待たれる球
八回表。
先頭の九番打者は、初球からバットを動かさなかった。
外野手の真っすぐは、外角へ外れる。
二球目。
後輩は低めへ構えた。
球はミットの少し手前で沈み、土に触れる寸前で収まった。
ボール。
打者は、足元へ来た球を見下ろしただけだった。
「振らないな」
遊撃手が言った。
外野手の球が急に悪くなったわけではない。
七回までなら、今の球にもバットが出ていた。
三球目。
真ん中より少し低いところへ入り、ストライク。
打者はこれも見送った。
ワンボールでも、ツーボールでも、追い込まれていなければ手を出さない。
相手ベンチから、短い声が飛んだ。
四球目は外角へ外れた。
スリーボール、ワンストライク。
外野手が後輩を見る。
後輩は立ち上がらず、ミットを低く構えた。
五球目。
外野手は腕を振った。
球は真ん中より低いところへ向かい、最後にわずかに外へ流れた。
打者は動かない。
球審の右手も上がらなかった。
フォアボール。
先頭打者が一塁へ歩いていく。
外野手はマウンドの土をならしながら、後輩へ言った。
「振ってくれないね」
「待つと決めたみたいです」
「どうしよう」
「ストライクは必要です。でも、真ん中に集めなくていいです」
「難しいこと言うね」
「できる範囲でお願いします」
「できる範囲が広いようで狭いな」
外野手は困ったように笑った。
続く一番打者も、初球を見送った。
外角へのボール。
二球目は、内側へ入ってストライクになった。
打者は振らない。
外野手の球が動くなら、動いたあとにストライクになる球だけを待つ。
そう決めているように見えた。
三球目。
低めの真っすぐに、打者のバットがようやく出た。
打球は高く上がり、右翼方向へ飛んでいく。
右翼手が少し前へ出て捕球した。
ワンアウト。
外野手が小さく息を吐く。
二番打者が左打席へ入った。
「肩だけ作っておけ」
山岸さんが、僕へ言った。
僕はスコアボードを見た。
四対二。
まだ二点、前にいる。
「分かりました」
グラブを持って立ち上がる。
「無理に急ぐな。軽くでいい」
山岸さんはグラウンドから目を離さなかった。
控え選手に声をかけ、ベンチの奥でボールを受けてもらう。
最初は近い距離から。
右肩に痛みはない。
二回戦の重さは残っている。
それでも、腕は振れた。
グラウンドでは、二番打者が二球続けて見送っていた。
ツーボール。
三球目。
外野手がストライクを取りにいく。
球は外角へ向かい、わずかに内側へ戻った。
打者が逆らわずにバットを出す。
打球は同期の二塁手の左を抜け、中前へ転がった。
一塁走者は二塁で止まる。
一死一、二塁。
外野手は打たれた方向を見たあと、自分の右手へ目を落とした。
今までと同じように動いた球だった。
打者は、それが動いた先へバットを合わせた。
後輩がタイムを取り、マウンドへ向かう。
長い話はしなかった。
外野手が何かを言い、後輩が一度だけうなずく。
二人は、それぞれの場所へ戻った。
三番打者が右打席へ入る。
初球は外角へ外れた。
二球目も、低い。
外野手が右手を振る。
後輩は返球すると、今度は真ん中に近い位置へミットを構えた。
三球目。
真っすぐが低めに決まる。
ストライク。
打者は振らなかった。
四球目は、内側へ動いた。
これも見送る。
球審の右手は上がらない。
スリーボール、ワンストライク。
外野手が一度、二塁走者を見る。
マウンドに立ったまま、大きく息を吐いた。
五球目。
後輩のミットは低い。
外野手が投げる。
球は外角へ向かった。
打者は動かない。
後輩が体を横へずらして捕る。
フォアボール。
一死満塁。
相手ベンチから声が上がった。
大きな当たりを重ねたわけではない。
それでも、外野手の球を見極め、塁を埋めた。
七回まで打ち損じていた相手が、八回には無理に打つことをやめていた。
外野手はマウンドの上で、後輩からボールを受け取った。
球威がなくなったわけではない。
球が動かなくなったわけでもない。
変わったのは、相手の方だった。
山岸さんがベンチを出て、球審へタイムを求めた。
僕は投球を止める。
肩は温まっていた。
痛みもない。
山岸さんがマウンドへ向かう途中で、僕を見た。
「行けるか」
「はい」
返事をすると、遊撃手がこちらを見た。
一塁の肉屋も、マウンドへ視線を向けている。
最初から、僕が投げる前提で始めた試合ではなかった。
遊撃手が五回まで試合を作った。
外野手が二回を抑え、八回も一つのアウトを取った。
その先で、走者が三人並んだ。
長い回はいらない。
今、必要なのは、この場面を終わらせることだった。




