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元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第4部:遠き日の記憶と、冷たい祈り

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第83話 『鉄分のレバカツと、無職の騎士の誓い』

 微かな呻き声と共に、エレンがゆっくりと青い瞳を開けた。


 視界に広がったのは、真っ白な天井と、オレンジ色の柔らかなランプの光。自分が店内のソファに寝かされている事実に思考が追いつくと、彼女は慌てて体を起こそうとした。


「おっ、目が覚めたか」


 すぐそばから声が落ちてきた。見上げれば、アルフレッドが心配そうな、けれどどこかホッとしたような笑顔でこちらを見下ろしている。その手には清潔なタオルが握られており、鼻血の処置をしてくれていたことが一目で分かった。


「ア、アルフレッド様……! 私、またしてもご迷惑を……っ!」


「いいから、そのまま座ってろ。一気に血を出しすぎたんだ。……ほら、これ食って鉄分補給しろ」


 アルフレッドがソファの前の低いテーブルにコトッと置いたのは、湯気を立てる一皿だった。


 きつね色にカラリと揚がった、極上の『レバーカツレツ』。横には山盛りの千切りキャベツが添えられ、カツの上にはフルーティーな香りを放つ特製ソースがたっぷりと、艶やかに光を跳ね返している。


 エレンの隣では、主の暴走によって寿命が十年は縮んだであろう護衛騎士のレオナルドが、疲れ切った顔で温かいコンソメスープを啜り、ボロボロになった胃を休めていた。

 そして向かいの席では、リディアが「まったく、世話の焼ける子ね」と呆れた顔で、アイスティーのグラスを傾けている。


「さあ、冷めないうちに」


 アルフレッドに促され、エレンはフォークとナイフを手に取った。サクッ、という心地よい音と共にカツを切り分け、口へと運ぶ。


「……!」


 エレンの青い瞳が、驚きに見開かれた。

 レバー特有のパサつきや臭みなど一分子もない。サクサクの衣の中に閉じ込められたレバーは、驚くほどしっとりとしていて、噛み締めるほどに濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。アルフレッドの特製ソースの酸味が、それを完璧なバランスでまとめ上げていた。

 失われた血液の代わりに、温かい命の熱が、指先にまで染み渡っていく。


「……ふふっ」


 エレンはカツレツを咀嚼しながら、静かに涙をこぼし、ふわりと柔らかく微笑んだ。美味しくて、あったかい。


 カランコロン。扉の鈴が、新しい来客を告げた。


 店に入ってきたのは、ラフな麻のシャツに身を包んだ、ただの無職――もとい、この店の常連客であるガイルだった。


「やあ、アルフレッド。今日もいい匂いが……む?」


 ガイルは店に入るなり、ソファで静かに涙を流しながら、微笑むエレンの姿に釘付けになった。彼は次の一歩を踏み出すのをやめ、入り口で金縛りにあったように立ち尽くした。


「ガイル、よく来たな。……? どうした、入らないのか」


 アルフレッドが不思議そうに声をかけるが、ガイルはそれに気づく様子もなく、ただひたすらにエレンを見つめていた。


 あの笑顔は、自分では決して引き出すことのできないものだ。だが、彼女が心の底から笑える場所がこの世にあるのなら……今はただ、それだけで十分だった。


 一人で綺麗に自己完結しようとしていた、その時だった。


 ダンッ!


「ちょっとガイル! あんた、突っ立ってないでこっち来なさいよ!」


 向かいの席から、リディアがテーブルにグラスを叩きつけて声を荒らげた。


「この子が今日、せっかく可愛い水色のワンピースを着てきてるのに、一言もなし!? これだから鈍感な男は嫌なのよ!」


 リディアの怒声に、エレンがビクッと肩を揺らし、顔を真っ赤にして俯いてしまった。


 だが、ガイルは全く動じず、一切の迷いなく、言い放った。


「服? 何のことだ」


「はぁ!?」


「私は、エレン様だけを見ている。どのような布を纏っていようと、あの方の美しさは微塵も変わらん!」


 あまりの真っ直ぐさと愛の重さに、リディアの顔が引き攣った。


「…………ある意味、アルフレッドよりタチが悪いわね、あんた」


 リディアが完全にドン引きしていると、窓際の特等席から、地獄の底から響くような不機嫌な声が落ちてきた。


「……ふん。騒々しい鼠どもが」


 ディアボロだ。彼は優雅に脚を組み、ルビーのような深紅の瞳でガイルたちを見下ろした。


「おい、小娘。貴様が食っているそのレバーは、我が魔力で血抜きと細胞の軟化を施した極上の品だ。有象無象の貴様には一欠片も勿体ないが、我が深き慈悲と愛情に感謝して味わえ」


 だが、ここでもガイルのピュアすぎる思考回路が、奇跡の勘違いを引き起こした。


「おお……!!」


 ガイルは両手を強く握り合わせ、その瞳をキラキラと輝かせた。


「アルフレッドの腕を、魔王殿が裏からアシストするとは! まさに阿吽の呼吸、これぞ理想的な『主従関係』だな! 私は感動したぞ!」


 その言葉に、店内の空気が一瞬にして凍りついた。


「…………主従、だと?」


 ディアボロの白磁の頬がピクリと引き攣る。その指先からは、鋭い爪が今にも飛び出さんばかりに鋭利な輝きを放った。


「違う! 我とアルフレッドは主従ではない! 唯一無二の――」


 ガタッと椅子を鳴らし、ディアボロは立ち上がる。


「ガイル、腹減ってないのか?」


 ディアボロが顔を真っ赤にした、その瞬間、厨房からアルフレッドの間の抜けた声が飛んできた。

 振り上げた拳……ならぬ、突き出しかけた爪の行き場を失い、ディアボロは苦虫を噛み潰したような顔で押し黙る。


「お前も食うだろ? 今、お前の分も揚げてやるよ。キャベツは大盛りでいいな?」


 その屈託のない気遣いに、ディアボロは毒気を抜かれたように「……チッ」と深く舌打ちをして、冷めかけた紅茶を苛立ちとともに煽った。


「おお、頼むアル! 君の飯が食いたくて来たのだ!」


 ガイルは満面の笑みでカウンターに座り、結局、店の中はいつもの騒がしい様相に戻った。


 食後、皿が片付けられ、店内がふっと落ち着いた時間になった頃。


 温かいスープと美味しいカツレツで、ようやく正気と胃の機能を取り戻したレオナルドが、元上司であるガイルの隣で、ぽつりと愚痴をこぼした。


「……ガイル様。最近、教会の上層部が妙にピリピリしていまして。エレン様の自由な外出も、いつまで大目に見てくれるか分かりません」


 レオナルドの言葉に、ガイルは腕を組んで黙り込む。

 だが、今の自分はただの無職。何もできないことが、ただ悔しかった。


 沈黙に包まれた店内で、アルフレッドがわずかに頷き、静かに口を開く。


「気にするな、エレン。もし教会で何か言われたり、息苦しくなったら……いつでもここに逃げてこい」


 彼は料理の手を止め、真っ直ぐにエレンを見つめて続けた。


「ここは、お前の席があるレストランだからな」


 その言葉に、エレンの張り詰めた様子が消える。

 それを肯定するように、窓際から冷徹な声が響く。


「……ふん。下界の羽虫どもが何を喚こうが、我の知ったことか。我が城の扉は、我とアルフレッドが許した者にしか開かん」


 窓際のディアボロも、不機嫌そうに鼻を鳴らすと、ただ静かに足を組み替えた。

 その二人の言葉を聞きながら、ガイルは自分の両手を見つめる。


(……アルフレッド。お前は本当に、変わらないな)


 ガイルはふと視線を上げ、エレンの横顔を見た。彼女のこの幸せそうな笑顔を、冷たい教会の思惑などで奪わせてなるものか。

 ガイルは力強く拳を握る。


「……その時こそ、私は騎士としてではなく、一人の男として剣を抜こう」


 初夏の昼下がり。


 平和で騒がしい『キッチン・ブラン』の日常の裏側で、忍び寄る不穏な影と、それに抗うための静かな決意が、確実に形作られ始めていた。

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