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商店街の助っ人たち

 喫茶ヤマギシを出たあと、最初に向かったのは肉屋だった。


 商店街の中央にある、小さな精肉店。


 店先には揚げ物の匂いが漂い、ガラスケースの中にコロッケやメンチカツが並んでいる。


 昼前ということもあり、店の前には何人か客がいた。


 僕は少し離れたところで待った。


 白い前掛けを着けた肉屋が、奥からトレーを抱えて出てくる。


 短い黒髪。薄いひげ。大きな腹。


 ただ、太っているというより、全体が大きい。


 肩も胸も前腕も厚く、肉の塊を持ち上げる動作に迷いがない。


 僕を見つけると、目を細めた。


「珍しいな。今日は配達じゃないのか」


「さっきまで」


「酒ならまだあるぞ」


「今日は酒じゃない」


「金か?」


「何で僕が借りに来るんですか」


「貸すとは言ってない」


 肉屋は声を上げて笑った。


 客へ商品を渡し、代金を受け取る。


「ちょっと待ってろ。あと二人」


 僕は店先の端へ寄った。


 揚げたてのコロッケを買った小学生が、紙袋を抱えて走っていく。


 肉屋はその背中に、


「転ぶなよ!」


 と声をかけた。


 数分後、客が途切れる。


 肉屋は前掛けで手を拭きながら、店の外へ出てきた。


「で、何だ」


 僕は大会のページを見せた。


 肉屋は画面をのぞき込む。


 読み始めてすぐ、眉が上がった。


「硬式?」


「はい」


「お前が投げるのか」


「そのつもりです」


「出る」


 僕は画面から顔を上げた。


「まだ説明の途中です」


「出る」


「日程も言ってない」


「あとで聞く」


「登録条件も」


「読めば分かる」


「仕事は」


「店は逃げない」


 話が早すぎる。


「本当に大丈夫ですか」


「何が」


「硬式ですよ」


「だから面白いんだろ」


 肉屋は僕のスマートフォンを取り、もう一度大会概要を見る。


 画面を送る指が太く、文字がほとんど隠れていた。


「久しぶりだな、硬球」


「野球やってたんですか」


「聞いてなかったのか」


「草野球をやってたのは知ってます」


「高校までは硬式だ」


「どこ守ってたんですか」


「一塁と外野。あと四番」


「最後だけ守備位置じゃないです」


「一番大事だろ」


 肉屋は胸を張る。


「元四番も参加しますよ」


 僕が言うと、肉屋の目が細くなった。


「あの太眉か」


「多分、その人です」


「なら、四番は勝負だな」


「もう張り合うんですか」


「四番は一人だからな」


「まだ打順も決めてません」


「じゃあ今決めろ」


「決めません」


 肉屋は不満そうに唇を尖らせた。


 その顔が体格に似合わず、少し幼く見える。


「人数は足りてるのか」


「まだです」


「何人」


「試合をするだけでも、あと二人。登録を考えるともっと必要です」


「布団屋は?」


「これから聞きに行きます」


「あいつ、やるかな」


「野球経験あるんですよね」


「ある。見た目より動くぞ」


 肉屋は店の斜め向かいへ視線を向けた。


 何軒か先に、布団屋の看板が見える。


「ただ、面倒くさいぞ」


「そうなんですか」


「やる理由より、やらない理由を先に数える」


「参加してくれなさそうですね」


「いや」


 肉屋は笑った。


「面白いと思ったら、最後まで残る」


 店の奥から声がした。


「ちょっと、揚がったよ!」


「今行く!」


 肉屋は大声で返す。


 そして僕の肩を軽く叩いた。


 軽くのつもりだったのだろうが、身体が少し前へ押された。


「俺の分、入れとけ」


「まだ正式に出ると決めたわけじゃ」


「お前が投げるんだろ」


「はい」


「なら出る」


 肉屋はそれだけ言い、店へ戻っていった。


 僕はスマートフォンのメモに名前を加える。


 参加者、七人。


 返事を保留している同級生を含めれば、試合はできるかもしれない。


 それでも、怪我や仕事を考えると足りない。


 僕は商店街を少し歩き、布団屋の前で立ち止まった。


 店頭には敷布団や枕が並び、入口の脇に小さな立て看板が置かれている。


 営業中。


 そう書かれているのに、店の中は静かだった。


「すみません」


 声をかける。


 返事がない。


 もう一度呼ぼうとしたところで、奥から、


「起きてますよ」


 と声がした。


「寝てるとは言ってません」


「顔に出てました」


 布団屋がのれんをくぐって出てくる。


 白いシャツの上に、ベージュの軽いジャケット。


 黒に近い髪は少し長く、柔らかく癖がついている。


 眠たげな目をしているが、本当に眠いのかは分からない。


 口元には、いつもの薄い笑みがあった。


「珍しいですね。枕でも買います?」


「野球しませんか」


 布団屋の笑みがわずかに止まる。


「枕より大きい話が来ましたね」


 僕は大会のページを見せた。


 布団屋はすぐに受け取らず、僕の顔を見る。


「誰が言い出したんですか」


「元相方です」


「プロの?」


「はい」


「本人は出ない」


「現役プロは参加できません」


「なるほど」


 そこで初めてスマートフォンを受け取る。


 肉屋と違い、布団屋は最初から最後まで黙って読んだ。


 大会形式。


 登録人数。


 選手資格。


 試合日程。


 ユニフォーム規定。


 僕が説明する必要がないほど、細かい部分まで確認している。


「締切、二週間後ですね」


「はい」


「初戦まで一か月ちょっと」


「そうです」


「練習場所は」


「これから探します」


「監督は」


「まだいません」


「捕手は」


「頼みたい人がいます」


「返事は?」


「まだです」


「投手は」


「僕です」


 布団屋はそこで画面から目を上げた。


 眠たげだった目が、少しだけ細くなる。


「肩は大丈夫なんですか」


「治ってます」


「投げてる?」


「壁当てくらいです」


「試合形式では」


「二年、投げてません」


「なるほど」


 布団屋はスマートフォンを返した。


「かなり雑な計画ですね」


「分かってます」


「分かっていて進めてるんですか」


「今、人数を集めてます」


「それは進めているとは言わない気もしますけど」


 柔らかい口調なのに、言っていることは厳しい。


「高校の同級生が何人か。あと、肉屋さん」


「もう捕まったんですか」


「即答でした」


「でしょうね」


 布団屋は店の外へ目を向ける。


 肉屋の店から、揚げ物の匂いが流れてきていた。


「守備位置は?」


「まだ決めてません」


「高校時代のまま?」


「多分、みんなそのつもりです」


「二年前ですよね」


「はい」


「今も同じように動けるとは限りませんよ」


「分かってます」


「本当に?」


 少しだけ笑みが深くなる。


 試されている気がした。


「今の実力を見て決めます」


「元四番が四番じゃなくても?」


「打てなければ外します」


「肉屋さんが四番でも?」


「打てるなら」


「元四番さん、怒りません?」


「怒ったら、もっと打てばいい」


 布団屋は黙った。


 それから、小さく息を吐く。


「前より少し、話が通じるようになりましたね」


「前っていつですか」


「高校生の頃」


「そんなに話したことないでしょう」


「見てましたから」


 布団屋は店内へ戻り、カウンターの上に置かれていた手帳を開く。


 僕が頼む前に、大会日程を確認し始めた。


「店の都合がつかない日はあります」


「分かりました」


「全試合出られるとは約束できません」


「それでも大丈夫です」


「ポジションも保証しない」


「今の実力で決めます」


「勝てそうにないなら、途中でやめるかもしれません」


「それは困ります」


「冗談です」


 布団屋は顔を上げた。


 同じ半笑いのまま、僕を見る。


「まあ、面白そうではありますね」


「出てくれますか」


「練習を一度見てから」


「参加でいいですか」


「仮参加です」


「同じじゃないですか」


「違います。責任の重さが」


 布団屋は手帳に何かを書き込む。


「それと、大会規則は誰かがちゃんと読み込んだほうがいいですよ」


「お願いします」


「今、押しつけました?」


「一番読んでたので」


「そういうところは昔のままですね」


 口では文句を言いながら、断る様子はなかった。


 僕はメモに布団屋の名前を加えた。


 参加者、八人。


 まだ確定していない人間もいる。


 捕手も決まっていない。


 監督も、ユニフォームも、練習場所もない。


 それでも、最初に大会のページを見たときより、チームの形は少しだけ見えていた。

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