最初の一勝
整列を終えると、レッドホッパーズの選手たちは、それぞれ道具を片づけ始めた。
僕もベンチへ戻ろうとしたところで、試合前に声をかけてきた選手に呼び止められた。
「やっぱり、打てなかったな」
悔しそうではあったが、表情は明るかった。
「一度、打たれてます」
「二塁打は俺じゃないよ」
「あ……すみません。まだ試合中、そこまで周りを見る余裕がなくて」
「投げてる本人は、そんなもんか」
相手は気を悪くした様子もなく笑った。
それから、僕の肩へ視線を向ける。
「でも、少し投げ方が変わった?」
答えるまでに、わずかな間が空いた。
「そうかもしれません」
「高校のときは、もっと勢いがあった気がする」
「今は、あの頃と同じようには投げられないので」
怪我のことまでは言わなかった。
相手も、深くは聞いてこなかった。
「そっか。でも、思っていたよりずっと打ちづらかったよ」
「本当ですか」
「もっと、ポテンシャルだけで押してくる投手だと思ってた。実際に立つと、球を絞れなかった」
高校時代も、元相方が打者を見ながら球を選んでくれていた。
今日も同じだった。
受ける捕手は変わっても、僕一人で投げているわけではない。
「捕手に助けてもらいました」
僕が答えると、少し離れたところで道具を片づけていた後輩が、こちらを見た。
「また謙遜してる」
相手はそう言って、右手を差し出した。
「今日は本当に、対戦できてよかった」
「こちらこそ」
握手を交わす。
「次も頑張って。プロを目指すかどうかは、そのあと考えればいいんじゃない?」
相手は軽く手を上げ、仲間たちのところへ戻っていった。
また、同じ言葉が残った。
プロ。
今の僕には、遠すぎる言葉だった。
それでも、以前のように聞かなかったことにはできなかった。
「先輩」
後輩が保冷剤を持って立っていた。
「座ってください」
「まだ片づけが」
「ほかの人がやります」
「自分の荷物くらい」
「肩が先です」
言い切られ、ベンチへ座る。
ユニフォームの上着を脱ぐと、後輩が肩の状態を確認した。
「痛みは?」
「ない」
「投げ終わった直後より、重くなっていますか」
「少しだけ」
「腕を上げてください」
言われたとおりに動かす。
途中で引っかかる感覚も、鋭い痛みもなかった。
後輩はうなずき、肩へ保冷剤を当てた。
「今日はもう投げないでください」
「投げる場所もないだろ」
「遊びのキャッチボールも禁止です」
「しないよ」
「肉屋さんに頼まれてもです」
見ると、肉屋は外野手へ向かって、ボールを投げる真似をしていた。
「もう一回投げてみろよ。今度は俺が受けてやる」
「嫌です。次は絶対に打たれます」
「一回抑えたんだから、自信持て」
「自信を持った瞬間に崩れるタイプなんです」
外野手は頑なに首を振っている。
その横で、遊撃手が肩を回していた。
「俺より無失点のやつを優先して使えば?」
「お前は二回投げただろ」
元四番が言う。
「一点取られた」
「だからって、三番打者を毎回投手にするなよ」
「俺はセンターもできるし」
「知ってる」
「何でもできる男はつらいな」
「一失点しただけで、よくそこまで言えるな」
元四番の言葉に、遊撃手が肩をすくめる。
片づけを終えた山岸さんが、保冷箱の前で立ち止まった。
「これは、今開けていいのかな」
「待ってました!」
肉屋がすぐに駆け寄った。
保冷箱の中から、大きな弁当箱が三つ出てくる。
蓋を開けると、白い飯の上に、何種類もの肉料理が隙間なく詰められていた。
「本当に肉ばかりですね」
後輩が言う。
「野菜もあるぞ」
肉屋が端を指差す。
小さな仕切りの中に、申し訳程度の漬物が入っていた。
「それを野菜に数えるんですか」
「植物だろ」
「分類の話ではありません」
紙皿へ弁当が取り分けられていく。
僕は肩を冷やしたまま、父から渡されたおにぎりを取り出した。
「お前も肉を食え」
肉屋が、山盛りの皿を差し出してくる。
「おにぎりがあります」
「おかずが必要だろ」
「量がおかしいです」
「勝った日の肉は太らない」
「初めて聞きました」
布団屋が小さく笑った。
「それなら肉屋さんは、毎日勝っているんでしょうね」
「店を開けた時点で勝ちだ」
「便利な考え方ですね」
結局、皿を受け取った。
味は、悔しいくらいにうまかった。
「どうだ」
「普通においしいです」
「普通はいらねえ」
「かなりおいしいです」
「そうだろ」
肉屋は満足そうに笑い、自分の皿へさらに肉を追加した。
山岸さんが弁当を食べながら、次の対戦表を広げる。
「次の相手も決まったよ」
何人かが紙をのぞき込む。
「どこですか」
後輩が聞いた。
山岸さんは、チーム名を指で示した。
「高校生を中心にしたチームだ。少し変わった編成だけど、投手がかなりいいらしい」
「高校生?」
元四番が眉を上げる。
「一年生の左腕だって」
山岸さんが続けた。
「速い球を投げる。特にスライダーの評価が高いそうだよ」
遊撃手が口笛を吹く。
「一年で、この大会に出てくるのか」
「投げるだけじゃない。打つほうも中心らしい」
「一人で何でもやるタイプか」
肉屋は口いっぱいに肉を入れたまま、対戦表を見下ろした。
「面白そうじゃねえか」
その顔は、五番を告げられたときよりも楽しそうだった。
山岸さんが肉屋を見る。
「今日、二安打だったね」
「次は四番だな」
「考えておくと言っただけだよ」
「活躍しただろ」
「詰まった当たりも一本あったけどね」
「ヒットはヒットだ」
肉屋は胸を張った。
布団屋が、対戦表へ目を落としたまま言う。
「次は、今日みたいには打たせてもらえなさそうですね」
「だから面白いんだろ」
肉屋が即座に返す。
僕も、紙に書かれた相手チームの名前を見た。
高校一年の左腕。
速い真っすぐと、鋭いスライダー。
投げるだけでなく、打線の中心でもある。
今日の相手とは、まったく違う。
肩には、保冷剤の冷たさが残っている。
僕は一試合を投げ終えたばかりだった。
それなのに、もう次の試合のことを考え始めていた。




