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本職の場所

 山岸さんが球審に、投手と守備位置の変更を告げた。


 僕はグラブを持ち、マウンドへ向かう。


 途中で、外野手とすれ違った。


「ごめん。全部残しちゃった」


 外野手は困ったように笑った。


「二回と三分の一、抑えただろ」


「最後だけ見ると、そうは思えないけど」


「そこまで含めて、あとは僕の仕事だ」


 外野手は一度だけうなずいた。


「頼んだ」


「分かった」


 外野手からボールを受け取る。


 その後ろを、同期の二塁手がベンチへ戻っていった。


 山岸さんが、その肩へ手を置く。


「すまんな」


「いいですよ」


 同期の二塁手は、グラウンドへ目を向けた。


「守備範囲まで考えたら、この形が一番です」


 悔しくないわけではないと思う。


 それでも、その声に不満はなかった。


 左翼から走ってきた布団屋が、二人の前を通る。


「お願いします」


「任せてください」


 布団屋は軽く手を上げ、そのまま二塁へ向かった。


 僕もマウンドへ上がる。


 三塁。


 二塁。


 一塁。


 すべての塁に、相手の走者がいた。


 一死満塁。


 四対二。


 一つ間違えれば、同点になる。


 それでも、不思議と足元は落ち着いていた。


 後輩がマスクを外し、こちらへ歩いてくる。


「肩は?」


「大丈夫」


「重さは残っていますか」


「少し。でも、投げられる」


 後輩は僕の顔を見た。


 二年前なら、ここで大丈夫とだけ答えていた。


 今は、自分の状態を隠さずに伝えられる。


「長い回は考えません」


「分かってる」


「三振も必要ありません」


 後輩は一度、僕の後ろへ目を向けた。


 つられて振り返る。


 遊撃手はそのまま遊撃に残り、左翼にいた布団屋が二塁へ入っていた。


 同期の二塁手に代わって出場する控え選手が、左翼へ向かっている。


 これまでの二試合で、布団屋は左翼や遊撃を守っていた。


 どこへ入っても、大きく崩れることはなかった。


 けれど、二塁に立つ姿には、ほかの場所では見せなかった自然さがあった。


 周囲を何度も見回すこともない。


 ベースとの距離を確かめることもない。


 最初から、そこに立つ場所を知っている。


「守備範囲を考えた形です」


 後輩が言った。


「僕も、そのつもりで投げる」


「低くお願いします」


「分かった」


 後輩が本塁へ戻る。


 投球練習を始めた。


 一球目。


 外角への真っすぐ。


 少し高い。


 二球目は、低めへのチェンジアップ。


 後輩のミットへ、沈むように収まった。


 三球目。


 内角への真っすぐ。


 腕は振れている。


 痛みもない。


 球審が投球練習の終了を告げた。


 打席へ入るのは、四番打者。


 相手ベンチから大きな声が飛ぶ。


 打者は一度だけ三塁走者を見てから、構えた。


 後輩がサインを出す。


 初球。


 外角への真っすぐ。


 わずかに外れた。


 打者は振らない。


 相手は外野手の球を待って、満塁を作った。


 投手が変わったからといって、急に打ち急ぐ理由はない。


 返球を受ける。


 後輩は、もう一度同じ場所へ構えた。


 二球目。


 今度は少し内側へ入った。


 打者が振る。


 鋭い音がした。


 打球は一塁側のベンチ上へ飛び込む。


 ワンボール、ワンストライク。


 真っすぐには合っている。


 球速で押し切れる相手ではない。


 後輩が次のサインを出す。


 低めのチェンジアップ。


 僕は小さく首を横に振った。


 後輩が別のサインを出す。


 速さを少しだけ落とした、沈みの小さいチェンジアップ。


 今度はうなずいた。


 空振りを取るための球ではない。


 打者のタイミングを、ほんの少しだけ前へずらす。


 三球目。


 腕を緩めずに投げた。


 球は真っすぐと似た軌道を通り、打者の手前で速度を失う。


 打者の足が踏み込まれる。


 バットが出た。


 捉えられた。


 強い打球が、二塁手の右へ転がった。


 二遊間。


 布団屋の一歩目が早かった。


 横へ回り込み、腰を落として打球を捕る。


[984605326/1785553424.jpg]


 そのまま流れるような動きで、二塁へ送った。


 遊撃手がベースへ入っていた。


 送球を受け、二塁を踏む。


 二つ目のアウト。


 一塁走者が滑り込んでくる。


 遊撃手は走者を避けながら体を回し、そのまま一塁へ投げた。


「来い!」


 肉屋がミットを構える。


 白い球が、その中へ収まった。


 打者走者の足より、わずかに早い。


「アウト!」


 球審の声が響いた。


 スリーアウト。


 相手ベンチから上がっていた声が止まった。


 三塁走者は本塁を踏むことなく、ベンチへ戻っていく。


 布団屋が小さく右手を上げた。


 遊撃手も、その手に応える。


 一塁の肉屋は、ボールを握ったまま叫んだ。


「よし! 完璧だ!」


「最後に捕っただけじゃないですか」


 元四番が三塁から言う。


「最後を締めるのが一塁手の仕事だろ!」


「それはそうですけど!」


 緊張が切れ、守備陣から笑い声が漏れた。


 ベンチでは、同期の二塁手も立ち上がって手を叩いていた。


 僕はマウンドを降りる。


 後輩が隣へ並んだ。


「注文どおりでした」


「少し強すぎたけど」


「布団屋さんが追いつきました」


 布団屋が捕った。


 遊撃手がつないだ。


 肉屋が受けた。


 マウンドに立っていたのは僕だった。


 けれど、危機を終わらせたのは、僕一人ではなかった。


 ベンチへ戻る途中、布団屋が僕の横を通った。


「いいところに打たせてくれましたね」


「最後は布団屋さんの守備です」


「そのあとは遊撃手がつないで、肉屋さんが捕っています」


 布団屋は穏やかに笑った。


「こういうのは、誰の手柄か決めなくてもいいでしょう」


 そのまま、ベンチへ戻っていく。


 スコアボードには、まだ四対二が残っていた。


 僕たちは二点のリードを守った。


 誰か一人の力ではなく。


 一つの球を、三人で二つのアウトに変えて。


 八回表を、終わらせた。

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