第八章 王家の者の葛藤
雪が落ち着き始め、肌を刺すような北風もほとんど吹かなくなった。この地域では年に三か月ほどしかない、温暖期の到来である。
俺たちにとっては過ごしやすい日々が続いたが、上機嫌な理由はそれだけじゃない。先日披露した『ストレイ』が、想像を遥かに上回るほどの大成功を収めたのだ。
公演では、最終日まで満員近くもの観客が観に来てくれた。そしてどの日も、大歓声に包まれながら幕を下ろせた。観客たちを失望させないか不安だったので、また良い結果に終われて胸を撫で下ろす思いだ。
『ストレイ』の成功ぶりは、数字としても目に見えて表れていた。まず、三日間の公演を終えての収益が、なんと四十八ポンドほど。前回より十ポンド以上も多い金額である。
そして何より重要なのが、ジオカーレ劇場における出演者たちの人気投票だ。今度こそ一位を取れると信じていたが、結果は僅差でダンザの票数を上回っての一位。念願がついに叶い、村は歓喜の渦に包まれた。
観客の感想も上々だ。ローラの演技は相も変わらず大絶賛だったが、俺の脚本と演技も負けないくらい高く評価してもらえた。
それ以外にも、ストレイが飛び降りるシーンを演出したパグ。そして、子どもながらに迫力ある演技を見せてくれたフトゥーロくん。彼らを始めとするほかのみんなも、同様に褒めてもらえている。みんなと積み重ねてきた稽古の日々が報われ、これほどうれしいことはなかった。
「一位だったってことは、今夜もごちそうだ!」
そう子どもたちがはしゃぎ始めたので、俺たちは期待に応え、買い出しに行くことを決める。
メンバーは、前に宴の買い出しに行ったときと同じ、俺とローラとパグの三人だ。最近は、この三人で出かけることが多くなった。仲が良いのは確かだが、パグに関してはチーノと会うチャンスを狙っているのが本音だろう。
「そんじゃあ、うめえもんをたくさん買ってくるから、待ってろよ! ちびども!」
パグが大声を上げながら荷馬に乗り、あっという間に村を飛び出してしまう。呆れつつ、俺も急いでローラをワゴンに乗せ、もう一匹の荷馬に跨った。
馬を走らせる前に、俺はみんなに挨拶しようと振り向く。すると、マスコロさん、バトラーさん、モグリーさんの三人が横並びになり、俺だけにウィンクをしてきた。俺もローラに気づかれないようこっそりとうなずき、今度こそ馬を走らせた。
「おいおい、そんなにとろとろと走っていたら日が暮れちまうぞ!」
パグのご機嫌な喚き声は、ブライダル城下町に到着するまで続いた。ローラは耳を塞いで無視を決め込んでいたので、仕方なく俺一人で応対する。やかましいことこの上ないが、雪が溶けて道が走りやすくなっていたので、悪いことばかりでもなかった。
城下町のゲート前に着き、パグが早速中に入ろうとする。俺は手の平をパグに向けることで、すぐにそれを遮った。
首を傾げているパグとローラを尻目に、俺はゲートの前で立っている、とある人物に声をかける。みすぼらしいコートを着て、頭にはフードを被っているようだ。そして、俺の存在に気づくなり、その人物は手を振ってこちらへ駆け寄ってきた。
「知り合いかよ、アスーム?」
大声で尋ねるパグに対し、その人物は俺より先に答えてくれる。
「私ですよ!」
フードを外し、その人物――チーノは、艶やかな赤い長髪を露わにした。予想外の登場に、ローラはうれしそうに驚き、一方のパグは言葉が出ずにうろたえてしまう。
「黙っていて悪かったな。チーノとは、お互いに公演が終わったら、一緒にお菓子でも食べようって約束していたんだ」
俺から経緯を話すと、ローラは「そうなんだ」と納得してくれた。パグのほうはというと、まだ動揺が収まる気配がない。先ほどまでの自信はどこへやら、全く格好がつかないパグに、俺とローラはどっと笑った。
ローラがチーノの手を引っ張り、隣に座らせる。二人のお嬢さまを乗せたワゴンを、俺は荷馬で引いていった。パグはまだ口を利ける状態じゃないのか、かなり離れたところから付いてきていた。
「いつもは上品なドレスを着ているから、すぐにあなただって気づかなかったわ。その格好は変装?」
俺が手綱を引いている後ろで、ローラがチーノに質問する。チーノも自分たちに会えてうれしいのか、声を弾ませて答えた。
「それもあるけど、私はそもそも下層育ちなんですよ。だから、こういう服もいくつか余っていて。団長に見つかりたくないときとかに、よくこの格好で下層を散策するんです」
初耳な話に、ローラは「なるほどね」と興味津々でうなずく。俺はというと、以前会ったときに教えてもらっているので、特に驚くようなことはしない。
目的の場所に着くまで、しばらく二人の会話でも聞いていようと考えた。しかし、ローラが急に声を潜めだしたので、俺は聞き取れずについ聞き返してしまう。
「あなたとアスームって……いつの間に仲良く……私もアスームのこと……」
「ん? ローラ、何て言ったんだ?」
ローラが小さな悲鳴を上げたので、馬を止めて振り返る。ローラはなぜだか顔を真っ赤にしており、チーノも焦りの表情を浮かべていた。
「アスームさん、今はガールズトークの最中なので……」
「聞き耳立てないでよ、ばか!」
怪訝に思っていたところ、二人にそう怒られ、俺は乗馬に専念させられてしまう。それからはひそひそ声で話すようになってしまったので、俺は仕方なく会話を聞くのを諦めた。
やがて、俺たちは目的の場所に到着する。チーノ曰く、古くから下層で商いをしているというお菓子屋だ。
決して格式の高い店というわけではないが、下層で生まれ育った者にとっては馴染み深い店である。仄かに甘い香りが漂っており、今も子どもたちが無邪気に店を出入りしているようだった。
荷馬を近くに留め、俺が先導してドアを開けると、カランカランとドアベルが鳴った。何台かのテーブルが壁際に並び、その上ではトレイに入ったお菓子の数々が陳列されている。中央では子どもたちが食卓を囲い、夢中になってガレットにかじりついている。奥ではエプロンを着た店主のお婆さんが、たくさんの菓子を石窯に入れて焼いている様子が窺えた。
「これはエショデか、懐かしいな」
各々で菓子を選んでいたところ、俺が何気なく呟いた一言にパグが反応した。
「懐かしいって、前に食ったことがあんのか?」
特に隠すことでもないと思い、俺は答える。
「ああ。俺もチーノと同じ、下層育ちの人間なんだよ。この店に通っていたわけじゃないけど、よく母さんが買ってきてくれて、一緒に食べていたんだ」
「んん? おめえの母ちゃんって村にはいねえ――」
パグが怪訝な顔をして言いかけた途端、そばにいたローラが慌ててパグの口を塞いだ。すでに事情を知っているから、気遣ってくれたのだろう。俺としては別に気にしなかったが、ローラがパグを向こうへ連れていってしまったので、俺も会話を止めた。
みんなより遅れて菓子を選び終え、小皿に乗せて会計を済ませる。パグに急かされて振り向くと、みんなが四席ある食卓を確保してくれていることに気づいた。俺とローラは片方の二席に、パグとチーノは向かい側の二席に座った。
「じゃあ、早速食べましょっか!」
ローラの呼びかけにうなずき、俺たちはいただきますをして、各々の菓子を口にする。俺は懐かしかったエショデと、子どもたちが食べていたガレットを選んだ。
エショデのほうは、強めの塩加減とアニスによる香りづけが、ほかにない味わいを生んでいる。ガレットのほうも、サクサクとした食感に、ほんのりとした甘味が美味しかった。
みんなで分け合ったりもして、菓子を半分ほど食べ終える。ここでチーノから、俺たちが演じた『ストレイ』の話題が上がった。
以前に会ったときもそうだったが、チーノは『ストレイ』を観て興奮が冷めない様子だ。ローラは言わずもがな、俺とフトゥーロくんの演技も高く評価してくれた。
チーノはほかにも、ストレイが屋根から飛び降りるシーンにおける、裏方の仕事ぶりを称賛する。それを聞き、パグは声を上擦らせながらも「おいらがその裏方なんだ」と名乗り出た。
「わあ、そうなんですね! 姿がほとんど見えなかったから、没入感が薄れなくてすごいなって思っていました! きっとたくさん練習を積まれたんでしょうね!」
チーノに絶賛されて、パグはうれしさのあまり顔がふにゃふにゃになってしまう。ここで、ローラがパグの足をちょんちょんと蹴り、チーノに気づかれないようこっそりと言った。
「パグ、アピールチャンスなんじゃない?」
ローラに煽られ、パグは眦を決してすっかりその気になってしまう。俺は早まるなと言おうとしたが、パグの猪突猛進は止まらない。
「チーノちゃん、あのさ!」
急に大声で話しかけられ、チーノは目をぱちくりさせる。パグはトマトみたいに顔を真っ赤にしながらも、最後まで言葉を続けた。
「おいらさ! ローラお嬢ちゃんやアスームみてえに、いっぱしのことはできねえんだけどよ。今回のは特に頑張って練習したから、そんな風に言ってもらえて、すげえうれしい。できたらこの先、おいらのことも応援してくれねえかな」
俺たちが固唾を呑んで見守る一方で、チーノは予想外の言葉に呆然としていた。もしかすると、恥じらいながらのアプローチを受けて、チーノはパグの恋心に気づいたのかもしれない。
少しの沈黙のあと、チーノは頬を染めながらも柔和に笑い、パグに言う。
「はい、もちろんです。公演が終わったら、またこうして語り合えたらなって思っています」
意外にも好感触な反応に、今度は俺たちが呆然とする。パグはずっと不安だったのか、チーノに聞き入れてもらえて心底安堵しているようだ。その様子がおかしかったのか、チーノはクスクスと笑いながら、パグの腕をポンポンと叩いて労う。
「これで、二人の仲が進展してくれれば良いんだけどね」
「そうだな」
俺とローラは目を合わせ、パグたちに見えないところで密かにハイタッチした。
チーノにたくさん褒めてもらったので、今度は俺たちがチーノの舞踊を褒めようとする。しかし、話題を変えようとした瞬間、ドアベルの音に遮られてしまう。
ドアのほうに注目すると、一人のおじさんが入店してきたようだった。そして、厨房にいる店長さんに向かって声を上げる。
「婆さん。次期国王の噂、聞いたか?」
厨房からのっそりとやってくる店長さんに対し、おじさんは言葉を続けた。
「リシャール王が、依然として次期国王をロリアーナ嬢に任命する意向だって、表明したそうなんだよ。新聞にも載っていたみたいだから、信憑性は確かだぜ」
「ロリアーナ嬢って、あれかい? 確か失踪したっていう……」
「そうだ。黙っていなくなった娘を、今なお信じて待ってくれているなんて、すてきな親父さんだよな。これだけ良い親父さんを持ちながら、ロリアーナ嬢はどうして家出なんかしでかしたんだろうなあ。妹君のベルティーナ嬢も、次期国王になれなくて、ずっと不満を抱いているみたいだしな」
店長さんとおじさんの会話を聞き、パグは呆れたように呟いた。
「次期国王が失踪中って、一体この国はどうなっちまうんだよ」
隣のチーノも、心配そうな面持ちでうなずく。
俺はパグの言葉に乗っかることができなかった。無論、ロリアーナ嬢、もといローラの決断を尊重しているからである。
しかしながら、みんなの失望した反応に、ローラ自身は耐えられなかったようだ。突然椅子から立ち上がり、俺たちににこりと笑いかけながら、ローラは言う。
「ごめん、何だか風に当たりたくなっちゃって。少しだけ席を外させてもらえる?」
パグとチーノはきょとんとするばかりだ。二人はローラの正体を知りえないから、不思議に思うのも無理はない。
城から逃亡し、国や父を裏切った罪悪感を、ローラは今なお抱き続けているのだろう。どんな時でも気丈に振る舞っていたが、本心ではきっと、計り知れないほどの葛藤に苛まれていたに違いない。
それでも気が気でなかったので、俺も急いで立ち上がり、駆け寄ってローラを呼び止めた。しかし、ローラは首を振り、俺の制止を拒む。
「お願い、一人にさせて。特にあなたには、落ち込んでいるところばかり見せて、幻滅されたくないの」
俺にしか聞こえない声量で、ローラが言う。俺はその切実な願いを断れなかった。店を出ていくローラの小さな背中を、黙って見送ることしかできない自分に腹が立った。
肩を落としながら席に戻ると、突然チーノに声をかけられる。俺が目を向けると、チーノは意気込みを露わにして言った。
「アスームさん。ローラさんを励ますためにも、そろそろ例の計画を始めませんか?」
それを聞き、俺は城下町へ来た本当の目的を思い出した。微笑みながら、俺はチーノに感謝を述べる。
「むしろ、今しか絶好のチャンスはないだろうな。ありがとう、チーノ」
チーノが謙遜する一方で、パグは何が何だかさっぱりわからない様子だ。
「なあ、おいらを置いてけぼりにしねえで、何の話をしてんのか教えてくれよ」
問い詰めるパグに対し、俺とチーノは互いに目を合わせ、にっと笑って答えた。
「実はな、今日は――」
ローラが付近にいない間に、俺は外へ出て計画の準備を済ませ、店に戻る。その五分後くらいに、ローラも姿を見せた。
申し訳なさそうにするローラ。俺たちはにこにこと笑いながら、気にしていないとばかりに首を振る。
「みんな、ずっと笑ってばかりで、何だか変よ。どうしたの?」
ローラが気味悪がりながら尋ねる。俺たちは一緒に「せーの」とかけ声を上げ、歌い始めた。
私たちに愛を 与えてくれてありがとう
私たちの愛を 受け取ってくれてありがとう
これからも変わらず すてきなあなたでいてね
ハッピーバースデー おめでとう ローラ
歌が終わるなり、俺たちは拍手と口笛でローラを祝福する。店長さんやおじさん、そして子どもたちも、一緒になって拍手を送ってくれていた。
ローラが唖然としていたところ、俺は席を立って歩み寄り、プレゼントを差し出した。あらかじめ、俺とチーノの二人で選んだ、色とりどりの花束である。花束の中にアザミを一本だけ差し込んだのは、ストレイを演じたローラへの粋な計らいのつもりだ。
「二十一歳の誕生日おめでとう、ローラ」
そう言って、俺からローラに花束を手渡す。花束を受け取ると、ローラは突然、感極まってわんわんと泣きだしてしまった。
「みんな、酷いわ! みんなの前では泣かないようにしなきゃって思っていたのに!」
悔しそうに言うローラに、チーノはもらい泣きしてしまう。その一方で、俺とパグはおかしさのあまりどっと笑った。馬鹿にされるとよく怒るローラも、今だけは涙ながらに一緒に笑ってくれた。
その日の夜、俺たちは予定どおり、ローラの誕生日と『ストレイ』の成功を兼ねた祝宴を催す。その宴は、ローラに対する偽りなき想いをあらためて示すものにもなった。
村のみんなも、そして俺も、おまえがここまで引っ張ってくれたことに、心から感謝している。おまえと一緒に演劇ができることを幸せに思うし、アテナの夢を追い続けるおまえの力になりたい。
だから、おまえに幻滅するなんてことはありえないんだと、俺はローラに伝えようとした。だが、満面の笑みを浮かべているローラを見て、もうその必要はないと思い直す。
願わくは、これから先の道のりも、彼女と共に歩んでいけますように。その切なる想いだけは、胸の内にしまっておこうと思う。正直に話せば、散々からかわれるのが目に見えているからだ。




