表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第4部:遠き日の記憶と、冷たい祈り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

84/95

第84話 『理詰めの翁の極秘視察と、逃げられない大泥棒』

 ランチタイムのピークが過ぎた『キッチン・ブラン』は、店の中の熱気が抜けて、少しだけ空気が緩んでいた。厨房では、アルフレッドが玉ねぎを刻んでいた。小気味よいトントンという音が、静かな店内に響いている。


 窓際の席では、ディアボロが紅茶の立ち上る香りに薄く瞼を伏せ、ゆっくりとカップに口をつけていた。

 カウンターの隅では、ルルがじっと丸椅子に座っている。たまにカップの牛乳を飲み、目を閉じて、ゆっくり味わっていた。


 間延びした時間に、低く、恨みがましい声が混ざる。


「……あー、クソッ。なんで俺が毎日毎日、床なんて磨かなきゃならねえんだよ」


 ギャレットが毒づきながら、モップをかけていた。


「文句言うなよ。即死級の大凶は、避雷針のお前が吸ってくれるから、店が静かなんだよ。……しょうがない、今日のまかないは唐揚げ定食にしてやる」


 アルフレッドは包丁の手を休めずに言うと、ギャレットは「からあげ……!」とぱっと顔を上げて、途端にやる気を出してモップを動かし始めた。


 カランコロン、と軽やかなベルの音が店内に響いた。


「いらっしゃいませ」


 アルフレッドが顔を上げると、深いフード付きの黒いローブをすっぽりと被り、杖をついた老人が立っていた。


 一見すると、ただの通りすがりの老いた旅人だ。だが、ローブの奥から微かに漏れ出す、濃密で重々しい魔力。ディアボロはティーカップを持ったまま、深紅の瞳を細めた。


「……ふん。わざわざ変装してまで、孫の顔が見たくなったか」


 ディアボロはつまらなそうに鼻を鳴らし、視線を窓の外へ戻した。

 ローブの隙間からちらりと覗いたその顔は、孫が気になって仕方なく足を運んできたのが見え見えだった。

 翁はディアボロをひと睨みし、そのままカウンターの隅へと歩み寄った。


「……ひッ!?」


 その進路上でモップをかけていたギャレットの全身が、一瞬にして総毛立った。

 盗賊としての勘が、最大級の警報を叩きつけてくる。

 肌を刺す魔力。背筋をなぞる、底の見えない威圧。


 ――ヤバい。


 それは間違いなく、かつて彼が「国宝級の首飾り」を盗み出そうとして返り討ちに遭い、文字通り殺されかけたあの屋敷の主――魔界の『理詰めの翁』そのものだった。


(終わった……! 俺、絶対にここで消し炭にされる……!)


 ギャレットは死を覚悟し、ガタガタと震えながら、床に這いつくばる。そして、存在を消すように、ひたすらモップを動かし続けた。

 翁は進路上にいたギャレットを一瞥し、「……なんだ、この薄汚い鼠は。我が至宝の前に出るな」と逃げ場のない殺気を放った。

 だが、その視線はすぐにルルへと向けられた。


「ルル、……元気だったか?」


 翁が優しく声をかけると、ルルは無表情のまま、ぽつりと答えた。


「おじいちゃん。いらっしゃい」


「なっ……! わ、私だとすぐに分かったのか?」


「匂いでわかる。お香の匂い」


 翁はフードの奥で目尻を下げ、ルルの隣の席に静かに腰を下ろした。

 彼が見たところ、孫娘に怪我や痩せ細った様子はない。むしろ、魔界の屋敷で半ば幽閉されるように暮らしていた頃よりも、ほんの少しだけ顔色が良いようにさえ見えた。


「よくいらっしゃいました」


 アルフレッドが、ふっと笑っておしぼりを差し出した。


「ルルさんにはいつもお世話になってます。今日は、ルルさんのお気に入りを焼きますね」


 アルフレッドは丁寧な手つきで、卵液にじっくりと漬け込んだ厚切りのパンを、たっぷりのバターを引いたフライパンに乗せた。


 ジュワァァァ……。

 ミルクとバターが混ざり合った甘く芳醇な香りが、じわりと店内を満たしていく。


「いい匂い」


 眠そうだったルルのネイビーブルーの瞳がぱちりと開き、キラキラとした期待の眼差しでフライパンを見つめる。


「お待たせしました。『極厚のフレンチトースト』です。ルルさんがいつも美味しそうに食べてくれるから、あなたにも食べてほしくて」


 翁の前に、黄金色に焼き上がり、純白の粉砂糖とメープルシロップがたっぷりとかかった熱々のフレンチトーストが置かれた。


「……人間ごときの甘味など、我が口に合うはずが……」


 翁は断ろうとしたが、すぐ隣で自分の袖をそっと掴み、期待に満ちた目で見上げてくるルルに気づき、言葉を詰まらせた。

 立ち上るミルクの柔らかな湯気と、メープルシロップの優しい香りが、翁の心を揺らす。


「……」


 噛み締めた瞬間、翁の目が見開かれた。表面のカリッとした香ばしさを破ると、中はまるでプリンのようにトロトロだった。卵とミルクの濃厚なコク、そしてメープルシロップの優しい甘さが、老いた体にじんわりと染み渡った。


「動かなくても、美味しいものが来る。……安全」


 隣で同じようにフレンチトーストを頬張りながら、ルルがポツリと言った。


「ルル……」


 翁は、その言葉と目の前の甘い料理に、頑なだった心がゆっくりとほどけていくのを感じた。自分が鳥籠に閉じ込めていた至宝が、この場所で居場所を見つけていることを、ようやく理解する。

 そのことを理解した翁は、慈しむような笑みをルルに向けた。


「悪くない。……見事な手際だ、人間の料理人よ」


 翁は皿を空にし、静かに立ち上がった。


「さて。そろそろ帰るとしよう」


 翁が店を出ようと踵を返した、その時だった。

 床で震えているギャレットの前で足を止め、冷たい殺気を放った。


「……我が屋敷に忍び込み、至宝を盗み出した薄汚い鼠よ」


「ヒィィィィッ!! も、申し訳ありませんでしたぁぁ!!」


 ギャレットが床に額を擦りつけて土下座する。


「お前の命など、指先一つで消し去れる。……だが」


 翁の杖が静かに振り上げられた。

 その瞬間、「だめ」と、ルルの短く、迷いのない声が響いた。


「私の避雷針だから。便利」


 翁は振り上げた杖をゆっくりと下ろし、フッと静かに笑った。


「……その腕は見事だ。コソコソ盗むくらいなら、これを授けてやろう」


 翁は懐から、国宝級の輝きを放つ『美麗な魔宝石の指輪』を取り出し、ギャレットの目の前にポンと投げた。


「えっ!? お、お宝!? これ、俺にくれるのか!?」


 ギャレットは慌ててそれを空中で受け止め、手のひらに乗った眩い輝きに目を丸くした。


「それは我が屋敷の宝物庫にあったものの一つだ。次からは、盗む手間を省くことだな」


 ギャレットが歓喜に顔を綻ばせた瞬間、翁はすれ違いざまに、ギャレットの耳元で地を這うような低音で囁いた。


「……それは『ルルの近くにいる限り、厄災を肩代わりする加護』だ。どこにいようと、我には見える。……逃げたらどうなるか、分かっているな?」


「……え?」


 ギャレットの顔から、一瞬にして血の気が引いた。


「ルルから離れたら俺が死ぬってこと!? 位置情報も監視!? 完全に奴隷の鎖じゃねえかぁぁぁ!!」


 ギャレットの悲痛な絶叫が店内に響き渡る中、翁は満足げに一度だけ口角を上げると、振り返ることなく出口へと向かった。


 そして最後に、窓際で紅茶を飲んでいるディアボロの横を通り過ぎる。

 翁は歩みを止めず、周囲には聞こえぬほどの低音で、決定的な警告を落とした。


「……若き王よ。我が一族の至宝を預かってくれていること、感謝する。……だが、忠告だ」


 その声から、先ほどまでの温もりは一切消え失せていた。


「我の目の届かぬところで、血気盛んな若き過激派たちが、人間界の『教会』と結託して不穏な動きを見せている。……我の統制も、もはや完全ではない」


 その言葉が落ちた瞬間。

 ディアボロのルビーのような深紅の瞳が、スッと鋭く細められた。

 そして厨房の奥。次の仕込みに入ろうとしていたアルフレッドも、包丁を握る手をピタリと止めた。


 翁は静かに扉を開け、初夏の眩しい光の中へと消えていった。


「俺は一生、この店で避雷針確定かよぉぉぉ!!」


 ギャレットのギャグのような悲鳴が響く中、ディアボロは冷めた紅茶のカップをソーサーに戻し、低く呟いた。


「……薄汚い、血の匂いがしおったな」


「……何が起きても、このレストランは守りますよ」


 アルフレッドは包丁を握り直し、静かに、揺るがない声で応えた。

最後までお読みいただきありがとうございます! 少しでも「面白い」と思っていただけたら、【★での評価】や【ブックマーク(フォロー)】で応援してもらえると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ