次の相手
「おい! 次の相手、決まったぞ!」
肉屋の声に、ベンチに残っていた全員が集まった。
肉屋はスマートフォンを片手に持ち、画面をこちらへ向けている。
「どこですか?」
後輩が最初に尋ねた。
「ここだ」
画面に表示されていた学校名を見た瞬間、僕の足が止まった。
見覚えがある。
忘れたわけではなかった。
高校時代、僕たちが敗れた学校だった。
「……あそこか」
元四番の声から、いつもの勢いが消えていた。
遊撃手も何も言わない。
肉屋の手元をのぞき込んだまま、画面に表示された名前を見ている。
「知ってる相手なのか?」
山岸さんが聞いた。
「高校のときに、負けた相手です」
僕が答えた。
「あのときの選手たちの、後輩世代ってことか」
「そうですね。直接知ってる選手はいませんけど」
同じ学校のユニフォームを着ている。
それだけで、記憶の中にある試合の光景が少しずつ戻ってきた。
試合が終わったあとの整列。
相手側から聞こえていた歓声。
僕たちの前を通り過ぎ、次の試合へ進んでいった選手たち。
「今日の試合は、何対何だったんですか?」
後輩が聞いた。
「九対〇」
肉屋が答えた。
画面を指で動かし、試合結果を表示する。
相手は初回に三点を取り、その後も得点を重ねていた。
投手は三人が登板し、相手打線を無失点に抑えている。
こちらが大学生を相手に四対二で競り勝っていた頃、向こうは一度もリードを許さずに試合を終えていた。
「強いな」
山岸さんが短く言った。
その一言で十分だった。
打線だけではない。
失点を許さず、守備にも大きな乱れがない。
点を取ったあとも攻撃を緩めず、試合が終わるまで相手へ流れを渡していなかった。
「この世代、同校史上最強って言われてるみたいですよ」
元四番が、自分のスマートフォンを見ながら言った。
すでに相手について調べ始めていたらしい。
「スタメン全員が、高校から直接か、大学や社会人を経由して、いずれはプロへ行くと言われてます」
「全員?」
外野手が聞き返した。
「そう書かれてます。投手だけでも複数人にスカウトがついていて、野手にも卒業後の進路を含めて注目されている選手が何人もいるみたいです」
「ずいぶん景気のいい話だな」
肉屋が言った。
「ただの評判ではなさそうです」
後輩が、元四番の画面をのぞき込む。
「ここまでの試合も、ほとんど危なげなく勝っています。控えにも、ほかの学校なら中心になれそうな選手がいるみたいです」
「一人がすごいってチームじゃないんだね」
外野手が小さく言った。
二回戦の相手には、高校一年生の左腕がいた。
あのチームは、あいつの力が中心だった。
けれど、今度の相手は違う。
誰か一人を抑えれば、力が落ちるチームではない。
どこからでも点を取る。
誰が投げても試合を作る。
守備にも、簡単に狙える場所はなかった。
「一番注目されてるのは、遊撃手みたいですね」
後輩が言った。
その言葉に、隣にいた遊撃手が反応した。
「遊撃手?」
「はい」
後輩が画面を動かす。
現れたのは、相手チームの中心選手を紹介する記事だった。
右投げの遊撃手。
走攻守のすべてが、高校生の水準を大きく超えている。
打撃では長打を打てる。
足も速い。
肩も強く、深い位置からでも打者走者を刺す。
記事には、かつて日本人遊撃手として初めて海を渡り、メジャーでも結果を残した、あの人の再来と書かれていた。
ドラフトでは、複数球団の一位指名が競合すると予想されている。
「すごいね」
外野手が言った。
「同じ遊撃手として、どうなんだ?」
肉屋が尋ねる。
遊撃手は返事をしなかった。
後輩の持つ画面へ手を伸ばし、記事を下へ送る。
打撃成績。
走塁記録。
守備で見せたプレー。
どこを見ても、欠点らしい欠点は書かれていなかった。
遊撃手の指が、写真の上で止まる。
いつもなら、何か一つくらい冗談を言う。
自分の方が顔はいいとか。
投手もできる分だけ器用だとか。
けれど、今は何も出てこなかった。
「映像はあるか?」
山岸さんが聞いた。
「今日の試合は、少しだけ上がってます」
元四番が動画を開く。
全員で、小さな画面を囲んだ。
一番打者が初球を右前へ運ぶ。
二番打者が迷いなく送り、三番打者が一球で走者を返す。
守備では、三遊間の深い打球に遊撃手が追いついた。
捕った勢いのまま体を立て直し、一塁へ送る。
打者走者は、余裕を持ってアウトになった。
「今の、かなり深いですよね」
同期の二塁手が言った。
「あそこから届くのか」
僕も思わず口にした。
遊撃手は画面を見たままだった。
五回を投げ、そのあと四回を守った疲れが残っている。
それでも、さっきまで見せていた疲労とは違うものが、今の沈黙には混じっていた。
元四番が遊撃手を見る。
何か言いかけたようだったが、口にはしなかった。
ここで簡単な言葉をかけても、届かないと思ったのかもしれない。
「まあ、強いのは分かった」
山岸さんが言った。
「今日は帰って休め。細かい話は、映像を集めてからだ」
「そうですね」
後輩がうなずく。
「先輩たちも、まず体を休めてください」
「俺も?」
肉屋が自分を指差した。
「肉屋さんは食べすぎないでください」
「試合の疲れと関係あるか?」
「体調管理です」
「勝った日にまで管理されるのか!」
肉屋の声で、張りつめていた空気が少し緩んだ。
けれど、いつもの笑いは長く続かなかった。
次の相手は強い。
それも、これまで戦ってきた相手とは明らかに違う。
個人の力だけではない。
チーム全体が、高い水準でまとまっている。
肉屋は僕たちの顔を順番に見た。
遊撃手。
元四番。
後輩。
そして、僕。
「よし、決めた!」
突然、大きな声を出す。
「何をですか」
元四番が警戒するように尋ねた。
「決起会だ!」
「今からですか?」
「今日はもう遅い。明日だ!」
「作戦会議ではなく?」
「腹が減ってると、いい作戦も出ねえだろ!」
「順番が逆じゃないですか」
「河原で肉を焼くぞ!」
肉屋が胸を張る。
「肉は俺が用意する!」
「肉屋さんが言うと、ただの宣伝に聞こえますね」
外野手が言った。
「お前には安い肉しか食わせねえぞ!」
「すみません。応援してます」
「変わり身が早いな!」
ベンチに笑い声が戻った。
遊撃手も小さく息を吐き、スマートフォンの画面から目を離した。
「焼肉か」
「来るだろ?」
肉屋が聞く。
「高いやつが出るなら」
「お前も安い肉だ!」
「じゃあ、元四番の皿から取る」
「勝手に決めるなよ」
元四番が返す。
さっきまで黙っていた遊撃手の声が戻った。
完全にいつもどおりではない。
それでも、今はそれでよかった。
「山岸さんも来ますよね?」
肉屋が尋ねる。
「場所の使用条件を確認してからな」
「そこはお願いします!」
「言い出したやつが調べろ」
「俺は肉の準備があります!」
「一番大事なところを人に任せるな」
また笑いが起こる。
相手の強さが変わったわけではない。
僕たちの実力が、急に上がったわけでもない。
それでも、画面を囲んで黙り込んでいたときより、少しだけ呼吸がしやすくなっていた。
僕たちが高校時代に敗れた学校。
その歴史の中でも、最強と呼ばれる現役世代。
四回戦で待っているのは、僕たちが今まで見てきた中で、最も完成されたチームだった。
その相手と戦う前に。
僕たちはまず、河原で肉を焼くことになった。




