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元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第4部:遠き日の記憶と、冷たい祈り

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第81話 『作り物の聖女と、不自然な帳簿』

 王都の大聖堂。荘厳なステンドグラスから差し込む光のシャワーを浴びながら、聖女エレンは祭壇の前で静かに膝をついていた。

 純白の法衣に身を包み、透き通るような青い瞳を伏せるその姿は、一幅の絵画のように神聖で、美しい。


(……アルフレッド様)


 胸の奥でその名を呼ぶだけで、体の芯が焼けるように熱くなる。

 祈りなどではない。それは狂おしいほどの『想い』だった。


 かつての彼女には、この熱がなかった。


『お前は神の代行者。邪悪を殲滅する兵器だ。兵器に、私情は不要だ』


 物心つく前から、光の届かない教会の最深部で、そう教え込まれてきた。


 与えられる食事は、常に冷たかった。

 味のしない硬いパン、噛み切れないほど乾いた干し肉、繊維が固く残るだけの茹で野菜。彼女はそれらを、喜びも悲しみもなく、生命を維持する作業として、機械的に咀嚼し、飲み込み続けた。


 味覚に意識を割く余裕など、彼女にはなかった。

 教義の暗唱、魔法の修練――若すぎるその脳には、ほかに詰め込むべきことが、あまりにも多かったからだ。


 規格外の魔力を火力に変えるためだけに、自我を削ぎ落とされた、美しくも虚ろな器。そんな彼女が見る世界は、常に色のない灰色に塗りつぶされていた。


 その灰色の世界が壊れたのは、勇者パーティに参加して数ヶ月が経った頃。

 過酷な野営が続いていたある夜のことだった。


 いつものように独り、喧騒を離れた場所で食事を摂ろうとしたエレンは、教会から支給された配給袋が魔物に引き裂かれ、中身がことごとく泥にまみれていることに気づいた。

 彼女は無表情のまま、ただ静かに石の上に腰を下ろした。


 兵器が管理を怠ったのだから、罰が下される。そう結論づけた彼女は、無機質な静止を保ったまま、いつも通り訪れるはずの罰を待っていた。


「なんだ、エレン。飯、やられちまったのか」


 近づいてきたのは、太陽のような金髪を揺らす勇者――アルフレッドだった。


 彼は呆れたように笑うと、焚き火のそばから持ってきた『それ』を、彼女の膝の上に無造作に放り投げた。


「ほら、これ食え。腹が減ってちゃ魔法も撃てないだろ。ちょっと焦げたけど、味は保証するぜ」


 ポン、と手渡された、不格好な肉サンド。


 布越しに伝わる、暴力的なまでの『熱』。

 エレンは戸惑いながらも、言われた通りにそれを両手で持ち、無表情のまま一口齧り付いた。


「…………ッ」


 その瞬間。エレンの脳髄を、未知の衝撃が貫いた。

 カリッと焼けたパンの香ばしさ。噛み締めた瞬間にジュワッと滴る、分厚い肉の脂。刺激的なマスタードの風味と、腹の底から燃え上がるような命の温度。


「……あ、あれ? エレン? 熱すぎたか? それとも不味かったか!?」


 アルフレッドが慌てる声が聞こえる。

 エレンは、自分がなぜ彼をこれほど慌てさせているのか、その理由が分からなかった。ただ、視界が酷く歪んでいた。


 無表情のまま、その大きな青い瞳からは、大粒の涙がとめどなく零れ落ちていた。


(……あたたかい。これが、美味しい、ということ……?)


 涙に濡れた睫毛を上げて、目の前の男を仰ぎ見た。

 自分を心配そうに覗き込むアルフレッドの、眩い金髪と温かな小麦色の肌が瞳に飛び込んでくる。さらにその背後には、爆ぜる焚き火の赤が躍り、夜の闇に沈む森の深緑が広がっていた。


 灰色しかなかった彼女の視界に、初めて鮮やかな色彩が溢れ出した。


(アルフレッド様……。私という空っぽの器に、命の熱を灯してくださった、私の光)


 エレンは祭壇の前で、己の胸に手を当てて深く祈る。


 自分を縛り付けていた大人たちなど、どうでもよかった。彼女の神は、あの路地裏の厨房に今もいるのだから。



 一方、その頃。魔界の最深部にある執務室。


 ルシウスが山のように積まれた分厚い帳簿の束と睨み合っていた。彼の細い指先が、鉄の算盤を弾く。


 パチ……、パチ……。


「……合いませんね」


 ルシウスは、冷徹な声で呟いた。

 眼鏡の奥の瞳が、一枚の羊皮紙を鋭く射抜いている。


「ル、ルシウス……どうしました? またボクが何かミスを……?」


 隣のデスクで、書類の山に埋もれて液状化しかけているゼノンが、おずおずと尋ねた。


「違います、ゼノン。……これを見てください」


 ルシウスが指し示したのは、人間界における信仰の要である『教会上層部』から流出している、使途不明の莫大な寄付金の記録だった。


「教会の資金が、いくつものダミー商会を経由して……魔界の過激派、『理詰めの翁』の配下にある別の一派の領地へと流れ込んでいる。それも、大量の武器や物資に形を変えて」


「えっ……? それって、どういう……」


「教会上層部が、意図的に魔界の過激派に投資をしているということが疑われます。両世界に再び戦争の火種を投げ込み、自らそれを消し止めるふりをして利益を得る……」


 ゼノンの顔から、完全に血の気が引いた。


「そういえば教会には『聖女』エレン様がいたはずです。彼女は……」


 ルシウスの薄い唇から、微かな冷気が漏れる。


「……今回の教会の件、許しがたいですね」


 ルシウスは立ち上がり、分厚い帳簿を閉じた。


「ゼノン。このバグは、私が処理します。……彼らの腐った計算式を、根底から論破してやりましょう」


 氷の計算機の瞳に、静かな、しかし決して消えることのない青い炎が宿った。

 平和な『キッチン・ブラン』の日常の裏側で、巨大な歯車が、確実に狂い始めていた。

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