↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/31

最初の一球

 指定された更衣場所で、背番号十一のユニフォームに着替えた。


 濃緑のアンダーシャツに袖を通し、その上からユニフォームを着る。何度も試着しているはずなのに、今日は背中の数字が少し重く感じた。


 隣では、遊撃手が明るい髪を押さえながら帽子をかぶっている。


「やっぱ似合わねえな、これ」


「髪のほうを合わせろよ」


「今さら黒くしろって?」


「帽子に入れればいい」


「個性が死ぬだろ」


 元四番が呆れた顔で、遊撃手の帽子を深く押し込んだ。


「試合中に直すなよ」


「雑に扱うなって」


 少し離れたところでは、肉屋が自分の腹まわりを見下ろしていた。


「縮んでないか、これ」


「肉屋さんが大きくなったんじゃないですか」


 布団屋が答える。


「まだ育つ年齢だからな」


「横にですか?」


「全体的にだ」


 昔から同じチームだった人間と、商店街で集まった人間が、同じユニフォームを着ている。


 練習では何度も見ていた。


 それでも、全員が揃った姿を見ると、ようやく商栄スターズというチームが本当にできたような気がした。


 着替えを終えると、山岸さんが全員を集めた。


 手元の紙には、今日の打順と守備位置が書かれている。


「一番、遊撃手」


「はい」


「二番、布団屋。左翼」


「外野ですか」


「何か問題でも?」


「いえ。広くて気持ちよさそうだなと」


「昼寝はするなよ」


 肉屋が言う。


「三番、中堅」


 名前を呼ばれた外野手が、軽く手を上げた。


 打撃なら、今回集まった選手の中でも安定している。本人はあまり目立とうとしないが、山岸さんが三番に置いたことに、周囲から異論は出なかった。


「四番、元四番。三塁」


「元はいらないです」


「呼び名だから仕方ないね」


「今日打ったら、四番に戻してください」


「それでも元四番だろ」


 遊撃手が横から口を挟む。


「うるさい」


「五番、肉屋。一塁」


「四番じゃねえのか」


 肉屋が不満そうに言った。


「今日は五番だよ」


 山岸さんは紙から顔を上げない。


「まあいいや。活躍したら、次は四番にしろよ」


「考えておくよ」


「約束だぞ」


「まずは一塁の送球を捕ってください」


 後輩が言った。


「打つほうも守るほうも任せろ」


 山岸さんは淡々と続ける。


 六番は右翼を守る外野手。


 七番は捕手の後輩。


 八番は、布団屋と二塁を争う同期の二塁手。


 そして九番。


「九番、投手。先発は君だ」


「はい」


 分かっていたことなのに、改めて告げられると胸の奥が少し固くなった。


「今日は六回を目安にする」


 山岸さんが全員を見渡す。


「状態が良くても、無理には引っ張らない。そのあとは遊撃手に投げてもらう」


「了解」


 遊撃手が軽く答える。


「お前が投げるときは、布団屋が遊撃へ回る」


 布団屋が少しだけ目を開いた。


「久しぶりですね、遊撃」


「できるんだよね?」


「肩はそこの金髪ほど強くないですけど、捕るくらいなら」


「送球もしろよ」


「届かなかったら拾ってください」


 一塁の肉屋が胸を叩く。


「何でも捕ってやる」


「その言葉、覚えておきます」


「最後の一回は、状況を見て中堅にも投げてもらう」


 外野手が自分を指差した。


「本当に投げるんですか」


「点差があればね」


「打たれ始めたら?」


「遊撃手に戻ってもらう」


「最初から遊撃手でよくないですか」


「三回戦があるかもしれないから、使える投手は確認しておきたい」


 外野手は納得していない顔のまま、うなずいた。


「分かりました。期待はしないでください」


「してないから安心しろ」


 遊撃手が言う。


「それもひどくないですか」


 小さな笑いが起きた。


 山岸さんは紙を折り畳む。


「初戦だからといって、特別なことをする必要はないよ。できることを一つずつやろう」


 全員がグラウンドの外へ出て、身体を動かし始めた。


 軽く走り、ストレッチをする。


 土の上でスパイクを履く感覚は、練習場所とは少し違った。


 地面を踏むたび、身体の奥に残っていた眠気が消えていく。


 後輩と距離を取り、キャッチボールを始める。


 最初は近い位置から。


 腕を強く振らず、身体全体を使って投げる。


 後輩のミットが、小さな音を立てた。


 もう一球。


 今度は少しだけ距離を広げる。


「どうですか」


「悪くない」


「重さは?」


「さっきより気にならない」


 身体が温まったからなのか、試合が近づいて意識が別の場所へ移ったからなのかは分からない。


 後輩は僕の言葉を聞き、さらに数歩下がった。


 球を返す。


 投げる。


 ミットの音が、少しずつ強くなっていく。


 周囲では、遊撃手と布団屋が軽快にボールを回していた。元四番は三塁からの送球を確かめ、肉屋が一塁で大きな身体を伸ばして捕っている。


 外野へ打ち上げられた球を、布団屋がほとんど走らずに捕った。


 最初から落下地点を分かっていたような入り方だった。


「外野も普通にできるじゃん」


 近くにいた遊撃手が声を上げる。


「普通ですよ」


「その普通が怪しいんだよな」


「褒めてます?」


「一応」


 布団屋は眠たげな顔のまま、内野へ球を返した。


 前の試合が終わり、グラウンド整備が始まる。


 白いラインが引き直され、ベースが置かれていく。


 僕と後輩はブルペンへ移った。


 後輩が防具を着け、腰を落とす。


「最初は真っすぐからいきましょう」


「分かった」


 振りかぶらず、セットから投げる。


 ボールは要求より少し高く入った。


「もう一球」


 次は低すぎた。


 後輩は何も言わず、同じ場所にミットを構えた。


 三球目。


 ようやく狙った高さへ入る。


「今のです」


「二球外したけど」


「試合前なので問題ありません」


 チェンジアップを数種類。


 曲がりの小さい球。


 腕の振りを変えずに沈ませる球。


 後輩が投球ノートにつけた記号を短く口にし、そのたびに握りを変える。


 最後にもう一度、真っすぐを投げた。


 後輩のミットが乾いた音を響かせる。


「これでいきましょう」


 後輩が立ち上がった。


「本当に?」


「はい」


「高校のときより遅い」


「速度を測ったんですか」


「感覚で分かる」


「打者が打てるかどうかは、速度だけでは決まりません」


 後輩は防具についた土を払った。


「今日、昔の先輩を見せる必要はないです」


「分かってる」


「今の先輩が投げればいいです」


 ブルペンを出る。


 グラウンドでは、レッドホッパーズの選手たちが守備練習を始めていた。


 先ほど僕へ声をかけた選手が、こちらに気づいて軽く手を上げる。


 僕も小さく返した。


 審判から集合の声がかかる。


 両チームがホームベースを挟んで並び、頭を下げた。


「お願いします!」


 声が重なる。


 商栄スターズは先に守る。


 僕はマウンドへ向かった。


 一歩ずつ土を踏み、プレートの前に立つ。


 後輩がホームベースの後ろでマスクをかぶる。


 内野では、遊撃手が軽く跳ね、元四番が腰を落とした。肉屋は一塁からこちらを見て、笑いながら拳を上げる。


 外野にも、同じユニフォームを着た仲間がいる。


 周りを見れば、僕一人で試合をするわけではないと分かった。


 先頭打者が打席へ入る。


 後輩がミットを構えた。


 最初のサインは、真っすぐ。


 元相方から届いた言葉を思い出す。


 最初の一球、楽しめ。


 楽しめるかは、まだ分からない。


 けれど、投げることはできる。


 僕はプレートを踏み、息を吐いた。


 足を上げる。


 二年ぶりの試合で投じた最初の一球は、後輩の構えたミットより、わずかに外へ外れた。


「ボール」


 審判の声が響く。


 完璧ではなかった。


 それでも、肩に痛みはなかった。


 後輩がすぐにボールを返してくる。


 マスクの奥で、少しだけ笑っているように見えた。


 もう一度、同じところへミットが構えられる。


 僕は返ってきたボールを握った。


 最初の一球は終わった。


 次の一球を投げればいい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。