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20/31

一人で勝つチーム

 一回戦から次の週末まで、僕は一度もマウンドから投げなかった。


 肩に痛みがあったわけではない。


 翌日には重さもほとんど消えていたし、軽いキャッチボールなら問題なくできた。


 それでも後輩は、僕がブルペンのほうを見るたびに目を細めた。


「投げませんよね」


「まだ何も言ってない」


「顔に書いてあります」


「どんな顔だよ」


「少しくらいなら大丈夫だろう、って顔です」


 否定できなかった。


 結局、一週間で投げたのは、後輩を座らせずに行った軽いキャッチボールだけだった。


 その代わり、次の相手については何度も確認した。


 大会の記録と、誰かが撮った短い映像。


 高校一年生の左投手。


 速い真っすぐと、鋭く曲がるスライダー。


 緩いカーブも投げる。フォークらしい球もあったが、映像の中では何度か手前で落ちすぎていた。


 そして、打者としても相手の中心だった。


 前の試合では、投げては七回無失点。打っては三安打。


 映像を止めた後輩が言った。


「ほとんど、この人のチームですね」


「言い方が悪いな」


「悪く言っているわけではありません。それくらい、能力が抜けているということです」


 画面の中で、短い金髪の少年が笑っていた。


 三振を取った直後なのに、険しい顔はしていない。捕手から返ってきた球を指先で回し、次の打者が入るのを待っている。


 力んでいるようには見えなかった。


 それでも、投げた球は高校一年生のものとは思えない速さで、捕手のミットへ収まっていた。


「先輩より速いですね」


「分かってる」


「張り合わないでくださいね」


「張り合わないよ」


「本当に?」


「僕があの投げ方をしたら、二回で終わる」


 後輩は少しだけ笑った。


「分かっているなら大丈夫です」


「問題は打つほうか」


「そうですね。あのスライダーは、初見だと厳しいと思います」


 映像の中で、右打者が内側へ食い込むスライダーに体勢を崩していた。


 次の左打者は、外へ逃げる同じ球を追いかけて空振りする。


「曲がりが大きいだけじゃないな」


「右にも左にも使えます。途中まで真っすぐと見分けにくいです」


「真っすぐも速い。待って見極めるだけじゃ、差される」


「だから、全員で見ます」


 後輩はそう言って、ノートへ何かを書き加えた。


 一人の打席だけで攻略する必要はない。


 最初の打者が球筋を見る。次の打者がタイミングを測る。その次の打者が、前の二人から得たものを使う。


 商栄スターズは、そういう戦い方ができる。


 一回戦で、僕はそれを知った。


 画面の中の少年は、自分一人で試合を動かしていた。


 投げて、抑えて、打って、点を取る。


 僕にも、似たような時期があった。


 自分が抑えなければ負けると思い、自分が投げ続けることだけを考えていた。


 けれど、本当は違った。


 捕手が球を選び、野手が打球を処理し、打者が点を取る。


 一人で取れるアウトは、一つもない。


 相手より速い球を投げる必要もない。


 それは、二年前の僕も知っていたはずだった。


     *


 二回戦当日。


 会場の駐車場へ白いワゴン車を入れたとき、遊撃手が後部座席から身を乗り出した。


「今日、女の子多くない?」


「前見ろ。危ない」


「運転してんの、そっちじゃん」


 助手席の後輩が、窓の外へ目を向ける。


 観客席へ続く通路に、同じくらいの年齢の女子が何人も集まっていた。高校生だけではない。大学生くらいに見える人もいる。


 手にしているタオルには、同じ番号が入っていた。


「相手の投手目当てでしょうね」


「高校一年だろ?」


「人気あるみたいです」


 遊撃手が、自分の背番号を指差した。


「俺もタオル作ったら、あれくらい集まるかな」


「自分で配ることになると思います」


「お前、先輩への敬意が足りないぞ」


「尊敬できるところが見つかったら言ってください」


「強肩」


「知っています」


「守備」


「知っています」


「顔」


「それは知りません」


「見れば分かるだろ」


「毎週見ていますが、まだ判断できません」


 後ろで肉屋が笑った。


 大きな声で笑ったせいで、駐車場を歩いていた人が何人かこちらを振り返った。


「いいじゃねえか。今日は俺たちが悪役だ」


「何でそうなるんですか」


 元四番が呆れた声を出す。


「高校生の人気者を、商店街のおっさんたちが倒すんだぞ」


「僕たちまでおっさんに入れないでください」


「同じユニフォーム着たら、だいたい仲間だ」


「年齢まで統一されないだろ」


 遊撃手が窓の外を見ながら笑った。


「いいじゃん。楽しもうぜ」


 軽い言い方だった。


 けれど、その言葉を聞いて、車内の空気が少しだけほどけた。


 一回戦とは違う。


 今日は、勝てるかどうか分からない相手だった。


 それを全員が分かっている。


 僕もハンドルから手を離し、小さく息を吐いた。


「降りよう」


     *


 グラウンドへ向かう途中で、相手チームの選手たちが見えた。


 揃ったユニフォームではあったが、体つきにはばらつきがある。


 高校生らしい細い選手もいれば、少し年上に見える選手もいた。


 その中心に、映像で何度も見た金髪の少年がいた。


 映像で見るより、小柄だった。


 顔立ちも幼い。


 けれど、キャッチボールで投げた球だけは、周囲の選手と明らかに違った。


 軽く腕を振っただけに見えたのに、受けた選手のミットが後ろへ押される。


「速いな」


 元四番が足を止めた。


「まだ力入れてないだろ、あれ」


「多分」


 肉屋が腕を組んだ。


「打てない速さじゃねえ」


「まだ打席にも立ってないだろ」


「見れば分かる」


「前の試合でも同じこと言って、最初の打席で詰まってましたよね」


「あれはバットが悪かった」


「今日はバットのせいにしないでください」


「じゃあ、風だな」


「先に言い訳を決めるなよ」


 そのやり取りの間に、少年がこちらへ気づいた。


 一緒にいた選手へ何かを言い、そのまま一人で歩いてくる。


 警戒している様子はなかった。


 むしろ、知り合いを見つけたような笑顔だった。


「商栄スターズの人たちですよね」


「そうだけど」


 遊撃手が答える。


 少年の視線が、並んでいた僕たちの間を動く。


 最後に、僕のところで止まった。


「先発、あなたですか?」


「その予定です」


「やっぱり」


 少年は嬉しそうに笑った。


「有名だった人ですよね。県大会で投げてた」


「昔の話だよ」


「でも、また投げてるんですよね」


 言葉に詰まるほどではなかった。


 ただ、その言い方があまりにも真っすぐだった。


「今は、このチームで投げています」


「楽しみにしてます」


 少年はそう言ってから、僕の右手を見た。


「俺、右投手を打つの好きなんです」


「僕も左打者は嫌いじゃない」


 本当は、好きでも嫌いでもなかった。


 ただ、少しだけ返したくなった。


 少年は一瞬目を丸くして、それから声を上げて笑った。


「じゃあ、楽しめそうですね」


 それだけ言うと、仲間のところへ戻っていった。


 遊撃手が、その背中を見ながら口を開く。


「嫌なやつじゃないな」


「嫌なやつのほうが、やりやすかったか?」


「少しだけ」


 後輩は少年の背中ではなく、相手チーム全体を見ていた。


「あの人が中心なのは間違いなさそうです」


 キャッチボールを再開した少年の周りへ、自然と選手が集まっていく。


 声をかけるのも、笑わせるのも、動きを決めるのも、ほとんど彼だった。


 一人で勝つことに、慣れているように見えた。


 僕たちは、一人では勝てないことを知っている。


 それが今日、どれだけの違いになるのか。


 まだ、誰にも分からなかった。

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