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22/31

高校一年生の左腕

 相手エースの第一球は、外角いっぱいの真っすぐだった。


 遊撃手はバットを動かさない。


 捕手のミットが鋭く鳴り、球審の右手が上がった。


「ストライク」


 球速表示には、一四一キロ。


 数字が出た瞬間、観客席から歓声が上がった。


 相手エースは表示を確かめることもなく、捕手から返ってきた球を受け取る。


 マウンドの上で、楽しそうに笑っていた。


 二球目。


 同じように腕が振られる。


 遊撃手がバットを出した。


 けれど、真っすぐと同じ軌道に見えた球は、手元で鋭く曲がった。バットが空を切り、球だけが捕手のミットへ収まる。


 一回戦の映像で見たスライダーだった。


 画面越しで見るよりも、曲がり始めるのが遅い。


 打者の近くまで、真っすぐと見分けがつかない。


 遊撃手は一度打席を外し、短く息を吐いた。


 追い込まれても、表情は変わらない。


 三球目の真っすぐをファウルにする。


 続く低めのスライダーには、バットを止めた。


「ボール」


 相手エースが少しだけ眉を上げる。


 簡単には振らないと分かったらしい。


 五球目は、緩いカーブだった。


 遊撃手は体勢を崩されながらも、三塁側へファウルにする。


 六球目。


 外角の真っすぐに振り遅れ、打球が一塁側の後方へ上がった。


 一塁手が落下地点へ入り、捕球する。


 アウトにはなった。


 それでも、六球を投げさせた。


 ベンチへ戻った遊撃手が、すぐに口を開く。


「真っすぐは表示どおり。スライダーは、見てからじゃ遅い」


「曲がりは?」


 後輩が聞く。


「大きい。でも、それより曲がり出すのが遅い。途中まで真っすぐと変わらない」


 二番の布団屋が小さくうなずき、打席へ向かった。


 相手エースは、一球目からスライダーを投げる。


 布団屋は手を出さず、ボール。


 二球目の真っすぐをファウルにし、三球目の緩いカーブにも形を崩さずついていった。


「意外と粘るな」


 肉屋が言う。


「意外とは余計ですよ」


 元四番が返した。


「眠そうな顔してるからな」


「あの人はいつもあの顔です」


 五球目。


 布団屋が外角の球へバットを合わせた。


 強い打球ではなかったが、二遊間を抜けそうな方向へ転がる。


 しかし、相手の二塁手が横へ動き、正面で止めた。


 落ち着いて一塁へ送球する。


 二つ目のアウト。


 布団屋は戻る途中で、次の外野手へ声をかけた。


「真っすぐを待っていると、緩い球に前へ出されます。スライダーは、低ければ無理に触らないほうがよさそうです」


「分かりました」


 三番の外野手は、初球の真っすぐを振った。


 捉えた打球だったが、中堅手の正面へ飛ぶ。


 三者凡退。


 相手エースは、ほとんど表情を変えずにマウンドを降りた。


「全部、簡単に打ち取られたように見えるな」


 元四番が言う。


「でも、見たものは増えました」


 後輩が答えた。


 アウトは三つ。


 それでも、遊撃手と布団屋が投げさせた球は、次の打者へ残っている。


 僕たちの攻撃は、まだ始まったばかりだった。


     *


 僕がマウンドへ上がると、先ほどまでの歓声は静まった。


 高校一年生で一四一キロを投げる左腕と、二年間マウンドを離れていた右投手。


 どちらが観客の目を引くかは、考えるまでもない。


 僕はマウンドの土をならし、後輩のサインを見る。


 先頭は右打者だった。


 初球は、外角の真っすぐ。


 見送られて、ストライクになる。


 二球目は同じ場所から、少しだけ速度を落とした。


 打者のバットが先に出る。


 引っかけた打球は、遊撃手の正面へ転がった。


 遊撃手が軽い動きで捕り、そのまま一塁へ投げる。


 一球目の相手エースほど、歓声は上がらなかった。


 それでも、アウトは同じだった。


 二番打者には、内角の真っすぐを見せる。


 次に、外へ落ちるチェンジアップ。


 打者の体が前へ出た。


 バットの先に当たった打球を、布団屋が前へ走りながら捕る。


 二人で、五球。


 三振はない。


 強い打球もない。


 僕は後輩から返ってきた球を受け取り、次の打者を待った。


 短い金髪が、左の打席へ入る。


 相手エースだった。


 バットを一度回し、こちらを見る。


 試合前と同じように、楽しそうに笑っていた。


 後輩が外角低めにミットを構える。


 初球は真っすぐ。


 狙ったところからは外れていない。


 けれど、相手エースは迷わず振った。


 鋭い打球が、一塁線の外へ飛んでいく。


 ファウル。


 タイミングは合っていた。


 後輩がすぐに次のサインを出す。


 速いチェンジアップ。


 真っすぐと同じ腕の振りで投げる。


 相手エースのバットが出た。


 今度は少しだけ早い。


 打球は三塁側のスタンドへ入った。


 二球で、速度の違いにも対応してきた。


 後輩が立ち上がり、僕のところへ歩いてくる。


「楽しそうですね」


「どっちが?」


「両方です」


「僕は普通だよ」


「なら、そのままでお願いします」


 後輩はそれだけ言って、元の位置へ戻った。


 追い込んではいる。


 けれど、簡単に終わる打者には見えない。


 三球目。


 外角へ沈むチェンジアップ。


 相手エースは、今度はバットを止めた。


 ボール。


 四球目は、内角の真っすぐ。


 少し厳しいところへ投げたつもりだった。


 相手エースは体を開かず、バットを出す。


 乾いた音がした。


 打球は一、二塁間を速く抜け、右翼手の前へ転がった。


 きれいな右前打だった。


 一塁へ到達した相手エースが、ベースの上からこちらを見る。


 もう笑ってはいなかった。


 それでも、その目は楽しそうだった。


 投げるだけではない。


 映像で見たとおり、打者としても相手の中心だった。


 次の四番打者に対し、後輩は初球からチェンジアップを要求した。


 相手エースが真っすぐを捉えた直後だからこそ、速度を変える。


 四番打者のバットが空を切った。


 二球目は外角の真っすぐ。


 三球目は、同じ腕の振りからさらに遅い球。


 打者は前へ泳ぎ、打球を二塁手の正面へ転がした。


 三つ目のアウト。


 相手エースを塁上に残し、初回を終えた。


     *


 ベンチへ戻る途中、観客席へ目を向けた。


 ポニーテールの友人が、相手エースの番号が入ったタオルを膝の上に広げている。


 その隣で、彼女がこちらを見ていた。


 目が合う前に、僕はベンチへ入った。


 何を話しているのかは聞こえない。


 ただ、友人が相手エースを指し、彼女がこちらを見ながら何かを答えていた。


 二年前の僕を知っている彼女には、今の投球がどう見えたのだろう。


 考えても分からない。


 今は、次の回だけを見ればいい。


     *


 二回表。


 四番の肉屋が、バットを肩へ乗せて打席へ向かう。


「一番いい球、持ってこい!」


 相手エースへ聞かせるような声だった。


 観客席から笑いが起きる。


 マウンドの相手エースも笑った。


 左手の中で、白い球を転がしている。


 肉屋が打席へ入り、足元をならした。


「本当に四番らしくなったな」


 遊撃手が言う。


「声だけは」


 元四番が続けた。


 相手エースがセットに入る。


 四番になった肉屋と、高校一年生の左腕。


 最初の対決が始まろうとしていた。

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