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元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第4部:遠き日の記憶と、冷たい祈り

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第93話 『熱なき計算機への鎮魂歌』

 王都の片隅、旧市街の地下に広がる広大な密輸施設。湿った埃と機械油の匂いが漂う薄暗い空間に、黒革と金属で全身を覆った『掃除屋スイーパー』たちが、無機質な防衛ラインを敷いていた。

 その先頭に立つのは、完璧に仕立てられた灰色のスーツを着こなす治安維持局室長、ヴァレリウス。


「くっ……」


 張り詰めた空気の中、アルフレッドが痛みに顔を歪め、石の床に片膝をついた。先刻のゴーレムとの戦いで瓦礫の重圧を背負った反動が、ここへ来て重くのしかかっている。破れた漆黒のコックコートから覗く肌に、脂汗が滲んだ。


 アルフレッドの前に、ディアボロとゼノンが静かに進み出る。


「ふん、退屈な壁だ。……ゼノン、貴様もそれなりに動けるのだろうな?」


「う……、は、はいっ!」


「ならば、足止めせよ」


 ディアボロの命令と同時、スイーパーたちが先端に錘のついた鋼鉄のワイヤーを一斉に投擲した。空を切り裂く鋭い風切り音。ゼノンが両腕を広げると、灰色の髪が揺れ、その体から伸びた粘性の高い触手が、飛来する無数のワイヤーを空中で正確に絡め取っていく。


 ワイヤーがピンと張り詰め、敵の動きが一瞬だけ止まる。その隙を縫うように、ディアボロが静かに一歩、重心を滑らせる。

 流れるような足取りで間合いを詰めた瞬間、燕尾服の裾が翻った。

 白磁の拳がスイーパーたちの顎を的確に撃ち抜いていく。鈍い打撃音と共に、脳を揺らされた敵兵がまたたく間に崩れ落ちた。


 ディアボロが掌の埃を払う横をすり抜け、後方に控えていたルシウスが一歩前へ出た。


 パチ、パチ、パチ。


 鉄の算盤の音が、広大な倉庫に冷たく反響する。


「……ヴァレリウス。貴方の言う『完璧な秩序』とやらの正体は、これですか?」


 ルシウスの眼鏡の奥の瞳が、氷のように冷たくヴァレリウスを射抜いた。


「国家の中枢である『宰相』が、ダミー商会を経由して魔界の過激派に武器を横流しし、自作自演の戦争の火種で利益を得るための非公式な大規模魔導施設。……それが、この倉庫の正体です。そして貴方が収集した英雄データと、教皇の杖に宿る神聖力。……宰相はその二つを引き合わせ、あの影ゴーレムを生み出した」


 ルシウスの算盤を弾く指が止まる。


「貴方は、表向きは王国の秩序を守り、出過ぎた英雄たちを掃除する番犬。……だが実際は、その腐敗を維持するために飼いならされた『ただの駒』に過ぎない」


「違う」


 ヴァレリウスは表情を変えずに反論した。


「私は私情を排し、国家の秩序を完全な計算で守護してきた。魔王や英雄のデータも、効率的にゴミを排除するためのものだ」


「では、このデータは、いったいなんですか?」


 ルシウスは懐から数枚の書類を取り出し、突きつけた。


「私が王都で追った、ダミー商会の資金流出経路。……そして、かつて、誰よりもまっすぐに正義を信じ、王国の不正を暴こうとしていた頃の貴方の記録です」


 感情が欠落していたはずのヴァレリウスの顔が、わずかに引き攣った。


「……何の話をしている。そんな過去の遺物に、何の意味がある」


「意味は大ありです。……数年前に貴方の妻と子を奪った『馬車事故』。あれは偶然でも不可抗力でもない」


 ルシウスは、手元の帳簿に冷たい視線を落としたまま続けた。


「これ以上闇を嗅ぎ回るなという、黒幕からの見せしめ……つまり口封じのために仕組まれた結果だったのです。人の命を買い叩くために、奴らは一体いくら金を積んだんでしょうね」


 ルシウスは淡々と、だが深く刺すように告げた。


「貴方は正義に絶望し、護れなかった現実から目を逸らすために感情を殺した。そうして自ら『システムに従う完璧な駒』になり果てることで、自分自身も、そして悪意に向き合うべき心も捨てたのです」


 静寂が、地下施設を支配した。


「あなたは効率を選んだのではない。護れなかった現実から目を逸らし、自分から逃げたのです」


 ヴァレリウスはその言葉を咀嚼するように、数秒間沈黙した。

 叫ぶことも、泣くこともなかった。ただ、片目に嵌めていたモノクルがカランと音を立てて床に落ちた。白手袋に包まれた手が、小刻みに震え始める。


「……あれは……事故では……なかった……。私は……護れなかった……」


 誰にも届かない独白。計算機としての自我が、音を立てて崩れ去った瞬間だった。


 ジジッ……。


 その時、施設の奥に設置された通信機から、無機質なノイズと共に宰相の声が響いた。


『――エラー個体の発生を確認。対象ヴァレリウスの権限を剥奪する。蓄積された英雄データを、国の兵器サーバーへ転送開始』


 システムが赤い警告光を放ち、データ転送のゲージが動き始める。


「……勝手に、人の過去を数値化するな」


 低い声が響いた。床に膝をついていたアルフレッドが、痛みを堪えながらもゆっくりと立ち上がっていた。彼は魔鋼の包丁を強く握り直し、真っ直ぐに前を見据える。


 ディアボロが、薄く口角を上げた。


「……遅いぞ」


 立ち上がるアルフレッドの背中と、ルシウスの冷徹な言葉。

 それらを受けたヴァレリウスの震える手が、コンソールパネルへと伸びた。


 ヴァレリウスは、もう二度と「誰も護れなかったあの日の自分」を繰り返さない。

 宰相の命令を無視し、パネルのカバーを叩き割るようにして、ヴァレリウスは全てのデータを消去するための物理キーを押し込んだ。


 ガァァァンッ!!


『データ……全消去ヲ確認。反逆者ヲ処分シマス』


 通信機から無機質なアナウンスが流れ、施設の天井から極大の防衛レーザーがヴァレリウスの頭上へと照準を合わせた。


 ヴァレリウスは目を閉じた。

 己の罪と痛みを抱えたまま、降り注ぐ光を受け入れようとする。

 だが、レーザーが彼を焼き尽くす直前。


「……貴様が失意に咽まれるぐらいならば」


 ディアボロの放った黒炎が、レーザーを強引に弾き飛ばした。

 同時に、完全に復帰したアルフレッドが踏み込んでいた。


「少しは役立つことをしろよ。妻や子に顔向けできるように」


 アルフレッドの魔鋼の包丁が一閃し、防衛装置の筐体そのものを真っ二つに断ち切る。重い鉄の塊が、火花を散らして床に落ちた。


 ヴァレリウスは、ゆっくりと目を開けた。

 自分を見下ろす魔王と、包丁を肩に担ぐ料理人。

 そこにあるのは同情でも許しでもなく、「生きて償え」という選択肢だった。


 彼は誰にも言い訳せず、誰にも縋ることはなかった。足元に落ちたモノクルを拾うこともなく、静かに踵を返す。そして、ただ独り、施設の暗闇の奥へと歩いて行った。


「……行くぞ」


 完全に立ち上がったアルフレッドが、地下施設の出口へと振り返った。その群青の瞳が見据えるのは、王都の中心付近にそびえる、あの大聖堂だ。


「ガイルから頼まれてるからな。……エレンを迎えに行く」


「ふん。さっさとあのやかましい小娘を回収するぞ。……我が城の空気が澱んだままでは、ひどく気に障る」


 ディアボロは燕尾服の裾を揺らし、歩き出した。

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