一度だけ
六回裏。
先頭は、二番打者だった。
一回には送りバント。
三回には、詰まりながらも走者を進めている。
自分が何をすればいいのかを、打席ごとに変えてくる打者だった。
後輩が外角低めへミットを置く。
初球。
真っすぐ。
「ストライク!」
二球目は、同じ高さから沈むチェンジアップ。
バットが途中まで出たが、止まった。
「ボール!」
三球目。
内角への真っすぐ。
詰まった打球が、一塁側へ切れる。
ファウル。
一ボール二ストライク。
追い込んだ。
そこから、二球粘られた。
低めのチェンジアップをファウル。
外角の真っすぐも、後ろへ飛ばされる。
六球目。
後輩が、一番遅いチェンジアップを要求した。
腕を緩めずに投げる。
打者は身体を前へ出されながら、バットの先で拾った。
打球は中堅方向へ転がる。
遊撃手が横へ動いた。
外野手も前へ出る。
二人の間を、打球が抜けた。
無死一塁。
「しぶといな」
遊撃手がボールを返しながら言った。
「ちゃんと崩したんだけどな」
僕が答える。
一塁走者は、大きなリードを取らなかった。
そして、三番打者がベンチから出てくる。
銀色の髪が、ヘルメットの下から覗いた。
三度目だった。
一打席目。
タイミングを外し、力のない遊撃ゴロにした。
それを、足で内野安打に変えられた。
二打席目。
三種類の速さを使い、最後は空振りを取った。
今度は、向こうも僕の球を二打席分見ている。
後輩がマウンドへ来た。
「走者はいますけど、まず打者でいきます」
「ああ」
「一塁は埋まっています。無理に避ける場面でもありません」
「勝負しよう」
「はい」
後輩が戻る。
銀髪の遊撃手が右打席へ入った。
構えは、少しだけ変わっていた。
一打席目より、前へ出てこない。
二打席目より、軸足に体重を残している。
遅い球を待てる形だった。
初球。
内角への真っすぐ。
振ってくる。
速いスイングだった。
打球は三塁側へ切れた。
ファウル。
二球目。
外へ逃げるチェンジアップ。
見送られる。
「ボール!」
三球目は、外角への真っすぐ。
バットは動かなかった。
「ストライク!」
一ボール二ストライク。
追い込んだ。
銀髪の遊撃手は打席を外さない。
バットの先を一度だけ下げ、また僕を見る。
後輩がサインを出した。
二打席目。
最後に空振りを取った球だった。
一番遅いチェンジアップと真っすぐの間。
僕が今、一番使いやすい速さの球。
今度は外角低め。
コースも悪くない。
僕はうなずいた。
同じ球だから打たれるとは限らない。
同じように見えても、そこへ至るまでの配球が違えば、意味も変わる。
僕は一塁走者を一度だけ見た。
足を上げる。
腕を振った。
指から離れた感触はよかった。
ボールは、後輩が構えた場所へ向かう。
銀髪の遊撃手は、すぐには動かなかった。
待っている。
そう思った瞬間。
踏み込んだ。
バットが、沈み始めたボールを捉える。
鋭い音が響いた。
低い打球が、左中間へ伸びる。
外野手が走った。
布団屋も左翼から寄る。
その間を、打球が抜けた。
「中継!」
遊撃手の声が飛ぶ。
一塁走者は二塁を蹴った。
迷わず三塁も回る。
外野手がフェンス手前でボールを拾い、遊撃手へ返す。
遊撃手が本塁へ投げた。
後輩が前へ出る。
送球を受けたときには、走者の足がホームを踏んでいた。
二対二。
銀髪の遊撃手は、二塁へ立っていた。
土を払う。
大きく喜ぶことはない。
僕の方を一度だけ見た。
打たれた。
甘く入ったわけではなかった。
腕が緩んだわけでもない。
狙った高さ。
狙ったコース。
前の打席では、空振りを取った球。
それでも、今度は捉えられた。
後輩がマウンドへ来る。
「今の、失投じゃありません」
「分かってる」
「なら、次です」
僕は二塁を見た。
「簡単に言うな」
「簡単じゃないから言ってるんです」
後輩は、それ以上何も言わなかった。
僕も息を吐く。
まだ同点だった。
無死二塁。
四番打者が左打席へ入る。
ここで止めればいい。
初球は、外角のチェンジアップ。
見送られる。
「ストライク!」
二球目。
内角への真っすぐ。
四番打者が振った。
強いゴロが、一塁方向へ飛ぶ。
肉屋が正面で捕る。
二塁走者がスタートを切った。
肉屋は三塁を一度だけ見る。
間に合わない。
自分で一塁を踏んだ。
「アウト!」
一死三塁。
相手は、無理をしなかった。
四番が打点を欲しがることもない。
次の一点を取るために、走者を進めた。
五番打者が右打席へ入る。
内野が前へ出る。
三塁の元四番も、二塁の同期も、いつもより数歩浅い。
ゴロなら本塁へ投げる。
後輩が低めへミットを置いた。
初球。
一番遅いチェンジアップ。
五番打者は待った。
「ストライク!」
二球目。
外角への真っすぐ。
打者が振る。
打球は二塁方向へ飛んだ。
速い。
同期の二塁手が右へ飛びつく。
グラブの先が、ボールに触れた。
勢いが少しだけ変わる。
それでも止まらない。
打球は右前へ抜けた。
三塁走者がホームを踏む。
三対二。
銀髪の遊撃手が同点にした。
四番が走者を進めた。
五番が還した。
一人に打たれただけで、逆転されたわけではない。
このチーム全体に、一点を取られた。
一死一塁。
六番打者を迎える。
後輩が内角へ構えた。
真っすぐを投げる。
振り遅れた打球が、後ろへ飛ぶ。
ファウル。
二球目。
外角のチェンジアップ。
打者の身体が前へ出た。
打球は三塁へ転がる。
元四番が前へ出る。
一塁走者がスタートを切っていた。
二塁は間に合わない。
元四番は一塁へ投げた。
「アウト!」
二死二塁。
七番打者。
初球は外角への真っすぐ。
見送ってストライク。
二球目も外。
ファウル。
二球で追い込む。
後輩が、最後に一番遅いチェンジアップを要求した。
低く投げる。
打者の身体が前へ出た。
弱いゴロが遊撃方向へ転がる。
遊撃手が正面で捕った。
一塁へ送る。
「アウト!」
三アウト。
それ以上は渡さなかった。
ベンチへ戻る。
三対二。
元四番がグラブを外しながら、僕の肩を軽く叩いた。
「一点なら返せる」
「頼む」
「任せろ」
肉屋も横を通る。
「一点差だ。まだ終わってねえぞ」
「分かってます」
その声を聞きながら、僕はベンチへ腰を下ろした。
銀髪の遊撃手が打った場所を見る。
狙った球だった。
間違った選択でもなかった。
それでも、向こうが上回った。
一打席目は、打ち取った。
二打席目は、空振りを取った。
三打席目。
初めて、完全に負けた。
悔しかった。
けれど、不思議と怖くはなかった。
僕の一番いい球の一つを、あいつは打った。
なら、次は。
これ以上、渡さなければいい。




