↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
45/52

半歩

 一番打者は、左打席へ入った。


 足元をならし、バットを短く持つ。


 構えだけを見ても、長打を狙っている打者ではないと分かった。


 後輩が外角低めへミットを置く。


 初球は、真っすぐ。


 要求された場所へ投げると、打者は振らなかった。


「ストライク!」


 続く二球目は、同じ軌道から少しだけ遅くした。


 打者のバットが出かかる。


 けれど、途中で止まった。


 ボールは低く外れ、後輩のミットへ収まる。


 この打者も、簡単には手を出さない。


 三球目の真っすぐをファウルにされ、追い込んだ。


 そこから二球、外へ逃げるようにチェンジアップを続ける。


 一球目はファウル。


 二球目は見送られた。


 二ボール二ストライク。


 後輩が、内角へミットを動かす。


 真っすぐを投げる。


 打者は詰まりながらも、三塁側へ転がしてファウルにした。


 球威で押し込まれても、当ててくる。


 六球目。


 もう一度、外角低め。


 僕の指から離れたボールは、狙ったところよりわずかに外へ流れた。


 打者はバットを動かさなかった。


「ボール!」


 三ボール二ストライク。


 後輩が返球しながら、一度だけ僕を見た。


 悪い球ではない。


 けれど、無理にストライクを取りにいけば、相手の狙いに近づく。


 最後は、内角から落とすチェンジアップを選んだ。


 打者の膝元へ沈む。


 バットは出ない。


「ボール、フォア!」


 一番打者が静かにバットを置き、一塁へ走った。


 先頭を歩かせた。


 制球を乱した感覚はなかった。


 相手が、際どい球を見送っただけだった。


「切り替えましょう」


 後輩が立ち上がり、返球してくる。


「ああ」


 二番打者が右打席へ入った。


 初球を投げる前から、バットを横に寝かせている。


 送りバントだった。


 相手は、一回から一点を取りにきている。


 後輩が前へ出やすい球を要求した。


 僕は真っすぐを投げる。


 打球は一塁側へ転がった。


 マウンドを降り、僕が捕る。


 二塁へ投げても間に合わない。


 確実に一塁へ送った。


「アウト!」


 一死二塁。


 二番打者は、自分の仕事を終えたようにベンチへ戻っていった。


 そして、三番打者が姿を見せた。


 銀色の髪が、ヘルメットの下から少しだけ覗いている。


 右打席へ入り、バットを一度回す。


 守備についていたときと同じだった。


 特別なことをしようとしているようには見えない。


 ただ、構えた瞬間に空気が少し変わった。


 後輩が立ち上がり、僕のところまで歩いてきた。


「一塁は空いてます」


「そうだな」


「無理に勝負する必要はありません」


「後ろも強いんだろ」


「はい」


 避けたところで、四番打者が待っている。


 もちろん、状況によっては歩かせる選択もある。


 けれど、まだ一回だった。


 僕たちがどこまで通用するのかも、分かっていない。


「まずは勝負しよう」


「分かりました」


 後輩はそれだけ答え、ホームへ戻った。


 一球目。


 外角への真っすぐ。


 銀髪の遊撃手は、バットを動かさなかった。


 ボールは後輩のミットへ収まる。


「ストライク!」


 表情は変わらない。


 打席を外すこともなく、もう一度構えた。


 二球目。


 今度は、少しだけ速いチェンジアップ。


 真っすぐと同じように腕を振る。


 打者は振りにいった。


 けれど、ボールが来るより早くバットが通り過ぎる。


 空振り。


 二球で追い込んだ。


 後輩が返球しながら、わずかにうなずいた。


 球は通じている。


 少なくとも、まったく見えていないわけではなかった。


 三球目。


 外へ外す真っすぐ。


 打者は見送る。


 ボール。


 タイミングを確認するように、バットの先を一度だけ上下させた。


 四球目。


 後輩が要求したのは、一番遅いチェンジアップだった。


 高さは低め。


 真ん中には入れない。


 僕は腕を緩めずに振った。


 ボールが打者の手元で沈む。


 銀髪の遊撃手の身体が前へ出た。


 バットの先が、かろうじてボールへ触れる。


 鈍い音がした。


 打球は力なく、遊撃手の前へ転がった。


 打ち取った。


 少なくとも、僕はそう思った。


 遊撃手が前へ出る。


 二塁走者を一度だけ目で押さえ、ボールへ入った。


 捕球に無駄はない。


 握り直しもなかった。


 そのまま一塁へ投げる。


 送球は肉屋の胸元へ届いた。


 けれど、その直前。


 銀髪の遊撃手の足が、一塁を踏んでいた。


「セーフ!」


 塁審の両腕が横に広がる。


 一塁側のベンチから声が上がった。


 肉屋はミットの中のボールを見てから、審判へ目を向けた。


「今の間に合ってないのか?」


 遊撃手も、しばらく一塁を見ていた。


 守備に失敗したわけではない。


 捕ってから投げるまで、遅れはなかった。


 送球も逸れていない。


 普通なら、十分にアウトにできた。


 それでも、相手の足が半歩だけ早かった。


 一死一、三塁。


 僕と後輩が打ち取ったはずの打球が、安打として記録された。


 銀髪の遊撃手は一塁で息を整えることもなく、次の塁を見ていた。


 四番打者が左打席へ入る。


 大柄な打者だった。


 長打を警戒して外野は少し深く守っている。


 後輩が一塁走者を目で確認した。


 一球目。


 外角低めへのチェンジアップ。


 四番打者は見送った。


 その瞬間、一塁走者が動いた。


「走った!」


 肉屋の声が聞こえる。


 後輩が立ち上がり、二塁へ送球する。


 低く、速いボールだった。


 同期の二塁手がベースへ入る。


 タッチ。


 けれど、銀髪の遊撃手の手が先に届いた。


「セーフ!」


 また半歩だった。


 銀髪の遊撃手は立ち上がると、ユニフォームについた土を軽く払った。


 大きく喜ぶこともしない。


 当然のように次のプレーへ備えている。


「今のも惜しかったです」


 後輩がマウンドへ戻りながら言った。


「惜しいだけじゃアウトにならないな」


「はい」


 一死二、三塁。


 併殺は取れなくなった。


 後輩は四番打者へ視線を戻す。


「低くいきます」


「ああ」


 長打だけは避ける。


 内野ゴロなら、本塁で走者を止められる可能性もある。


 僕は外角へ真っすぐを投げた。


 四番打者が振る。


 打球は高く上がった。


 左翼方向。


 深くはない。


 布団屋が前へ走り、落下点へ入る。


 三塁走者は、ベースへ戻った。


「取れ!」


 布団屋が捕球する。


 その瞬間、三塁走者が本塁へ向かった。


 布団屋がすぐに投げる。


 返球は低かった。


 後輩がホームの前へ出て捕る。


 走者が滑り込んだ。


 後輩がタッチする。


「セーフ!」


 一点が入った。


 布団屋の返球も悪くなかった。


 後輩も、捕ってから迷わずタッチした。


 それでも、最初の走者の足がわずかに早かった。


 相手は、強い打球を一本も打っていない。


 四球。


 送りバント。


 内野安打。


 盗塁。


 犠牲フライ。


 それだけで、一点を取った。


 銀髪の遊撃手は二塁に残っている。


 二死二塁。


 五番打者が打席へ入る。


 初球の真っすぐを、強く引っ張った。


 打球が遊撃手の正面へ飛ぶ。


 さっきより、ずっと速い。


 遊撃手は身体の正面で止めた。


 一度だけボールがグラブの中で跳ねる。


 それでも落とさない。


 握り直し、一塁へ送った。


「アウト!」


 三アウト。


 相手ベンチから上がっていた声が、少しだけ静かになった。


 遊撃手はボールを僕へ投げ返しながら、肩をすくめた。


「今度は間に合った」


「普通の打者だったからな」


 僕が言うと、遊撃手は苦笑した。


「本当に普通かな。あのチームの五番だよ」


 僕たちはベンチへ戻った。


 一回を終えて、一対〇。


 打たれた安打は、ボテボテの内野安打だけ。


 それでも、相手は一点を取った。


「嫌な取り方をしますね」


 後輩が防具を外しながら言った。


「こっちが大きく失敗したところはないんだけどな」


 元四番が遊撃手を見る。


「お前の送球も悪くなかった」


「分かってるよ」


 遊撃手はグラブを膝の上へ置いた。


「分かってるから、余計にすごいんだって」


 いつもの軽い口調だった。


 けれど、誰もすぐには返さなかった。


 遊撃手は一塁側の相手ベンチへ目を向ける。


 銀髪の遊撃手は仲間と話しながら、ヘルメットを外していた。


「薄々気づいてはいたさ」


 遊撃手が言った。


「何をだよ」


 元四番が聞く。


「プロから声をかけられなかった時点で」


 遊撃手は自分の右手を開き、また握った。


「俺が、ああいう選手じゃないってこと」


 深く守らせて、打球の勢いを殺した。


 自分の判断と器用さと足を使った。


 それでも、相手の肩に半歩だけ負けた。


 今度は、自分がきちんと処理した打球を、相手の足が安打に変えた。


 違いは、もう記事の中の数字ではなかった。


 同じグラウンドに立ったからこそ、見えたものだった。


「だから何だよ」


 元四番が言った。


 遊撃手が顔を上げる。


「あいつがすげえことと、お前が今日ショートを守ってることは関係ねえだろ」


「ずいぶん乱暴な励まし方だね」


「励ましてねえよ」


 元四番は、自分のバットを持って立ち上がった。


「うちの遊撃手は、お前だって言ってんだ」


 遊撃手は何も答えなかった。


 同期の二塁手が、その隣へ腰を下ろす。


「俺が二塁で合わせてるのも、お前だから」


「急に重いね」


「真面目に言ってる」


 後輩も、防具をつけ直しながら口を開いた。


「先輩が打たせるなら、遊撃手さんのところにも飛びます」


「それ、励ましになってる?」


「事実です」


 僕はグラブの紐を締め直した。


「僕が後ろを任せてるのも、お前だ」


 遊撃手は少しの間、黙っていた。


 やがて相手ベンチから視線を外し、自分のグラブを手に取る。


「……そうだな」


 元四番が打席へ向かう。


 その背中を見ながら、遊撃手はいつものように笑った。


「みんなで勝てばいいんだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。