表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第4部:遠き日の記憶と、冷たい祈り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

82/94

第82話 『聖女の休日コーデと、消し炭の愛妻弁当』

 王都の職人街に、初夏の少しだけ湿り気を帯びた風が吹き抜けていた。

 ランチタイムの喧騒が落ち着き、アルフレッドが厨房でディナー用の仕込みを始めようとした時、カランコロンと軽やかなベルの音が鳴った。


「ほら、シャキッとしなさいよ! 折角の休日なんだから!」


「む、無理ですわリディア様! やっぱり私には、このようなスカスカしている服装なんて……!」


 入り口で押し問答をしながら入ってきたのは、元弓聖のリディアと、聖女エレンだった。その後ろには、胃を痛めたような顔をした現役騎士レオナルドが、護衛として力なく控えている。


 アルフレッドは、エレンの姿を見て思わず目を丸くした。


 いつも身に纏っている、体をすっぽりと隠す純白の分厚い法衣ではない。今日のエレンが着ていたのは、リディアが見立てたであろう、淡い水色の軽やかなワンピースだった。

 首元や袖口には少しだけフリルがあしらわれており、歩くたびに柔らかい生地がふわりと揺れる。聖女ではない、年相応の『普通の可愛らしい女の子』の姿がそこにあった。


「……いらっしゃい。おっ、いい服だな、エレン。すごく似合ってるよ」


 アルフレッドが素直な感想を口にして、軽く手を振った。

 その瞬間、エレンの動きがピタリと止まった。


「に、似合って、いる……? アルフレッド様が、私を……?」


 エレンの透き通るような白い顔が、首の根元から耳の先まで、みるみるうちに沸騰したように真っ赤に染まっていく。彼女は両手で顔を覆い、そのまま石像のようにガッチリと固まった。


「あーあ、またショートしちゃったわね」


 リディアが呆れたように肩をすくめ、エレンを半ば引きずるようにしてカウンターの席へと座らせた。


「冷たいお茶を三つお願い。この子、今日のために昨日の夜からずっと徹夜で準備してたんだから」


 アルフレッドが、苦笑しながらリディアの前にアイスティーを置く。


「……ふん。我が城の敷居を跨ぐのに、そのような浮かれた格好で来るとは。空気が弛む」


 窓際の特等席で、ディアボロが不機嫌そうに鼻を鳴らした。だが、ルビーのような瞳はエレンをチラリと一瞥しただけで、すぐに手元の紅茶へと戻る。


 アルフレッドが残りの二つをカウンターに置くと、エレンはハッとして我に返り、震える手を自分の膝の上へと持っていった。


 そこに抱えられていたのは、可愛らしいピンク色の布で包まれた、小さな四角い箱だった。


「あ、あの……アルフレッド様!」


 しばらく躊躇していたエレンが立ち上がり、決死の覚悟を秘めた青い瞳でアルフレッドを見つめた。


「今日は、その……かつて、私がアルフレッド様からいただいた、あのときの恩返しをしたくて……参りましたの!」


 エレンは震える両手で、その可愛らしい包みをカウンター越しに差し出した。


「お、お弁当を作ってきたんですわ! 私、料理なんて今まで一度もしたことありませんでしたけれど、アルフレッド様に喜んでいただきたくて、一生懸命……!」


「え、エレンが俺に?」


 アルフレッドは嬉しそうに微笑み、布の結び目を解いて、弁当箱の蓋を開けた。


「……」


「……」


 厨房の空気が、一瞬にして凍りついた。


 弁当箱の中に鎮座していたのは、彩り豊かな手料理などではない。辺りの光を吸い込んだ、まるで魔界の深層で採掘される鉱石のような、完全なる『漆黒の消し炭の塊』だった。もはや元の食材が肉なのか魚なのか、それとも野菜なのかすら判別できない。ただひたすらに黒く、焦げ臭い絶望のオーラを放っている。


「……貴様ぁッ!!」


 窓際から、地獄の底から響くようなディアボロの怒声が轟いた。

 彼は椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、指先から黒い爪をシャキッと突き出してズカズカとカウンターへ詰め寄り、エレンを睨みつける。


「我の城の料理人を……そんな小娘の作った……! いや、その炭化物から放射される致死レベルの瘴気が見えぬのか! アルフレッド、直ちにそれを裏庭に埋めろ! いや、我が今すぐ消し炭ごとこの空間を――」


「落ち着いてください、マスター」


 アルフレッドはカウンター越しに身を乗り出し、ディアボロの殺気を纏った手を制した。


 彼は、弁当箱の中に鎮座する漆黒の塊を見つめる。そして、顔を真っ赤にして今にも泣き出しそうになっているエレンへと、静かに向き直った。


「……ちょっと焦げてるけど、味は保証するんだろ?」


 かつて魔王軍との戦いのさなか、冷たい配給食しか知らなかった彼女に、肉サンドを渡した時と全く同じ言葉を、アルフレッドは優しく笑って口にした。


 エレンが、弾かれたように顔を上げる。


 アルフレッドは、弁当箱の中を見つめた。一瞬目を伏せ、その消し炭の塊を素手で掴み、大きな口を開けて放り込んだ。


 バリッ、ボリボリッ。


 厨房に、およそ料理を食べているとは思えない、硬質な破砕音が響き渡る。

 ディアボロが「なっ……正気か!」と絶句し、レオナルドが悲鳴を上げそうになる中、アルフレッドは顔色一つ変えずに咀嚼し、飲み込んだ。


「……うん。美味しいよ、エレン。ありがとう」


 アルフレッドが、真っ直ぐにエレンの目を見て微笑んだ。


 その瞬間。エレンの周囲から、音がスッと消え去る。


(……美味しいよ、エレン)


 その言葉が、彼女の脳裏で何度も反響する。


 神の代行者として、ただの兵器として、冷たく味のしない食事を無機質に飲み込んでいたあの頃。自分が誰かのために不器用な手で料理を作り、こんなに可愛い服を着て、そして、それらを笑って受け取ってもらえる日が来るなんて。


 あの暗く冷たい灰色の世界にいた頃の自分には、想像すらできなかった。


「……あ、あ……」


 エレンの大きな青い瞳から、一粒だけ、温かい涙がこぼれ落ちた。


「……アルフレッド様、お願いです」


 エレンは、涙で潤んだ瞳のまま、震える声で口走っていた。


「一度だけ……一度だけで構いません。私を、ギュッとしてください……っ」


 その真っ直ぐな涙を見たアルフレッドは、ビクッと体を震わせる。やがて溜息をついて、少しだけ困ったように眉を下げ、そして優しく笑った。


「……しょうがないな」


 アルフレッドはカウンターから出て、逞しい両腕で、エレンの華奢な体を優しく抱きしめた。


「あっ……」


 アルフレッドの大きく温かい胸板。

 そこから伝わる、力強い鼓動。そして、彼から漂う、清潔な石鹸と微かなスパイスの匂い。


 エレンの脳髄に、致死量の『アルフレッド成分』がダイレクトに撃ち込まれた。


 数秒の静寂。


 エレンの全身が、次第に微細な痙攣を始めた。


「ブッハァァァァァァッ!!!」


 次の瞬間、エレンの鼻から凄まじい勢いで鮮血が噴き出した。


「エ、エレン!? ちょ、血が!?」


 アルフレッドが慌てて体を離すと、エレンは完全に白目を剥き、鼻血を出しながら「我が人生に、一片の悔いなし……」と呟いて、文字通り昇天して床に崩れ落ちた。


「エレン様ぁぁぁッ!?」


 レオナルドが悲鳴を上げて駆け寄り、エレンを抱きとめる。


「……貴様ぁぁぁ!!」


 直後、ディアボロの激怒が爆発した。彼は深紅の瞳を吊り上げ、黒い爪を限界まで伸ばしてアルフレッドに詰め寄った。


「我の目の前で何をしている! 誰の許可を得て、他の馬の骨ともしれぬ雑魚を抱きしめているのだ! しかも我が城の清浄なる床を血で汚すな!!」


「ま、マスター! 不可抗力です! 爪、爪しまって!」


「あーあ。だから言ったのに。この子には刺激が強すぎるって」


 リディアが呆れ果てた顔で、床で気絶しているエレンを見下ろしてため息を吐く。


「……まったくもって解せぬわ!!」


 アルフレッドはディアボロをなだめながら、床の血を拭き取るための布巾を手に取った。


「エレンが目を覚ましたら、失われた鉄分を補給させないとな。マスター、極上のレバーの下処理、手伝ってくれますか?」


「ふん。我がなぜあの小娘のために血生臭い肉を触らねばならんのだ。……だが、貴様が妙な真似をしないよう見張ってやる」


 初夏の昼下がり。


 気絶した聖女と、呆れる狩人、そして不機嫌な魔王。

 アルフレッドは腕を捲り直し、愛すべき騒がしい食卓のために、再び包丁を握り直した。

最後までお読みいただきありがとうございます! 少しでも「面白い」と思っていただけたら、【★での評価】や【ブックマーク(フォロー)】で応援してもらえると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ