選んだ場所
四回表。
先頭の外野手が、投手の足元を抜ける打球を放った。
中堅へ抜けるかと思ったが、銀髪の遊撃手が二塁寄りへ回り込む。逆シングルで拾い、そのまま一塁へ送った。
「アウト!」
続く元四番の大きな当たりも、左中間で捕られた。
肉屋は三塁線へ強いゴロを放ったが、相手三塁手が身体で止める。
当たりは悪くない。
それでも、三人で攻撃が終わった。
四回裏は、相手の四番からだった。
二球目の真っすぐを、左翼へ運ばれる。
高く上がった打球が、風に押されて少しずつ伸びた。
布団屋が背走する。
最初から落下点を決めつけず、打球の変化に合わせて進路を変えていた。
フェンスの少し手前。
最後に数歩だけ速度を上げ、伸ばしたグラブへ打球を収める。
「アウト!」
布団屋はフェンスとの距離を確かめてから、内野へ返球した。
「ナイスです!」
後輩が声をかける。
「風がありましたからね」
布団屋はそれだけ答え、元の位置へ戻った。
続く五番打者の強いゴロは、元四番が横へ動いて止めた。
送球は少し低くなったが、肉屋が地面すれすれですくう。
二死。
六番打者には、一番遅いチェンジアップを投げた。
体勢を崩した打者が、バットの先で三遊間へ転がす。
遊撃手が横へ走った。
追いつくと、身体を止めずに捕る。
その勢いを使って一塁へ投げた。
「アウト!」
三つ目の声が響いた。
銀髪の遊撃手のような、目を疑うほどのプレーではない。
けれど、僕が欲しかったアウトを、きちんと取ってくれた。
ベンチへ戻る途中、遊撃手へ声をかける。
「助かった」
「今のは普通に間に合ったね」
「普通でも、アウトはアウトだろ」
「ずいぶん優しいこと言うね」
「事実を言っただけだ」
遊撃手は少し笑った。
「なら、次もこっちに打たせてよ」
「選べるならな」
五回表。
先頭の右翼手が打席へ向かった。
僕はベンチの奥へ腰を下ろし、相手投手の球を見る。
その隣に、元四番が座った。
「本当に、また投げたな」
「三試合前から投げてる」
「そういう意味じゃねえよ」
右翼手が初球の真っすぐを見送る。
元四番はグラウンドへ目を向けたまま、続けた。
「お前が投げるって聞いたとき、俺が最初に出ようって言っただろ」
「覚えてる」
「卒業するとき、社会人から話があったんだ」
僕は元四番を見た。
「社会人野球の?」
「ああ。全国にも出てるところだった」
「初めて聞いた」
「言ってねえからな」
右翼手が外角球を打ち返す。
打球は右中間へ上がったが、中堅手が余裕を持って捕った。
一アウト。
「どういう話だったんだ」
「すぐ使うって話じゃねえよ。身体と打球はいいから、何年か鍛えたらものになるかもしれないって。その程度だ」
それでも、社会人の強豪からの誘いだった。
元四番が選んだのは、地元の会社だった。
軟式の野球部はあるが、全国を本気で狙うような強豪ではない。練習への参加も比較的自由で、外のチームで試合に出ることも認められていた。
「どうして断ったんだ」
元四番は少し黙った。
後輩が打席へ入る。
「お前が、あんな終わり方しただろ」
あの日。
肩を押さえ、僕はマウンドから降りた。
元相方はプロへ進み、僕は野球から離れた。
「お前がもう一回投げるところを、見たかったんだよ」
「僕のために残ったのか」
「違えよ」
元四番は、すぐに否定した。
「お前のことだけで進路を決めるか。それも理由の一つではあったけどな」
後輩が低めの変化球を打った。
打球は二塁手の正面へ転がる。
「アウト!」
二つ目。
元四番は、相手投手から視線を外さなかった。
「俺、この地元が好きなんだよ」
あまりにも真っすぐな言葉で、僕はすぐに返せなかった。
「仕事が終わったあとに集まって、知ってる連中と野球して。商店街を歩けば、誰かしら声をかけてくる」
元四番が、ベンチの中へ目を向ける。
遊撃手は相手の守備位置を確かめながら、バットを振っていた。
布団屋は座ったまま、投手の球筋を見ている。
肉屋は外野手と何かを話していた。
「ここで、地元のお前らと、もう少し野球がしたかった」
「強いところへ行った方が、上には近かっただろ」
「そうだろうな」
「後悔してないのか」
「全部捨てて、低い可能性にしがみつくほどじゃなかった」
元四番は、あっさり言った。
「あっちへ行かなかったせいで、その先へ届かなかったとしても、それは俺が選んだことだ」
同期の二塁手が、内角球をファウルにする。
二球粘ったあと、遊撃方向へゴロを打った。
銀髪の遊撃手が前へ出て捕り、一塁へ送る。
「アウト!」
三アウト。
「だから、僕が投げるって聞いたとき、最初に出ようって言ったのか」
「ああ」
元四番は立ち上がり、グラブを手に取った。
「もう一回できるなら、逃す気はなかった」
僕もグラブを持ち、マウンドへ向かった。
五回裏。
先頭の七番打者は、チェンジアップを引っかけた。
弱いゴロが僕の左へ転がる。
マウンドを降りて捕り、一塁へ投げた。
「アウト!」
八番打者には、外角の真っすぐを右翼前へ運ばれた。
一死一塁。
九番打者が送りバントの構えを見せる。
初球の真っすぐを、捕手の前へ転がされた。
後輩がすぐに立ち上がる。
ボールを拾い、二塁を見た。
「二塁!」
遊撃手の声が飛ぶ。
後輩は迷わず投げた。
同期の二塁手がベースへ入る。
「アウト!」
一塁走者を封じた。
二死一塁。
一番打者が、内角の真っすぐを打ち上げる。
打球は二塁後方へ上がった。
同期の二塁手が後ろへ走り、外野手が前へ出る。
「任せろ!」
外野手が声を上げた。
最後に速度を上げ、前へ滑り込む。
地面へ触れる寸前で、打球がグラブへ収まった。
「アウト!」
三アウト。
五回を終えて、一対一。
どちらも、次の一点を渡さなかった。
六回表。
先頭は、九番の僕だった。
打席へ向かう前に、元四番が声を飛ばす。
「塁に出ろよ!」
「期待しないでくれ」
「話を聞いたあとくらい、やる気出せ!」
初球は真っすぐだった。
振り遅れて、ファウル。
二球目の変化球を見送り、三球目もバットに当てる。
けれど、最後は外角の真っすぐを二塁へ転がした。
二塁手が前へ出て、一塁へ送る。
「アウト!」
ベンチへ戻ると、元四番が呆れたような顔をしていた。
「話した甲斐がなかったな」
「投げる方で返す」
「打つ方は最初から期待してねえよ」
一死走者なし。
遊撃手が打席へ入った。
一打席目は、勢いを殺した打球を銀髪の遊撃手に処理された。
二打席目は、二塁手の正面。
三打席目。
外角の真っすぐを、逆らわずに打ち返す。
打球は三遊間を抜け、左翼前へ転がった。
「よし!」
元四番が声を上げる。
遊撃手は一塁へ到達すると、小さく拳を握った。
銀髪の遊撃手を見てはいない。
自分の仕事を一つ終え、次の塁を見ていた。
一死一塁。
布団屋が左打席へ入る。
相手投手は、一塁走者を気にしていた。
遊撃手が大きくリードを取る。
相手の一塁手は、走者をつなぎ止めるためにベースの近くへ残っている。
二塁手は、盗塁に備えて二塁寄りに構えていた。
その分、一、二塁間がいつもより広い。
初球は、外角への真っすぐ。
布団屋は見送った。
二球目。
内角への変化球をファウルにする。
三球目は低く外れた。
一ボール二ストライク。
四球目。
内角寄りの真っすぐ。
布団屋は身体を開かず、鋭く振り抜いた。
打球が一、二塁間を抜ける。
右翼手が前へ走った。
遊撃手は二塁を回る。
迷わない。
右翼手がボールを拾い、三塁へ投げた。
「行け!」
元四番がベンチの前まで出る。
遊撃手が三塁へ滑り込んだ。
送球が届くより、わずかに早い。
「セーフ!」
一死一、三塁。
僕たちのベンチから声が上がった。
布団屋は一塁上で、静かに手袋の土を払っている。
三番の外野手が打席へ入った。
相手投手の初球は、内角への真っすぐだった。
外野手が振る。
少し詰まった打球が、中堅方向へ上がった。
浅い。
三塁の遊撃手は、ベースを離れかけて止まった。
中堅手が前へ出て捕る。
「アウト!」
二死一、三塁。
走者は動けなかった。
打席には、元四番が入った。
肉屋が、その背中へ声をかける。
「今日はお前が四番なんだから、決めてこい!」
「今日は、をつけないでくださいよ!」
「次は俺かもしれねえだろ!」
「今は今日の話をしてるんです!」
元四番が右打席へ入る。
二死。
一つアウトを取れば、この回は終わる。
初球。
内角への真っすぐ。
元四番が振る。
打球は三塁側へ切れた。
ファウル。
二球目は、低めへ落ちる変化球。
バットを止める。
一ボール一ストライク。
相手捕手が外角へ構えた。
三球目。
外角の真っすぐ。
二回に、元四番が右翼線へ二塁打を放った球と近い。
ただし、今度はさらに外だった。
元四番は無理に引っ張らない。
右足を踏み込み、バットを短く出した。
芯で捉えた音が響く。
打球は二塁手の頭上を越え、右翼前へ落ちた。
「行け!」
三塁の遊撃手が本塁へ走る。
右翼手が前へ出て、ボールを拾った。
けれど、本塁へ投げることはできなかった。
遊撃手がホームを踏む。
二対一。
商栄スターズが、勝ち越した。
布団屋は二塁で止まり、元四番が一塁へ到達する。
元四番は大きく喜ぶこともなく、ベンチへ拳を向けた。
大きな当たりではない。
それでも、今必要だった一本だった。
二死一、二塁。
肉屋が打席へ入る。
初球の真っすぐを、迷わず振り抜いた。
鋭い打球が三塁線へ飛ぶ。
抜ければ、もう一点入る。
けれど、相手三塁手の正面だった。
強い打球を身体の前で止め、一塁へ送る。
「アウト!」
三アウト。
「悪い!」
肉屋がベンチへ戻りながら言った。
「当たりはよかったですよ」
元四番が答える。
「お前が言うと腹立つな」
「今日は俺が四番ですから」
「今日は、な」
「そこ、こだわりますね」
二人が言い合っている横で、遊撃手が布団屋へ声をかけた。
「布団屋さん、さっき右を狙ってたの?」
「遊撃手さんなら、三塁まで行けると思いました」
「眠そうな顔で、よくそこまで考えてるね」
「起きてますよ」
布団屋はいつもと変わらない顔で、グラブを手に取った。
元四番も三塁へ向かう。
高校を卒業するとき、あいつには別の場所へ進む道があった。
けれど、自分が好きな場所を選んだ。
そこで僕たちと、もう少し野球をすることを選んだ。
六回表を終えて、二対一。
僕はボールを受け取り、マウンドへ向かう。
元四番が選んだこの場所で。
その一点を、守るために。




