は徐々に調子を上げるタイプだ』
『練習では最初の二球、空振りでしたもんね』
『あれは身体を呼んでた』
冗談が続く中、僕は対戦表を拡大した。
レッドホッパーズ。
有名な元選手がいるわけではない。
一人で試合を決めるような打者もいない。
それでも、長く同じメンバーで試合を続けてきたチームだった。
守備位置に迷わない。
誰がどこまで追うのかを知っている。
走者が出たとき、次に何をするかを共有している。
僕たちに最も足りないものを、相手は持っている。
『次の練習、実戦形式を増やそう』
僕はグループチャットへ送った。
後輩がすぐに返す。
『守備連携も確認したいです』
布団屋が続く。
『カット位置とサインプレーもですね』
『バント処理も』
遊撃手。
『打撃練習も多めで』
元四番。
『四番争いも』
肉屋。
『それは後回しです』
僕が返すと、二人から同時に不満のスタンプが届いた。
画面を見ながら、少しだけ笑った。
初戦だから勝てるわけではない。
高校時代の実績があるから、今も強いわけでもない。
僕たちはまだ、名前とユニフォームがそろったばかりのチームだった。
それでも、相手の名前を見た瞬間から、考えていることは一つだった。
どうすれば勝てるのか。
二年前まで、当たり前のように考えていたことだった。




