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 九回表。


 六番の右翼手が、打席へ向かった。


 三対二。


 あと一点。


 まずは、塁に出なければ始まらない。


 相手投手はマウンドに残っていた。


 八回まで投げている。


 それでも、表情はほとんど変わらない。


 初球。


 外角への真っすぐ。


 右翼手は見送った。


「ボール!」


 二球目。


 少し内へ入る。


 今度は振った。


 打球は三塁側へ切れる。


 ファウル。


 一ボール一ストライク。


 三球目は低めの変化球。


 バットが止まる。


「ボール!」


 相手投手が、一度ロジンへ触れた。


 四球目。


 真っすぐ。


 右翼手が振る。


 打球は後ろへ飛んだ。


 ファウル。


 二ボール二ストライク。


「粘れ!」


 肉屋の声が飛ぶ。


 右翼手は構え直した。


 五球目。


 外角低め。


 手を出さない。


「ボール!」


 三ボール二ストライク。


 相手投手が息を吐く。


 六球目。


 外角への真っすぐ。


 右翼手のバットが出た。


 逆らわずに打ち返す。


 打球は一、二塁間を抜けた。


「よし!」


 右翼手が一塁へ駆け込む。


 無死一塁。


 ベンチの声が一気に大きくなった。


 右翼手は拳を上げることもなく、すぐにリードを取る。


 まだ何も決まっていない。


 でも、最初の一人が出た。


 後輩が防具を外し、打席へ向かう。


 僕の横を通るとき、少しだけ立ち止まった。


「先輩」


「何?」


「先輩には回ると思うので、チャンス作っておきます」


「頼む」


 後輩はそれだけ言って、打席へ入った。


 相手投手が一塁を確認する。


 初球。


 内角への真っすぐ。


 後輩は振らない。


「ストライク!」


 二球目。


 外角への変化球。


 バットが出る。


 ファウル。


 二球で追い込まれた。


「また簡単に追い込まれたね」


 遊撃手が言う。


「そこからがしぶといだろ」


 元四番が返す。


 三球目。


 低めへ落ちる。


 後輩は見送った。


「ボール!」


 四球目。


 内角の真っすぐ。


 詰まりながらも、後ろへ飛ばす。


 ファウル。


 五球目。


 外へ逃げる変化球。


 これも見送った。


 二ボール二ストライク。


 相手投手が一度、帽子のつばへ触れた。


 後輩は打席を外さない。


 六球目。


 外角への真っすぐ。


 後輩が踏み込んだ。


 バットを短く出す。


 打球は右方向へ転がった。


 一塁手が横へ動く。


 二塁手も追う。


 その間を、打球が抜けた。


「行け!」


 一塁走者が二塁を回りかける。


 けれど、右翼手がすぐに前へ出ていた。


 三塁は狙えない。


 無死一、二塁。


 後輩が一塁へ着く。


 僕と目が合った。


 何も言わない。


 本当に、チャンスを作ってきた。


 八番の同期が打席へ向かう。


 山岸さんがベンチの前へ出た。


 右手で短くサインを送る。


 送りバント。


 同期がうなずいた。


 相手の一塁手と三塁手が前へ出る。


 初球。


 真っすぐ。


 同期がバットを寝かせた。


 少し強い。


 打球は一塁側へ転がった。


 一塁手が前へ出る。


 三塁を見る。


 間に合わない。


 二塁も難しい。


 一塁へ入った二塁手へ送った。


「アウト!」


 その間に、走者二人が進んだ。


 一死二、三塁。


 あと一つ、前へ進めれば追いつく。


 相手内野が前へ出た。


 三塁の右翼手が、ベースの上で息を整えている。


 二塁には後輩。


 そして。


 九番。


 僕だった。


「先輩!」


 二塁から後輩が声を飛ばす。


「お願いします!」


「分かってる」


 バットを持って、打席へ向かう。


 元四番が声をかけてきた。


「ここで一本打ったら、今までの分、半分くらい帳消しにしてやる」


「何の話だよ」


「お前の打撃」


「半分しか消えないのか」


「全部は無理だろ」


「何でもいいから一点取ってこい!」


 肉屋の声が重なる。


「それが一番難しいんですよ」


「口動かしてねえで行け!」


 僕は打席へ入った。


 一死二、三塁。


 ヒットじゃなくていい。


 外野へ運ぶ。


 前進守備の間を抜く。


 転がすなら、走者が還れる場所へ。


 必要なのは一本じゃない。


 一点だった。


 相手投手が僕を見る。


 銀髪の遊撃手も、いつもより前へ出ている。


 初球。


 真っすぐ。


 速い。


 振り遅れた。


「ストライク!」


 二球目。


 低めの変化球。


 見送る。


「ボール!」


 三球目。


 内角への真っすぐ。


 バットを出した。


 詰まった打球が後ろへ飛ぶ。


 ファウル。


 一ボール二ストライク。


 追い込まれた。


 でも、まだ終わっていない。


 四球目。


 外角へ落ちる変化球。


 バットが出かける。


 止めた。


「ボール!」


 二ボール二ストライク。


 五球目。


 高めの真っすぐ。


 見送る。


「ボール!」


 フルカウント。


 ベンチの声が大きくなる。


 三塁の右翼手が、少しだけリードを広げた。


 二塁の後輩も、僕を見ている。


 相手投手がボールを握り直す。


 六球目。


 外角への真っすぐ。


 踏み込んだ。


 今度は、捉えた。


 強い打球が一、二塁間へ飛ぶ。


「抜けろ!」


 ベンチから声が上がった。


 三塁走者がスタートを切りかける。


 相手一塁手が横へ飛んだ。


 伸ばしたグラブ。


 打球が、その中へ収まった。


 捕った。


 三塁走者が止まる。


 一塁手は倒れたままボールを握り、すぐに立ち上がった。


 僕は一塁へ走る。


 一塁手がベースを踏んだ。


「アウト!」


 二死二、三塁。


 僕は一塁を駆け抜けて、振り返った。


 抜けてもおかしくない打球だった。


 でも、相手が止めた。


「先輩!」


 二塁から後輩の声が飛ぶ。


「まだです!」


「ああ」


 僕は短く答えた。


 ベンチへ戻る。


 次の打者とすれ違った。


 遊撃手だった。


「惜しかったね」


「頼む」


「任せてよ」


 それだけ言って、遊撃手は打席へ向かった。


 二死二、三塁。


 一打で同点。


 抜ける場所によっては、二人とも還れる。


 僕たちは全員、ベンチの前へ出ていた。


 元四番も。


 肉屋も。


 布団屋も。


 同期も。


 後輩は二塁から、遊撃手を見ている。


 遊撃手が右打席へ入った。


 これまでなら、一度くらい銀髪の遊撃手を見ていたかもしれない。


 けれど、今は見なかった。


 相手投手だけを見る。


 誰が上かなんて、今は関係ない。


 打てば、追いつく。


 抜ければ、ひっくり返せる。


 それだけだった。


 遊撃手がバットを構える。


 相手投手がセットに入った。


 僕はベンチの前で、息を止めた。


 あと一つ。


 届けば、まだ終わらない。

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