思ったより、できる
二球目も、後輩は同じ場所にミットを構えた。
外角への真っすぐ。
今度は少しだけ内側へ入ったが、審判の手が上がる。
「ストライク」
その声を聞いた瞬間、胸の奥にあった固いものが少しだけほどけた。
先頭打者は、三球目を打った。
高く弾んだ打球が、遊撃手の前へ転がる。
遊撃手は軽い足取りで前へ出ると、片手で捕り、そのまま一塁へ投げた。
「アウト」
肉屋が送球を受け、僕へ向かって大きく拳を上げた。
「一個!」
まだ一人を打ち取っただけなのに、声が大きい。
けれど、その声を聞くと少し楽になった。
二番打者は、外角の球を一、二塁間へ打ち返した。
低い打球が外野へ抜けそうになる。
だが、二塁手が横へ飛び、身体の正面で止めた。
すぐには投げられない。
それでも、打者が一塁へ着く前に立ち上がり、肉屋へ送った。
わずかな差でアウトになる。
「普通に動けるじゃん」
遊撃手が二塁手へ声をかけた。
「失礼だな」
返ってきた声には、まだ余裕があった。
三番打者は、僕の球を二球見送った。
試合前に僕へ声をかけた選手だった。
打席の中で、少し楽しそうに見える。
三球目。
後輩のサインは、チェンジアップだった。
腕を振り、真っすぐと同じ軌道へ投げ込む。
打者のバットが、わずかに早く出た。
打球は三塁側へ転がる。
元四番が前へ出て捕り、そのまま一塁へ強い球を投げた。
肉屋のミットに収まる。
三者凡退。
マウンドを降りると、後輩が僕の横へ並んだ。
「どうですか」
「まだ変な感じがする」
「球は悪くないです」
「速くない」
「だから、打たれていません」
後輩は当然のように言って、先にベンチへ戻った。
一回裏。
一番の遊撃手が、初球から振った。
鋭い打球が三遊間を抜ける。
「早いな」
元四番が笑う。
「待つ理由ないだろ」
遊撃手は一塁上で軽く肩を回した。
二番の布団屋は、二球を見送ったあと、外角の球を一、二塁間へ転がした。
打球は抜けなかった。
それでも進塁打になり、遊撃手が二塁へ進む。
布団屋はベンチへ戻りながら、特に悔しそうな顔もしていなかった。
「最低限」
「最初から狙ったのか?」
肉屋が聞く。
「結果的にです」
「便利な言葉だな」
三番の外野手が、甘く入った球を素直に打ち返した。
打球は中前へ落ち、遊撃手が二塁から帰ってくる。
商栄スターズの最初の得点だった。
ベンチから声が上がる。
高校時代のように、統一された応援ではない。
肉屋の声だけが大きく、遊撃手はベンチから何か叫び、山岸さんは静かに拍手をしている。
まとまりがあるのかないのか、よく分からなかった。
けれど、点は入った。
四番の元四番は、深い外野フライに倒れた。
五番の肉屋は、打席へ向かう前に山岸さんを見る。
「四番への第一歩だな」
「まだ五番だよ」
「次の話だ」
肉屋は大きく構えた。
いかにも長打を狙っているように見えたが、打ったのは低いライナーだった。
打球は一、二塁間を抜ける。
「つないだぞ!」
一塁へ着いた肉屋が叫ぶ。
「普通のヒットです」
後輩が言った。
「五番として完璧だろ」
追加点にはつながらなかった。
それでも、一回を終えて一対〇。
僕たちが先に点を取った。
二回表。
先頭打者に二塁打を打たれた。
少し高く入った真っすぐだった。
続く打者は、進塁打を狙ってくる。
後輩は低めへ球を集めさせた。
一死三塁。
次の打者が外野へ高い球を打ち上げる。
布団屋が前へ出た。
落下地点へ迷わず入り、余裕を持って捕る。
三塁走者がスタートした。
布団屋の返球は、遊撃手ほど強くない。
それでも、無駄のない動きで内野へ返した。
走者はホームへ入り、同点になる。
布団屋が遠くから小さく手を上げた。
後輩も「十分です」と返すように、ミットを上げる。
犠牲フライ。
僕の失点だった。
けれど、肩に痛みはない。
次の打者へ、同じように投げればいい。
後続を内野ゴロに打ち取り、二回を終えた。
ベンチへ戻ると、肉屋が紙コップを差し出してきた。
「一点くらい気にすんな」
「気にしてません」
「強がるなよ」
「本当に」
「じゃあ、俺が取り返してやる」
「次の打席、まだ先ですよ」
後輩が言う。
「気持ちの話だ」
その言葉どおりかは分からないが、二回裏に打線がつながった。
七番の後輩が四球を選ぶ。
八番の二塁手が送り、僕の打席が回ってきた。
「打てますか、エース様」
ネクストから戻ってきた遊撃手が聞く。
「その言い方やめろ」
「投げるだけで疲れてるかと思って」
「まだ二回だ」
久しぶりに立つ打席は、マウンドよりも狭く感じた。
打つことまで考える余裕はなかった。
それでも、甘く入った球へバットを出す。
打球は高く跳ね、二塁手の前へ転がった。
僕は一塁でアウトになったが、後輩は三塁へ進んだ。
二死三塁。
遊撃手が、初球を左中間へ運んだ。
後輩が帰り、再び勝ち越す。
「ナイス進塁打」
ベンチへ戻った僕に、布団屋が言った。
「狙ってません」
「結果的に、ですね」
さっき自分が使った言葉を返される。
三回には、元四番が長打を放った。
外野の頭を越えた打球で、三番の外野手が一塁から一気に帰ってくる。
元四番は二塁上で、肉屋へ向かって胸を張った。
「これが四番」
「一本で偉そうにすんな!」
肉屋も続いて安打を放った。
ただし、打球は詰まりながら外野の前へ落ちたものだった。
「これも四番の打撃だ」
「五番だろ」
遊撃手が訂正する。
「次の四番だ」
ベンチに笑いが起きた。
四回表。
強い打球が三塁線へ飛んだ。
元四番が横へ飛び、グラブへ収める。
立ち上がると同時に一塁へ投げた。
少し送球が逸れる。
肉屋が大きな身体を伸ばし、ベースから足を離さずに捕った。
「アウト」
「何でも捕るって言っただろ!」
肉屋が元四番へ叫ぶ。
「今のは俺のプレーですからね」
「最後に捕ったのは俺だ」
「ほとんど俺だろ!」
「最後が一番大事なんだよ」
次の打者は、外野へ大きな打球を飛ばした。
中堅の外野手が背走する。
思ったよりも打球が伸びた。
それでも最後まで目を切らず、フェンスの手前で追いついた。
攻撃だけで三番に入っているわけではないらしい。
五回には、布団屋が左翼線へ落ちそうな打球を滑り込んで捕った。
二塁手も、難しいバウンドを身体の正面で止めた。
遊撃手は深い位置からでも、簡単そうに一塁へ投げた。
元四番も、肉屋も、外野手たちも。
高校時代の仲間だけではない。
商店街で集まった人間も、草野球を続けていた人間も、思っていた以上に動けている。
僕が、すべての打者を三振に取る必要はなかった。
打たせても、誰かが捕ってくれる。
その感覚を、僕は二年間忘れていた。
五回裏、後輩の適時打に相手のミスも絡み、二点を追加した。
さらに、元四番の犠牲フライでもう一点。
これで六対一。
六回表。
球数は増えていた。
序盤より、腕も少し重い。
それでも痛みはなかった。
二死を取ったあと、最初に僕へ声をかけた選手が打席へ入った。
「最後かな」
相手が小さく言った。
「たぶん」
「じゃあ、一回くらい打たせてよ」
「それは困ります」
後輩がミットを構える。
初球は外角の真っすぐ。
ファウル。
二球目は低めのチェンジアップ。
打者のバットが止まる。
ボール。
三球目。
もう一度、同じ腕の振りから、違う沈み方をする球を投げた。
打者の体勢が崩れる。
打球は力なく二塁の前へ転がった。
二塁手が落ち着いて捕り、肉屋へ送る。
「アウト」
六回を投げ終えた。
一失点。
高校時代なら、満足できる数字ではなかったかもしれない。
三振も少ない。
球速も戻っていない。
守備に助けられた場面も多かった。
それでも、試合を壊さずに六回まで投げた。
ベンチへ戻ると、山岸さんが僕へ手を差し出した。
「今日はここまで」
僕はボールを渡した。
「まだ投げられます」
「知ってるよ」
「なら」
「次もあるかもしれないからね」
山岸さんは穏やかな声で言った。
反論しかけて、やめた。
肩には痛みがない。
だからこそ、ここで終えるべきなのかもしれない。
後輩が隣へ座る。
「六回一失点です」
「知ってる」
「悪くありません」
「三振が少ない」
「アウトは全部同じです」
グラウンドでは、遊撃手がマウンドへ向かっていた。
布団屋が左翼から遊撃へ移る。
僕の代わりに、控えの外野手が左翼へ入った。
試合はまだ終わっていない。
それでも、自分の役目を終えたのだと思った瞬間、身体から少し力が抜けた。
六回一失点。
二年ぶりの試合。
僕は、ちゃんと投げることができた。




