最初の一球
指定された更衣場所で、背番号十一のユニフォームに着替えた。
濃緑のアンダーシャツに袖を通し、その上からユニフォームを着る。何度も試着しているはずなのに、今日は背中の数字が少し重く感じた。
隣では、遊撃手が明るい髪を押さえながら帽子をかぶっている。
「やっぱ似合わねえな、これ」
「髪のほうを合わせろよ」
「今さら黒くしろって?」
「帽子に入れればいい」
「個性が死ぬだろ」
元四番が呆れた顔で、遊撃手の帽子を深く押し込んだ。
「試合中に直すなよ」
「雑に扱うなって」
少し離れたところでは、肉屋が自分の腹まわりを見下ろしていた。
「縮んでないか、これ」
「肉屋さんが大きくなったんじゃないですか」
布団屋が答える。
「まだ育つ年齢だからな」
「横にですか?」
「全体的にだ」
昔から同じチームだった人間と、商店街で集まった人間が、同じユニフォームを着ている。
練習では何度も見ていた。
それでも、全員が揃った姿を見ると、ようやく商栄スターズというチームが本当にできたような気がした。
着替えを終えると、山岸さんが全員を集めた。
手元の紙には、今日の打順と守備位置が書かれている。
「一番、遊撃手」
「はい」
「二番、布団屋。左翼」
「外野ですか」
「何か問題でも?」
「いえ。広くて気持ちよさそうだなと」
「昼寝はするなよ」
肉屋が言う。
「三番、中堅」
名前を呼ばれた外野手が、軽く手を上げた。
打撃なら、今回集まった選手の中でも安定している。本人はあまり目立とうとしないが、山岸さんが三番に置いたことに、周囲から異論は出なかった。
「四番、元四番。三塁」
「元はいらないです」
「呼び名だから仕方ないね」
「今日打ったら、四番に戻してください」
「それでも元四番だろ」
遊撃手が横から口を挟む。
「うるさい」
「五番、肉屋。一塁」
「四番じゃねえのか」
肉屋が不満そうに言った。
「今日は五番だよ」
山岸さんは紙から顔を上げない。
「まあいいや。活躍したら、次は四番にしろよ」
「考えておくよ」
「約束だぞ」
「まずは一塁の送球を捕ってください」
後輩が言った。
「打つほうも守るほうも任せろ」
山岸さんは淡々と続ける。
六番は右翼を守る外野手。
七番は捕手の後輩。
八番は、布団屋と二塁を争う同期の二塁手。
そして九番。
「九番、投手。先発は君だ」
「はい」
分かっていたことなのに、改めて告げられると胸の奥が少し固くなった。
「今日は六回を目安にする」
山岸さんが全員を見渡す。
「状態が良くても、無理には引っ張らない。そのあとは遊撃手に投げてもらう」
「了解」
遊撃手が軽く答える。
「お前が投げるときは、布団屋が遊撃へ回る」
布団屋が少しだけ目を開いた。
「久しぶりですね、遊撃」
「できるんだよね?」
「肩はそこの金髪ほど強くないですけど、捕るくらいなら」
「送球もしろよ」
「届かなかったら拾ってください」
一塁の肉屋が胸を叩く。
「何でも捕ってやる」
「その言葉、覚えておきます」
「最後の一回は、状況を見て中堅にも投げてもらう」
外野手が自分を指差した。
「本当に投げるんですか」
「点差があればね」
「打たれ始めたら?」
「遊撃手に戻ってもらう」
「最初から遊撃手でよくないですか」
「三回戦があるかもしれないから、使える投手は確認しておきたい」
外野手は納得していない顔のまま、うなずいた。
「分かりました。期待はしないでください」
「してないから安心しろ」
遊撃手が言う。
「それもひどくないですか」
小さな笑いが起きた。
山岸さんは紙を折り畳む。
「初戦だからといって、特別なことをする必要はないよ。できることを一つずつやろう」
全員がグラウンドの外へ出て、身体を動かし始めた。
軽く走り、ストレッチをする。
土の上でスパイクを履く感覚は、練習場所とは少し違った。
地面を踏むたび、身体の奥に残っていた眠気が消えていく。
後輩と距離を取り、キャッチボールを始める。
最初は近い位置から。
腕を強く振らず、身体全体を使って投げる。
後輩のミットが、小さな音を立てた。
もう一球。
今度は少しだけ距離を広げる。
「どうですか」
「悪くない」
「重さは?」
「さっきより気にならない」
身体が温まったからなのか、試合が近づいて意識が別の場所へ移ったからなのかは分からない。
後輩は僕の言葉を聞き、さらに数歩下がった。
球を返す。
投げる。
ミットの音が、少しずつ強くなっていく。
周囲では、遊撃手と布団屋が軽快にボールを回していた。元四番は三塁からの送球を確かめ、肉屋が一塁で大きな身体を伸ばして捕っている。
外野へ打ち上げられた球を、布団屋がほとんど走らずに捕った。
最初から落下地点を分かっていたような入り方だった。
「外野も普通にできるじゃん」
近くにいた遊撃手が声を上げる。
「普通ですよ」
「その普通が怪しいんだよな」
「褒めてます?」
「一応」
布団屋は眠たげな顔のまま、内野へ球を返した。
前の試合が終わり、グラウンド整備が始まる。
白いラインが引き直され、ベースが置かれていく。
僕と後輩はブルペンへ移った。
後輩が防具を着け、腰を落とす。
「最初は真っすぐからいきましょう」
「分かった」
振りかぶらず、セットから投げる。
ボールは要求より少し高く入った。
「もう一球」
次は低すぎた。
後輩は何も言わず、同じ場所にミットを構えた。
三球目。
ようやく狙った高さへ入る。
「今のです」
「二球外したけど」
「試合前なので問題ありません」
チェンジアップを数種類。
曲がりの小さい球。
腕の振りを変えずに沈ませる球。
後輩が投球ノートにつけた記号を短く口にし、そのたびに握りを変える。
最後にもう一度、真っすぐを投げた。
後輩のミットが乾いた音を響かせる。
「これでいきましょう」
後輩が立ち上がった。
「本当に?」
「はい」
「高校のときより遅い」
「速度を測ったんですか」
「感覚で分かる」
「打者が打てるかどうかは、速度だけでは決まりません」
後輩は防具についた土を払った。
「今日、昔の先輩を見せる必要はないです」
「分かってる」
「今の先輩が投げればいいです」
ブルペンを出る。
グラウンドでは、レッドホッパーズの選手たちが守備練習を始めていた。
先ほど僕へ声をかけた選手が、こちらに気づいて軽く手を上げる。
僕も小さく返した。
審判から集合の声がかかる。
両チームがホームベースを挟んで並び、頭を下げた。
「お願いします!」
声が重なる。
商栄スターズは先に守る。
僕はマウンドへ向かった。
一歩ずつ土を踏み、プレートの前に立つ。
後輩がホームベースの後ろでマスクをかぶる。
内野では、遊撃手が軽く跳ね、元四番が腰を落とした。肉屋は一塁からこちらを見て、笑いながら拳を上げる。
外野にも、同じユニフォームを着た仲間がいる。
周りを見れば、僕一人で試合をするわけではないと分かった。
先頭打者が打席へ入る。
後輩がミットを構えた。
最初のサインは、真っすぐ。
元相方から届いた言葉を思い出す。
最初の一球、楽しめ。
楽しめるかは、まだ分からない。
けれど、投げることはできる。
僕はプレートを踏み、息を吐いた。
足を上げる。
二年ぶりの試合で投じた最初の一球は、後輩の構えたミットより、わずかに外へ外れた。
「ボール」
審判の声が響く。
完璧ではなかった。
それでも、肩に痛みはなかった。
後輩がすぐにボールを返してくる。
マスクの奥で、少しだけ笑っているように見えた。
もう一度、同じところへミットが構えられる。
僕は返ってきたボールを握った。
最初の一球は終わった。
次の一球を投げればいい。




