違うやり方
試合開始の十五分前、山岸さんがベンチの前に僕たちを集めた。
打順は、これまでと大きく変わらない。
一番は遊撃手。
二番に布団屋、三番に外野手。四番は元四番で、五番に肉屋。
後輩が捕手として七番に入り、高校時代の同期が二塁を守る。
僕は九番、先発投手だった。
「相手が強いことは、もう十分に分かったと思う」
山岸さんは、いつもの穏やかな口調で言った。
「だからといって、こちらが普段と違うことばかりする必要はない。今までの三試合でできたことを、今日も一つずつやろう」
「はい」
後輩が最初に返事をした。
肉屋が両手で頬を叩く。
「よし。まずは一本だな」
「一本じゃ足りませんよ」
元四番が言う。
「分かってる。最初の一本って意味だ」
「肉屋さんが言うと、最初の一本がホームランに聞こえますね」
遊撃手が笑った。
「お前が塁に出れば、打ってやるよ」
「じゃあ、期待してます」
「おう」
遊撃手は軽く答え、ヘルメットをかぶった。
いつもと変わらないように見える。
けれど、グラウンドへ出る前に、一度だけ相手の遊撃手を見た。
銀色の髪が、遊撃の位置で揺れている。
「遊撃手さん、やっぱり気にしてますね」
隣にいた後輩が、小さく言った。
「同じ守備位置だからな」
僕が答えると、後輩は少し考えた。
「先輩も、相手投手は気になりますか?」
「投げ方は見る」
「同じようなものですかね」
「たぶん」
それ以上話す前に、場内へ試合開始を知らせる声が響いた。
商栄スターズは先攻だった。
僕たちがベンチへ入ると、相手の選手たちが守備位置へ散っていく。
先発投手は、右の本格派だった。
身体は大きくないが、投球練習の球には力がある。真っすぐだけで押す投手ではなく、低めへ曲がる球も混ぜていた。
「速そうですね」
後輩が言った。
「見た目より伸びてる」
僕は答えた。
捕手の構えた位置から、ほとんど外れていない。
打線だけでなく、投手も簡単には崩れそうになかった。
遊撃手がバットを持ち、ベンチの前へ出る。
「行ってくるよ」
「まず塁に出ろ」
元四番が言った。
「分かってるって」
「格好つけて、でかいの狙うなよ」
「同じショートだからって、ホームランまで競うつもりはないよ」
遊撃手はそう返し、打席へ向かった。
相手の遊撃手が、少しだけ守備位置を変える。
通常より数歩深い。
遊撃手の足を警戒しながらも、強い打球にも備えられる位置だった。
その動きを見て、遊撃手の口元がわずかに上がった。
最初から、自分の特徴を調べられていると分かったのだろう。
一球目。
外角への真っすぐ。
遊撃手は手を出さなかった。
ストライク。
二球目は、低めへ落ちる変化球。
バットが途中まで出たが、止まった。
ボール。
三球目。
内角寄りの真っすぐを、遊撃手が引っ張る。
打球は三塁側のファウルゾーンへ転がった。
一ボール二ストライク。
追い込まれた。
「思ったより速いな」
元四番がベンチの柵へ手を置く。
「でも、見えてはいます」
後輩が答えた。
遊撃手は打席を外さず、バットを立て直した。
相手投手がセットへ入る。
銀髪の遊撃手は、まだ深い位置にいた。
四球目。
外角の真っすぐ。
遊撃手は振りにいった。
少なくとも、相手バッテリーにはそう見えたはずだ。
けれど、バットは最後まで強く振り抜かれなかった。
先端で、ボールの勢いだけを殺す。
打球が三遊間へ転がった。
セーフティーバントに近い。
ただし、最初からバントの構えを見せたわけではない。
相手の守備位置を見て、最後の瞬間に力を抜いた。
「上手い」
布団屋がつぶやいた。
打球は投手から遠く、三塁手からも離れている。
深く守っていた遊撃手の前。
遊撃手は打った瞬間に走り出していた。
あいつの足なら、間に合う。
僕だけではなく、ベンチの何人かがそう思ったはずだ。
銀髪の遊撃手が前へ出る。
一歩目が、やはり速い。
前進しながらグラブを外し、右手を低く伸ばした。
素手でボールを拾う。
身体を止めない。
走ってきた勢いのまま、下から腕を振った。
送球が低い軌道で一塁へ伸びる。
遊撃手も一塁を駆け抜けた。
ほとんど同時だった。
「アウト!」
塁審の右手が上がった。
遊撃手はそのまま数歩進み、ゆっくり足を止めた。
相手の一塁手からボールが返される。
銀髪の遊撃手は何事もなかったように受け取り、投手へ投げた。
特別なプレーをしたという顔ではなかった。
「今の、完璧だっただろ」
元四番が言った。
「打った方はな」
肉屋も腕を組んだまま、相手の遊撃手を見ている。
遊撃手がベンチへ戻ってきた。
ヘルメットを脱ぎながら、一度だけ後ろを振り返る。
「こっちの土俵まで持ってきても、刺されるのかよ」
笑ってはいた。
悔しさを隠しているというより、本当に感心しているようにも見えた。
「あと半歩でした」
後輩が言う。
「その半歩が大きいんだけどね」
遊撃手はバットを置き、僕の隣へ腰を下ろした。
「狙ってたのか?」
「深く守ってたからね。普通ならセーフだよ」
「普通ならな」
元四番が言う。
「慰める気ある?」
「別に慰めてねえよ。次は外野まで飛ばせ」
「簡単に言うなあ」
二番の布団屋が打席へ入った。
遊撃手はもう相手を見ていなかった。
けれど、右手だけは膝の上で何度か開いたり閉じたりしていた。
布団屋は初球の外角球を見送った。
二球目も振らない。
相手投手は、低めを丁寧に突いてくる。
簡単には甘い球を投げない。
布団屋は二球粘ったあと、外角の変化球を打った。
反対方向へのゴロ。
二塁手が正面で捕り、一塁へ送る。
二アウト。
「打ち急がされてますね」
後輩が言った。
「球が速いだけじゃないな」
相手捕手も、こちらの打者をよく見ている。
三番の外野手は、真っすぐを二球続けてファウルにした。
追い込まれてから、外へ逃げる球へバットを出す。
打球は右翼へ上がった。
右翼手がほとんど動かずに捕る。
三アウト。
一回表は、三人で終わった。
「思ってたより面倒な投手だな」
元四番がグラブを持って立ち上がる。
「強いチームなんだから、投手だけ簡単なわけないでしょ」
遊撃手もベンチを出た。
「お前はもう少し悔しがれよ」
「悔しいよ。完璧に決まったと思ったから」
そう言いながら、遊撃の位置へ走っていく。
元四番はその背中を見てから、三塁へ向かった。
僕はグラブとボールを持ち、マウンドへ向かう。
後輩が少し遅れてついてきた。
「まずは一番からです」
「ああ」
一番と二番にも足がある。
簡単にアウトをくれる打者ではない。
そして、その二人のあとに、銀色の髪をした遊撃手が待っている。
投球練習を終え、後輩から返ってきたボールを受け取った。
相手の一番打者が、打席へ入る。
バットを一度だけ軽く振り、こちらを見た。
僕はプレートへ足を置く。
まずは、目の前の一人からだった。




