第三章 強敵との対峙
鶏の鳴き声がどこからともなく響き渡り、俺たちは藁布団から身を起こした。
宴のあと、俺たちはマスコロさんから譲り受けた家で一夜を明かした。モグリーさんからは布の服をもらい、昨夜のうちに着替えている。
壁の穴から入り込む朝日の光で目が眩む。早速、演劇の企画から始めていきたいところだが、そういうわけにもいかない。俺たちには村の一員として、村の仕事を行う義務があるのだ。
「正直、まともに仕事ができる状態じゃないんだけどね」
「同感だ」
二日酔いにやられる俺とローラを見て、バトラーさんは何ともなさそうにほっほっと笑った。
仕事に向かう前に、昨日買ったパンを数口かじって腹ごしらえ。すぐに外へ出てマスコロさんたちと合流し、早速村の仕事を開始する。
俺は男手として、木こりや水汲みといった力仕事を行った。バトラーさんもご高齢ながら、体に負担がかからない程度に仕事を手伝ってくれている。昼に仕事を終えると、俺たちはマスコロさんに「ずいぶんと仕事が楽になった」と褒めてもらえた。
しかし、ローラのほうはそうでもないようだ。畑に向かったところ、ローラが疲労困憊で地べたに倒れているのを発見する。俺たちと違い、ローラは肉体労働の経験がほとんどないのだろう。
急いで背負い、大丈夫かと声をかけるも、ローラはヒューヒューと息を荒らげるばかりだ。みんなもローラを心配してくれたが、唯一パグだけがおかしさのあまりげらげらと笑っていた。
家に戻り、すぐさまローラを藁布団の上に寝かせる。ローラは大の字になって息を整えながら、不機嫌そうに呟いた。
「悔しいー。これじゃあただの足手まといじゃない、私」
不意に、玄関のほうからまた笑い声が聞こえてくる。振り返ると、パグがいつの間にか俺たちの様子を見に来ていた。
「お嬢ちゃん、やっぱりその口調が素だよなあ。昨日のお偉いさんみてえな口調、どうも似合わなくて気に食わなかったんだよな」
パグの言葉に俺も思わず失笑し、それを見たローラは赤面してしまう。今にも殴りかかってきそうだったので、俺はどうどうと落ち着かせながら説得した。
「パグはよそよそしいって言いたいんだよ。俺たちは今や村の一員なんだから、もう社交辞令をする必要なんてないだろ?」
その通りだと言わんばかりに、パグもうんうんとうなずく。
「まあ確かに、もう礼儀作法は気にしなくていいかもね」
ローラは殴りかかるのを止め、俺の説得にしぶしぶ納得してくれた。
パグと別れたあと、俺たちは藁の円座に腰かけ、支給されたパプリカを口にする。この村では、畑の野菜や家畜をみんなで分け合っているとのことだ。やはりパプリカだけではひもじかったので、まだ残っているパンも少しだけかじった。
「食事が終わりましたら、早速演劇の企画を始めるのですかな?」
食べ終えたパプリカの種を小皿に入れながら、バトラーさんがローラに尋ねる。ローラはこくりとうなずいて答えた。
「ええ。私とアスームの二人でやるから、おじいは遠慮せず休んでいてちょうだい」
かしこまりましたと返事し、バトラーさんはぴんと人差し指を立てて言う。
「でしたら、マスコロさんたちに知識共有でもしてみますかな。上手くいけば、食材をもっと幅広くこしらえられるようになるかもしれません」
俺たちに会釈すると、バトラーさんはゆったりとした足取りで家を出ていった。遅れて俺たちも食事を終え、小説を基に作った台本の数々を巾着袋から取り出し、選出を始める。
どれが良いかとローラに尋ねてみたところ、すでに心に決めている台本があるようだった。
「最初の公演は『敗走』にしたいわ。それ以外考えてない」
昨夜みんなに演技を見せたときの受けが良かったからだろうか。ローラの相当な入れ込みように、俺は自己陶酔に浸っているんじゃないかと不安を覚える。
だが、ローラが述べた理由を聞き、その提案が深く練られたものであることを知った。
「観客たちからすれば、私たちなんて、ぽっと出のうぬぼれた凡人の集いくらいにしか見ていないわ。だからこそ、ただの凡人ではないって思い知らせるほどの強烈なインパクトを与える必要があるの」
「だから、陰鬱な『敗走』をあえて選ぶのか」
「そうよ。主演は言うまでもなく私とあなた。私たちの演技で、どれだけ観客を魅入らせられるかにかかっているわ。あと、物語の世界観に浸らせるための演出作りも大事」
俺は感心するとともに、ローラを軽んずるような想像をしてしまったことを悔いた。
「いきなり黙り込んじゃって、どうしたのよ?」
「いや、すまん。おまえがここまでいろいろと考えていたとは思わなくて」
「……それってもしかして、深く考えてないって思ってたってこと?」
図星を突かれて思わず目が泳いでしまい、俺はローラに思いきりすねを蹴られた。
台本以外についても、俺たちは綿密に話し合った。人員を各チームにどれだけ配分するか、予算はどのくらい見積もるかなど――。おおよその企画が固まったころには、外は夕暮れを迎えて紅色の光を落としていた。
あとは城下町に向かい、劇場の予約や材料の調達、台本の印刷をするのみとなる。演劇を行ううえで、舞台の下見をする必要もあるだろう。今日はひとまず中断し、体を休めることに注力した。
翌朝、朝食を終えて外に出たところ、モグリーさんたちがかまど小屋に集まっているのを見かける。「早速試してくれていますね」と、バトラーさんは上機嫌に呟いた。
曰く、山羊を飼育しているならと、チーズの作りかたをモグリーさんたちに教えたらしい。山羊の胃袋にミルクを入れておくと、凝結してチーズになる。これで食事の質が向上してくれるのなら、ありがたい限りだ。
今日の仕事を終えるなり、俺からマスコロさんに、三人で劇場へ向かう旨を伝える。昼食と水浴びまで済ませると、俺たちは早速出かける支度を始めた。毛皮のコートやブーツを身に着け、みんなに一声かけてブライダル城下町へ出発する。
俺たちが向かおうとしている劇場は、名をジオカーレ劇場と言う。ブライダル城下町の上層に建てられており、一流の芸術家たちが公演を行っている。
劇場を訪れるのは貴族ばかりだが、芸術家として認められれば、庶民でも立ち入りが許される。フローラ大陸の芸術を重んじる思想は、ジオカーレ劇場にも色濃く根づいているというわけだ。
いずれ俺たちもそうなると奮い立ちながら、長らくの徒歩を経てジオカーレ劇場に到着する。ブライダル城下町に唯一ある劇場なだけあって、劇場の周りは大勢の観客や芸術家たちで賑わっていた。
入口の前にある掲示板には、公演スケジュールのほかに宣伝ポスターも貼られている。その中でも特に際立っていたのが、バレエグループ・ダンザのポスターだった。
ダンザは、このジオカーレ劇場において、ナンバーワンの地位を確立している団体だ。アテナへの出場経験もあり、その舞踊は世界各国でも高く評価されている。舞台の上に立つということは、こういった強敵とも競争していかなければならないということなのだ。
「見てちょうだい、ドブネズミが紛れ込んでいるわ」
「また思い上がってのこのことやってきたんでしょうね。一流たちの公演の時間を奪われて、いい迷惑よ」
ダンザのポスターを遠くから眺めていたところ、周囲の者たちに罵られてしまう。俺たちはそれらを無視し、看板の案内を頼りに劇場の裏口へと向かった。
裏口は、劇場スタッフや出演者たちしか立ち寄らない。そのせいか、がやがやとしていた外やホワイエと違い、ここはしんと静まり返っている。壁がけ燭台のみが灯る薄暗い廊下を進み、俺たちは途中にある出演者用の窓口へ向かう。
カウンターの前には、二人組が先に並んでいた。ちょうどスタッフとの話が終わったらしく、その二人組がくるりと振り返り、思いがけず目が合う。
一人は、派手やかなプールポワンを着た小太りの男だった。人を見下しているかのような目つきからも、性根の悪そうな人柄が窺える。
そしてもう一人は、縮れた赤い長髪が印象的な女性だった。隣の男と違い、こちらは控えめなデザインのドレスを着ていて、どことなくお淑やかな印象を受ける。
「またドブネズミが現れたか!」
俺たちが通り過ぎようとした途端、男は俺たちを指差し、声高らかに嘲笑し始めた。振り向いて睨むローラに構わず、男は罵倒を続ける。
「いやはや、こいつは傑作だ。君たちはどのようなおままごとをなさるのですかな? 君たちのような身のほど知らずが恥を晒して消えゆくさまを、私はこれまで何度も目にしてきた。そのような滑稽な姿を、今回も期待してもいいのですかな?」
不愉快極まりなかったが、男は確かに敗北者たちを多く見てきたのだろう。実力があれば庶民でも認められるとはいえ、その道は決して楽なものではない。生半可な芸を披露しようものなら、最期まで生き恥を晒していくことになる。そうして、侮蔑に耐えられず自殺した者たちがいると、俺もローラから教えてもらったことがある。
一つため息を吐き、俺は赤毛の女性に視線を移す。意外なことに、女性のほうは俺たちを嘲笑う気がないようだった。申し訳なさそうにうつむく女性を見て、男は下品な笑いを止めることなく言う。
「おお、さすがはチーノ。われらがダンザのエース。このようなクズどもにまで謙虚でいられるとは、器も大したものだな。だが、ドブネズミに頭を下げる必要などないであろう? おぬしは堂々としておればいいのだよ」
俺とローラは息を呑み、互いに目を合わせた。この二人が、かの有名なダンザの重鎮たちなのだと理解した。
そして、どうやらローラの闘争心に火が点いたらしい。再び男に目を向け、ローラは含み笑いを浮かべ始める。
「何も言い返せんのか、このクズどもは? 舞台に立つ前からこの体たらくでは、まるでわれわれの相手にはならんなあ?」
煽り続けてくる男に対し、ローラは笑みをそのままに口を開いた。
「正直、安心したわ。ジオカーレ劇場のナンバーワンがこのような小物なら、ここでのし上がるのもさぞかし容易なんでしょうね」
「……何だと?」
青筋を立てる男に指を突きつけ、ローラは堂々と言葉を続ける。
「見ていなさい。近いうちに、あなたたちが独占する地位と人気を、私たちローリエ劇団が根こそぎ奪ってみせるわ。いずれナンバーワンになる劇団の名を覚えて帰ることね」
ローラと男は、無言のまましばらく睨み合っていた。先に痺れを切らした男が、露骨にぺっと唾を吐き、俺たちを横目に睨みながら立ち去る。赤毛の女性は俺たちにお辞儀をし、急いで男の後を追っていった。
バトラーさんがいつものようにほっほっと笑いながら、ローラに言う。
「もう後には引けなくなりましたな。ナンバーワンの者たちを相手に、ここまで大口を叩かれたのですから」
ローラは舌をちろっと出して、いたずらっぽく笑った。つくづくおてんばな姫君だと、俺は鼻でため息をつきながら苦笑いした。




