第94話 『贖罪の剣と、純白の羽』
旧市街の地下施設の外。
ルシウスに『魔界への違法転送陣を消してきなさい』と命じられたゼノンは、地面に偽装されたそれを、体をスライム状に変えてドロドロに溶かし、すでに吸収し終えていた。
「うぷ……。ルシウスに言われたからやりましたけど、ボクのこと使いすぎじゃないですかぁ……」
ゼノンが吸い込んだ異質な魔力の残滓に、胃を焼かれ、弱音を吐いていると、地下施設からアルフレッドたちが戻ってきた。
「あ、ルシウス! 転送陣は全部溶かしましたよ!」
「お疲れ様です、ゼノン。……ですが、まだ休む暇はありません」
労いの言葉をかけられた瞬間、ゼノンは涙目になった。
「ま、まだあるんですかぁ……」
その矢先、ディアボロが上空を見上げて顔を歪めた。
「……チッ。あの小娘、街ごと消し飛ばす気か」
視視線の先、キッチン・ブラン近くの石畳の広場の上空に、純白の法衣を纏ったエレンが浮かんでいる。
彼女はゆっくりと、その広場へ降り立とうとしていた。
広場に急いだアルフレッドたちの目に飛び込んできたのは、膝をつく三英雄の姿だった。教会の暗殺者が放った猛毒に侵されている。
エレンの瞳から光はすでに失われ、虚ろな目を英雄たちに向けている。
彼女は『黄金の杖』を高く掲げ、極大魔法『大聖光破』が今にも放たれようとしていた。
猛毒に侵され、魔力も枯渇しかけたエリアーナが、震える指でエレンを指した。
「あの『黄金の杖』が……魔力を制御してるのよ!!」
その叫びに呼応し、動いた者がいた。現役騎士レオナルドだ。
「おおおおおおおッ!!」
大聖光破の圧倒的な熱量で肌を焼かれながらも、彼は決死の跳躍を見せた。
剣が閃き、エレンには触れず、その制御の鍵である黄金の杖だけを正確に弾き飛ばした。
カラン、と黄金の杖が石畳に転がり落ちる。収束していた大聖光破は霧散した。
だが、制御を失ったエレンの魔力が、暴走を始める。
彼女が両手を天へ掲げると、空から『純白の羽』が美しく舞い散った。
触れた物質を、音もなく真っ白な灰に変える。
……魔族にとっては、細胞すら消し去る致死の猛毒だ。
「チッ……!」
ディアボロもルシウスもゼノンも、その美しき猛毒の前に一歩も近づけない。広場は絶望に支配された。
魔王すら近寄れない死の吹雪の中、気絶していたガイルが目を覚ました。エレンの魔力に引き寄せられるように、身体を引きずりながら姿を現す。
鎧も持たない生身のまま、光に焼かれ、血を吐きながらも彼は、真っ直ぐにエレンへと突進した。
「エレン様ぁぁぁッ!!」
放たれる光の矢に全身を貫かれながらも、ガイルはエレンの小さな体を強く抱きしめる。発動していた魔法は、その衝撃で大きく乱れた。
「今だアルフレッド! 彼女をこっちに連れ戻してくれぇっ!!」
ガイルが叫んだ瞬間、アルフレッドは純白の羽が舞う中を一直線に駆け抜けた。
瓦礫を受け止めた背中の傷が開き、コックコートを赤く染める。
だが、彼は止まらない。
懐から、油紙の包みを取り出す。激戦で少しひしゃげていたが、中身はしっかりと残っていた『肉サンド』だった。
アルフレッドは、ガイルに抱きしめられたエレンの口元へ、肉サンドを押し当てた。立ち昇るパンと肉の匂いが、死の空気を押し除ける。
「もう、味はわかってるだろ」
エレンはそれを咀嚼する。数秒の静寂ののち、無機質だった瞳がひび割れるようにわずかな光が宿った。大粒の涙がその頬を伝い、石畳に零れ落ちる。その雫に応えるように、周囲を侵食していた純白の羽は、幻のようにかき消えていく。
「……アル、フレッド……様……?」
掠れた声がこぼれる。ガイルが驚愕に目を見開く。
「エレン様!!」
エレンは震える手を上げ、血に汚れたガイルの頬にそっと触れた。
「……ガイル……ごめん、なさい……。あなたを……傷つけて……」
涙が止まらないエレンを、ガイルは骨が軋むほど強く抱きしめた。アルフレッドもまた、安堵の息を吐き、握りしめていた手を緩めた。
「良かった……」
その瞬間、ピキリ、と不吉な音が響いた。
エレンのうなじに刻まれた聖痕が、血の乾いたような色に染まっていく。
「あ……」
エレンの表情が恐怖に染まる。
「いや……いやだ……! また……消える……!」
エレンは必死に頭を振り、侵食する力に抗う。だが、神の加護はその自我を焼き尽くしていく。
「消さないで……! この温かさを……! この記憶を……!」
エレンの叫びは、天へと虚しく吸い込まれていく。ガイルは腕に力を込め、声を張り上げた。
「離すかッ! 誰が離すものか!!」
だが、神の加護は人の力で抑え込めるものではなかった。
エレンの手から、光の矢が放たれる。
ガイルは至近距離でその一撃を受け、肩が深く貫かれた。
「ぐあっ……!」
「ごめん……なさい……! ごめん……なさい……!」
エレンは涙を流しながら謝り続ける。
だが、その身体はすでに彼女のものではなかった。
その瞳からすっと最後の一片の光が消え、残ったのは感情を失った精巧な人形。
彼女はガイルの腕からすり抜けるように、ふわりと宙に浮き上がった。
「あ……エレン、様……っ」
伸ばされたガイルの手は、あとわずかに届かず、虚しく空を切った。
エレンの体は、見えない糸に引かれる人形のように加速し、不気味な静寂に包まれた大聖堂の方角へと消えていった。
アルフレッドは、血が滲むほどに拳を握りしめる。
「……くそっ!!」
ディアボロが鋭く舌打ちし、空の果てを睨みつけた。
「ふん、小癪な小細工を。……どこまで我を煩わせれば気が済む。だが、次で終わらせるぞ」
アルフレッドはゆっくりと立ち上がり、破れたコックコートの襟を正した。
彼の視線は、エレンが消えた大聖堂の尖塔を真っ直ぐに射抜く。
アルフレッドは小さく息を吐き、確信めいた声で呟いた。
「……味は、覚えてたんだ」
最後までお読みいただきありがとうございます! 少しでも「面白い」と思っていただけたら、【★での評価】や【ブックマーク(フォロー)】で応援してもらえると嬉しいです!




