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元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第4部:遠き日の記憶と、冷たい祈り

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第95話 『偽りの聖域、生身の熱』

 石畳の広場に、不気味な静寂が降りていた。空を覆っていた純白の羽が消え去り、操られていた狂信者たちも衛兵によって運ばれていく。


 だが、残された者たちの被害は甚大だった。

 光の矢に貫かれ、血だまりの中に倒れるガイル。大聖光破の余波を受けて全身火傷の上、意識を失ったレオナルド。暗殺者の毒に侵され、膝をつく三英雄。影ゴーレムとの戦闘で魔力が残りわずかのディアボロ。絶対防御の後遺症で、縮んだ身体のままようやく回復し始めたばかりのゼノン。


 アルフレッドは、瓦礫を背負って開いた背中の傷から血を滲ませながらも、静かに立ち上がった。応急処置を終えた彼は、そのまま『キッチン・ブラン』の厨房へと向かう。


「……腹が減ってちゃ、取り戻せないからな」


 彼が取り出したのは、飴色になるまで炒めてストックしておいた玉ねぎと、トマト缶。そして、旨味が極限まで凝縮された燻製肉と、冷暗所にあったじゃがいもだ。

 鍋に油を引き、スパイスを投入していく。

 抗炎症作用のあるターメリック、血行を促進するジンジャー、そして鎮痛効果を持つクローブ。


「マスター。少しだけ火を貸してくれますか」


 窓際の席で息を整えていたディアボロが、ゆっくりと立ち上がった。

 彼は厨房に歩み寄ると、鍋の下へ指先を向け、チリッと黒炎を灯し、鍋の中のスパイスを炒めていく。


「……チッ。鼻を焼くような野蛮な香りだ。だが、この熱量はどうだ。……貴様、我を苛立たせるだけでなく、食欲まで支配するつもりか」


 黒炎に煽られたスパイスの芳香が、厨房を満たして溢れ出した。

 それは身体を芯から温めるような、抗いがたい匂いだ。

 熱を帯びた黄金色の香りは、重苦しい広場の空気にふわりと溶け込んでいく。


 その香りが鼻腔を抜けた瞬間、毒で混濁していたリディアが、何かに誘われるように目を覚ました。


「よし、出来た。『再起の黄金スパイスカレー』だ。皆食べれるか?」


 アルフレッドが運んできたカレーを、英雄たちは無言で口に運ぶ。

 食べた瞬間、彼らの内側からカッと燃えるような熱が湧き上がる。魔王の黒炎が宿ったそれは、ただの熱ではなかった。

 毛穴が開き、どろりとした黒い汗となって毒素が噴き出していく。



「……ふぅ!効くわね、これ!」


 エリアーナが荒い息を吐きながら立ち上がる。ガイルもまた、腹の傷を押さえながら立ち上がった。


「……ゼノン、仕事を言い渡します。本調子ではないのは分かっていますが、まだ仕事があるのです」


 絶対防御の後遺症なのか、子供のように縮んでしまったゼノンを見下ろし、ルシウスは言った。


「ええっ、休みはまた無しですかぁ……」


「……今回は書類仕事ではなく、そこの怪我人のやけどを見てください。ついでにこの店内の掃除も。……休んでいる暇などありませんよ」


「そ、そんなぁ……」


 ゼノンが肩を落とす一方で、アルフレッドは険しい顔でガイルの肩口に視線を落とした。まだ止まらない血が、その傷の深さをはっきりと示していた。


「……ガイル、その怪我じゃ無理だ。今はゼノンと一緒に、ここで休んでおけ」


 アルフレッドが制止するように手を伸ばすが、ガイルはその手を静かに押し戻した。


「止めてくれるな、アルフレッド。……これは、私にしか果たせぬ誓いなのだ。あの方を……エレン様を救い出すまでは、死んでも倒れるわけにはいかん」


 ガイルの瞳には、痛みを超越した強い覚悟が宿っていた。

 その気迫に押されたアルフレッドは、短く息を吐くと、それ以上は何も言わなかった。


「……ふん。死に損ないが一人増えたところで影響はない。……せいぜい、我の足を引っ張らぬことだ」


 ディアボロはそっけなく言いながら、不快そうに喉の奥を鳴らした。だが、その視線はガイルの足取りを案じるように一瞬だけ揺れ、安堵するように肩の力を抜くと、先頭を切って歩き出す。


 いつものやり取りに苦笑しながら、アルフレッド、ディアボロ、ガイル、ルシウスの四人は、大聖堂へと足を踏み入れた。



 大聖堂の最深部。荘厳な祭壇の前で、教皇はうっとりと両手を広げていた。

 その足元では、うなじから血を流すエレンが苦痛に身をよじっているが、教皇の瞳に彼女は映っていない。


「……ああ。やはり神は、この私を愛しておいでだ」


 盲信する女神に生き写しの少女が、その足元で無残に伏している。だが、彼にとってそれは救うべき対象ではなく、己の聖性を証明するための象徴に過ぎなかった。


 そこにあるのは、底知れぬほど純粋で、完璧なまでの自己愛。足元で震える少女の悲鳴すら、己の正しさを称える甘美な調べにしか聞こえていないのだろう。

 ステンドグラスから差し込む光を独り占めし、恍惚とした表情を浮かべるその姿は、自分という神を祀るだけの盲信者だった。


「……随分と独りよがりな祈りだな」


 祭壇へと歩み寄るアルフレッドの声が、高い天井に冷ややかに反響した。

 振り返った教皇は、その乱入者たちを憐れむように細めた目で眺める。


「憐れな。……神への祈りを遮るとは」


 教皇はそれ以上、彼らに言葉を割くことはなかった。

 ただ愛おしそうに、足元で伏すエレンへと視線を戻す。


「案ずることはありません。すでに……『女神』は目覚めておいでだ」


 その言葉に応じるように、エレンの指先がピクリと動いた。

 糸で吊り上げられる人形のように、彼女の体は生気を欠いたまま緩慢に起き上がる。うなじの傷口からは未だに血が滴り、その頬を汚していたが、虚ろな瞳には何の感情も宿っていない。


「エレン様……っ!」


 ガイルの叫びは届かない。

 立ち上がったエレンは、ただ教皇の命に従うだけの装置と化していた。

 彼女は見慣れない杖を静かに掲げると、大聖堂の空気が震えるほどの魔力が一点に集束していく。


 次の瞬間、感情を失ったエレンの杖から、無慈悲な光の魔法が放たれた。


「くっ!」


 満身創痍のガイルが、生身の腕を交差させてアルフレッドの前に立ちふさがる。

 貫かれることを厭わず、その肉体すべてを壁として光の矢を逸らした。

 その横に、ディアボロが静かに並び立った。


「……下がっていろ。貴様の無様な姿は、目障りだ」


 ガイルに変わって魔力を振り絞り、精密に操る黒炎の盾で、エレンの猛攻を防いでいくディアボロ。

 彼の黒炎が激しく火花を散らす背後で、アルフレッドは嵐のような魔圧に耐え、一歩も退かずに踏みとどまっていた。

 猛烈な光の圧力が、視界を白く塗りつぶそうとする。だが、彼はその光の嵐に目を背けることはなかった。

 どうすれば、あの中に囚われた彼女を救い出せるのか。


 その時、アルフレッドは無意識に右腕をぐっと前方へ突き出した。

 その瞬間、エレンの手から無慈悲な光の矢が放たれる。

 アルフレッドの腕を貫くかと思われたその光は、鈍い暗褐色の腕抜きに触れる直前で、ふわりと軌道を逸らした。

 まるで、大切なものを傷つけるのを恐れるように。


 行き場を失い、跳ね返った光の一条が、そのまま教皇の頬を容赦なく切り裂く。


「……なっ!?」


 恍惚とした表情で酔いしれていた教皇の頬から鮮血が舞った。

 完璧だったはずの顔に、醜い一筋の傷が刻まれる。


「私の、顔を……?」


 教皇は、頬を流れる生暖かい感触を指でなぞり、不思議そうに指先を見つめた。

 神に愛され、完璧な調和の中にいるはずの自分に、傷がつくなどという不条理。

 彼は、指先に付着した赤黒い汚れを、まるで未知の汚物でも見るかのような目で見つめている。


「……不浄だ。なぜ、私の聖域に、このような汚らわしい色が混じる」


 一方、その隙を突いてエレンの懐へと飛び込んだガイルは、彼女の身体を力任せに抱きしめた。ガイルの胸元で、エレンの瞳がかすかに震えた。


「エレン様っ……! 戻ってこい、エレンッ!」


 その光景が、教皇の視界に飛び込む。

 彼が脳裏に描き続けた、一枚の宗教画――光の中で、慈愛の抱擁で女神を包み込む父なる神。浮かんだ構図と、それは完璧に一致していた。


 降り注ぐ光。重なり合う二人の影。

 だが、そこに描かれているのは、選ばれし自分ではない。血の匂いをさせた無骨な男が、生々しい体温を撒き散らしながら、女神を独占していた。


「……ぁ」


 教皇の喉が、引きつった音を立てた。

 自分が主役であるはずの聖なる画の中に、自分を拒絶するように、泥だらけの人間が入り込んでいる。

 教皇の積み上げた愛を、その「間違い」が、嫌な音を立てながら壊していく。


「やめろ……。私の、私の世界に……勝手に入り込むな。そんな汚い体温で、私の真実を塗りつぶすな……ッ!」


 悲鳴とともにエレンの手にあった神の祝福である『蛇が十字架に絡みあった黄金の杖』が、役目を終えたかのように音を立てて崩れ落ちた。

 絡みついていた黄金の蛇は粉々に砕け散り、十字架は無残に折れて石畳に転がる。


 教皇は自分の顔をかきむしり、獣のような悲鳴を上げた。

 唯一の拠り所だった心の中の「絵」も、権威の象徴だった「杖」も失い、そこにはただ、現実の熱に焼かれてのたうち回る狂信者だけが残されていた。

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