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記事より速い

 試合当日の朝、会場へ着いたときには、相手校はすでにグラウンドへ出ていた。


「早いな」


 車を降りた元四番が、荷物を肩に掛けながら言った。


「集合時間を間違えたんじゃないですか?」


 後輩が山岸さんを見る。


「間違えてはいないよ。向こうが早いだけだね」


 山岸さんは腕時計を確かめ、いつもの穏やかな声で答えた。


 僕たちも、決して遅れてきたわけではない。


 試合開始までは、まだ十分に時間がある。


 それでも、相手はすでにユニフォーム姿で身体を動かしていた。


 列になって走る選手たちの足音が、離れた駐車場まで聞こえてくる。


「高校の部活って、こんな感じだったっけ」


 遊撃手が眠たそうに目を細めた。


「お前もやってただろ」


 元四番が返す。


「二年前のことなんて、もう昔だよ」


「まだ二十だろ」


「二十になったから言ってるんだよ」


 肉屋が荷台からバッグを下ろしながら笑った。


「お前ら、若いくせに年寄りみたいなこと言うな」


「肉屋さんにだけは言われたくないですね」


「俺はまだ三十代前半だ!」


「それ、昨日も聞きました」


 遊撃手が自分のバッグを受け取り、先に歩き出した。


 いつもと変わらない軽口だった。


 けれど、その視線はグラウンドから離れていなかった。


 相手の練習が始まった。


 内野手が一列に並び、ノックを受ける。


 三塁、一塁、二塁。


 どの選手も捕ってから投げるまでが速い。


 派手な動きをしているわけではない。


 足を止めず、身体の正面で捕り、次の動作へ移る。


 送球はほとんど同じ高さで一塁手のミットに収まっていた。


「遊撃手だけじゃないですね」


 後輩がつぶやいた。


「ああ」


 記事には、学校史上最強の世代と書かれていた。


 大げさな表現ではなかったらしい。


 外野では、中堅手が左右へ振られている。


 頭上を越えそうな打球にも、落下点へ入るまで速度を落とさない。


 右翼手からの返球も、低い軌道で中継へ届いていた。


 控えらしい選手たちも、声を出すだけではなく、同じ強度でボールを追っている。


「隙がないですね」


 布団屋が眠たそうな顔のまま言った。


「朝から嫌なものを見せられますね」


「見ないで試合するわけにもいかないからね」


「それはそうですけど」


 肉屋が腕を組む。


「でも、俺たちだって三つ勝ってここにいるんだ。見る前から負けた顔すんなよ」


「誰もしてないですよ」


 元四番が答えた。


「お前、ちょっとしてるぞ」


「してません」


「眉間にしわが寄ってる」


「元からです」


「二十歳でそれは心配だな」


「肉屋さんに言われると腹立ちますね」


 僕たちは荷物をベンチの外へ運んだ。


 着替えを済ませ、グラウンド脇で身体をほぐす。


 相手の内野ノックは、まだ続いていた。


 銀色の髪が、朝の光を反射した。

[984605326/1786272738.jpg]

 遊撃手の位置に入った選手が、ノッカーの打球を待っている。


 新聞に載っていた写真より、身体は大きく見えた。


 肩幅が広いわけではない。


 筋肉を誇示するような体格でもない。


 けれど、構えた姿に無駄がなかった。


 ノッカーが三遊間へ打つ。


 強い打球だった。


 普通なら、三塁手が触れなければ外野へ抜ける。


 銀髪の遊撃手は、打球が放たれるより少し早く動いたように見えた。


 一歩目が速い。


 横へ走り、身体を沈め、逆シングルで捕る。


 そのまま足を止めず、深い位置から一塁へ投げた。


 送球は、低いまま伸びていく。


 一塁手がほとんど腕を動かさずに捕った。


「……あれ、試合ならアウトですかね」


 外野手が言った。


「打者によるんじゃない?」


 遊撃手が答える。


「お前なら?」


 元四番が聞く。


「走る方?」


「守る方だよ」


「聞かないでよ」


 冗談めかした声だった。


 ノッカーが次の打球を転がす。


 今度は、二塁ベースの後ろ。


 銀髪の遊撃手は回り込みながら捕り、身体を反転させて送球した。


 さっきよりも体勢は悪い。


 それでも、ボールは一塁手の胸元へ届いた。


「記事、盛ってなかったんだ」


 遊撃手が小さく言った。


 誰も返さなかった。


 本人も答えを求めてはいなかったのだと思う。


 銀髪の遊撃手は、特別なプレーをしたような顔をしていなかった。


 送球を終えると、すぐに元の位置へ戻る。


 周囲の選手も驚かない。


 いつもどおりのプレーなのだろう。


「肩だけじゃありませんね」


 後輩が言った。


「一歩目が速い」


「打球が飛ぶ前に動いてるみたいだったな」


 僕が答えると、隣で遊撃手が首を傾げた。


「予知能力だったりして」


「それなら反則だろ」


「ルールには書いてないよ」


「書く必要がないんだよ」


 元四番が突っ込む。


 遊撃手は笑った。


 ただ、いつもより少し短かった。


 僕たちの練習時間が近づき、相手は内野ノックを終えた。


 最後に行われたのは、二遊間の連携だった。


 二塁手が捕り、遊撃手へ送る。


 遊撃手がベースを踏み、一塁へ投げる。


 次は逆。


 銀髪の遊撃手の動きは速かったが、速さだけではなかった。


 受ける位置も、投げる位置も、二塁手が動きやすいところへ揃っている。


 一人で目立とうとしていない。


 隣の選手を使って、二つのアウトを取るための動きだった。


「相方も上手いですね」


 後輩が二塁手を見ながら言った。


「二人で一つって感じですね」


 布団屋も同意した。


 遊撃手は、今度は何も言わなかった。


 僕たちはグラウンドへ入った。


 軽く走り、キャッチボールを始める。


 後輩との距離を少しずつ広げる。


 僕が投げるたび、昨日確認した感覚が戻ってくる。


 肩は動く。


 腕も振れる。


 ボールは狙った場所から、大きく外れない。


「先輩、もう少し強くて大丈夫です」


「ああ」


 足を上げ、少しだけ力を入れる。


 ボールが後輩のミットへ収まった。


 投げ終わったところで、誰かの視線を感じた。


 相手ベンチの前。


 銀髪の遊撃手が、こちらを見ていた。


 目が合ったのは一瞬だった。


 すぐに仲間から声をかけられ、彼はそちらへ向き直る。


「どうしました?」


 後輩が聞く。


「いや」


 僕は返ってきたボールを握った。


 記事の中にいた選手は、もう目の前にいる。


 僕たちと同じグラウンドで、同じ白い球を追っている。


 遠い存在に見えないわけではなかった。


 けれど、投げる距離は変わらない。


 マウンドからホームまで。


 そこへ立つなら、僕は今の球を投げるだけだった。

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