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元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第4部:遠き日の記憶と、冷たい祈り

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第90話 『ほどける繭と、過去の亡霊』

 大賢者エリアーナが展開した『不殺の炎壁 (パクス・フォイヤー・ヴァント)』によって形成された、巨大な光の繭。

 外部からの干渉を完全に遮断するその絶対的な防御壁の内側で、『キッチン・ブラン』は、息の詰まるような膠着状態に包まれていた。


 壁の外からは、教会の狂信者と化した数千人の王都民たちが、感情のない虚ろな瞳で壁を叩き続ける「ドンッ、ガンッ」という鈍い音が、絶え間なく響き続けている。


 だが、そんな絶望の中にあって、厨房からはジュワァァァッという、平和な音が立ち昇っていた。


「……ふん。外で有象無象が喚いているというのに、随分と悠長なことだ」


 窓際の席でディアボロが優雅に脚を組み、呆れたようにふい、と視線を外の喧騒へ戻した。


「端肉が余ってたからな。それに、腹が減ってちゃ戦えないだろ?」


 アルフレッドは漆黒のコックコートの袖を捲り上げたまま、平然とフライパンを揺すっていた。賄い用に切り落とした牛肉の端材を、強火でサッと炒め、塩胡椒と少しのマスタードで味を調える。

 それを、朝の仕込みで余っていた固めのパンに手早く挟み込んだ。

 彼は出来上がった『肉サンド』を油紙で丁寧に包むと、ポンと軽く叩き、コックコートの懐へと滑り込ませた。


 その時だった。


 ピタリ、と。外から響いていた王都民が壁を叩く音が、急に止んだ。


「……む?」


 ディアボロが不機嫌そうに眉を寄せる。

 直後、空気を切り裂くような凄惨な悲鳴と、石造りの建物が粉砕される爆音が、王都の空に轟いた。


「な、なによ、あいつら……!」


 弓聖リディアが、炎壁の向こう側の景色を透かし見て、戦慄の声を上げた。


「王都民ごと、街を破壊してるわ……!」


 アルフレッドがカウンターを飛び出し、炎壁越しに外の光景を睨みつける。そこにいたのは、教会上層部の兵士でも、狂信者でもなかった。

 燃え盛る王都の街路。逃げ惑う王都民たちを、まるで邪魔な石ころでも蹴散らすかのように無慈悲に蹂躙しながら進み来る、『三つの影』。


「あれは……アルフレッド!?」


 ガイルが、己の目を疑うように絶句した。視線の先、一体の岩のゴーレムが無機質な動作で剣を振り下ろし、建物を両断する。

 その寸分の狂いもない無駄を削ぎ落とした剣筋は、間違いなく全盛期の『勇者アルフレッド』のものだった。


「俺じゃない。……だが、昔の俺の動きにそっくりだ」


 アルフレッドが険しい顔で呻く。直後、空から極大の黒炎が降り注ぎ、逃げ惑う王都民の背後の建物を吹き飛ばした。

 瓦礫が雨のように降り注ぎ、狂信状態から覚め、恐怖に泣き叫ぶ子供の声が響く。


「チッ……」


 上空を見上げたディアボロが、不機嫌に舌打ちをした。空に浮かぶもう一体の影。

 それはかつて自由気ままに世界を恐怖に陥れた『魔王ディアボロ』の姿を模している。


「ふん。薄汚い岩塊が、我の真似事か」


「……それに、あの大盾を構えた、防御を最大限に利用した特攻。あれは、かつての私か……!」


 地上には、もう一つの影が進撃していた。


「過去の俺たちの姿を騙る、亡霊ってわけか」


 アルフレッドが静かに吐き捨てる。その影たちの瞳に、感情の光はない。

 彼らはただ、標的である『キッチン・ブラン』へ向かって、機械のように直進してくる。そのために邪魔な障害物と認識した全てのものがあれば、躊躇なく次々と最大火力で消し飛ばしていく。


「……くそっ!」


 アルフレッドの腕に青筋が浮かぶ。この光の繭の中にいれば、自分たちは安全だ。

 だが、外にいる罪のない王都民たちは、自分たちをおびき出すための餌として、虐殺されていく。


 アルフレッドは振り返り、真っ直ぐにエリアーナを見据えた。


「エリアーナさん。……繭を解いてくれ」


「本気!? 解いたら、あの化け物たちと正面衝突よ! 手加減をしない、過去の自分自身と!」


 エリアーナが血相を変えて叫ぶ。過去の彼らは、何も守るものを持たず、ただ敵を殲滅することだけに特化した暴力の結晶だ。

 対して今の彼らは、守るべきものを知ってしまった。

 戦力差は明白だった。


 だが、アルフレッドの群青の瞳に、一切の迷いはなかった。


「……俺はやるって、決めたんだ」


 その背中を見たディアボロが、フッと口角を上げ、漆黒の燕尾服をバサリと翻して立ち上がった。


「ふん。過去の亡霊が、我の姿を騙るか。……あの程度の影に、我が真の魔王というものを教えてやる」


「……仕方ないわね。あんたたちがそう決めたなら、付き合うわよ!」


 エリアーナが天に掲げていた杖を、力強く振り下ろした。


 パァァンッ……!!


 店を覆っていた巨大な光の繭が、まるでガラス細工のように弾け飛び、光の粒子となって王都の空へと溶けていく。


「行くぞ!」


 アルフレッドが地を蹴り、ガイルが剣を抜き放ち、ディアボロが黒炎を纏う。

 三人は、自ら死地たる外の世界へと飛び出した。


「王都民を逃がせ! ここは俺たちが食い止める!」


 アルフレッドが叫び、逃げ惑う人々の盾となるように、影のゴーレムたちの前へと立ちはだかった。


「……対象確認。処理を開始する」


 影の勇者が、無機質な声と共に剣を振り下ろす。それは、かつてアルフレッド自身が使っていた、一切の力みがない完璧な殺戮の剣技。


 ガギィィンッ!!!


 アルフレッドは魔鋼の包丁でそれを受け止めるが、その圧倒的な重圧に、腕の筋肉が悲鳴を上げ、石畳を削りながら数メートルも後退させられる。


「くそっ、重い……!」


「アルフレッド! 右だ!」


 ガイルが横から援護に入ろうとするが、そこへ影の聖騎士が突進してくる。

 黄金の甲冑に身を包んだ過去の影が、大盾で一切の隙を晒さぬまま、その質量を叩きつけるような突進でガイルの剣を強引に弾き飛ばした。


「ぐはっ……!」


 甲冑も盾も持たないラフな服のまま、ガイルの巨体が大きく吹き飛ばされ、石畳を削った。


「……この影、一切の攻撃を寄せ付けないというのか!」


 そして上空では、ディアボロと影の魔王が激突していた。

 影の魔王は、眼下の街や逃げ遅れた王都民のことなど一切考慮せず、広範囲を焦土と化す極大の黒炎を雨あられと降らせてくる。


「チッ……! 野蛮な真似を!」


 ディアボロは舌打ちをし、自身の魔力を使ってそれらの炎を上空で相殺し、弾き飛ばすしかなかった。

 彼の本来の力なら影など一撃で消し炭にできる。

 だが、それをすれば王都のほとんどが消し飛んでしまう。


「守る」という行為が、これほどまでに己の牙を鈍らせるのか。


 ズガァァァンッ!!


「ぐっ……!」


 王都民の頭上に降り注ぐ瓦礫を、アルフレッドが自らの背中で受け止める。

 漆黒のコックコートが破れ、小麦色の肌から鮮血が飛び散った。


「アルフレッド!」


「俺は、大丈夫だ……っ! 早く、逃げろ……!」


 アルフレッドは血を吐きながらも、震える足で立ち上がり、子供を庇って包丁を構え直す。

 殺戮を行う影たちの冷たい瞳が、血を流し、息も絶え絶えに膝をつきかける彼らを、無感情に見下ろしていた。

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