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元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第4部:遠き日の記憶と、冷たい祈り

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第80話 『大泥棒のストライキと、転がり込んだ黒い影』

 王都の職人街に、爽やかな初夏の陽光が降り注ぐ朝。『キッチン・ブラン』の店内では、いつものように開店前の穏やかな時間が流れていた。……と言いたいところだが、カウンターの隅では、一人の男がモップを握りしめながら血涙を流していた。


「もう嫌だ! 俺は今日限りで、この店での労働をボイコットさせてもらう!」


 悲痛な叫びを上げたのは、大泥棒のギャレットだ。彼はモップを床に叩きつけると、厨房で仕込みをしているアルフレッドに向かって、恨み言をまくし立てた。


「聞いてくれよ相棒! ルルがあの席に座り始めてからというもの、俺の寿命は削られっぱなしだ! 昨日なんて、拭き掃除をしてたら天井から謎の鉄球が降ってきたんだぞ! その前は熱湯だ! 俺の反射神経がなけりゃ、今頃この世にいねえんだよ!」


 ギャレットの指差す先、カウンターの隅の丸椅子には、透き通るようなアメシスト色の髪をした少女、ルルが、瞬き一つせずに無表情で座っていた。


「優秀。いつもありがとう」


「くっそ! 感謝の言葉に感情がちっともこもってねえんだよ!」


 ギャレットが頭を抱える中、アルフレッドはフライパンを磨きながら、苦笑交じりに言った。


「まあまあ。でもルルさんが来てから、職人街の職人があからさまに活気づいてるんだよ。しょうがない、今日の賄いは、ギャレットの好きな特大カツ丼にするよ」


「カ、カツ丼……! 分厚い肉に甘辛いタレと卵が絡んだ、あの至高の……いや、騙されねえぞ! 命あっての物種だ! 俺は今日、絶対にこの店から離れて、安全な街の反対側で平和を満喫してやる!」


「ふん。相変わらず騒々しい鼠め」


 窓際の特等席で、淹れたての紅茶の香りを堪能していたディアボロが、冷ややかに言い捨てる。


「大凶に怯える程度の器なら、今すぐ去るがいい。我が城の空気が澱む」


「ああ、言われなくても出ていってやるよ! あばよ、相棒! 俺は平和な休日を過ごしてくるぜ!」


 ギャレットはそう言い残し、逃げるように店の扉を飛び出していった。



「はーっ、空気がうめぇ!」


 店から遠く離れた王都港側の裏路地。

 ギャレットは両手を広げ、潮の香りのする冷涼な風を胸いっぱいに吸い込んだ。

 頭上から鉄球も、熱湯も降ってこない。ただの猫が屋根を歩き、洗濯物が平和に揺れている。


「やっぱり俺には、こういう自由で安全な時間が……」


 ギャレットが大きく伸びをした、その時だった。


「お散歩、気持ちいい」


 背後から、一切の足音を伴わずに、平坦で透き通るような声が鼓膜を打った。


「……ひッ!?」


 ギャレットの全身の毛が逆立った。


 恐る恐る振り返ると、そこには、いつの間にか真後ろに立っているルルの姿があった。深いネイビーブルーのドレス。表情の動かない瞳。


「お、おおお前、なんでここにいんだよ!?」


「店番、飽きた。だから、お散歩」


「帰れ! 今すぐあの店に帰れ! お前が俺のそばで動くと、またとんでもない大凶が……!」


 ギャレットが叫んだ瞬間。ルルのアメシスト色の髪が、不自然な風に揺れた。


 ――ギリッ。


 頭上の建物の三階。窓辺に置かれていた重厚な素焼きの鉢植えが、全くの無風にもかかわらず、突如としてバランスを崩した。


「あ」


 ルルがぽつりと呟く。


 落下した鉢植えは、ギャレットの頭をかすめて石畳に激突し、派手な音を立てて砕け散った。


「ギャアアアッ!? ほら見ろ! 始まったぞ!」


「運命のダイス、転がった」


 砕けた鉢植えの音に驚いた野良猫が、「フギャー!」と鳴きながら路地を飛び出し、たまたま通りかかった馬車の馬の顔面に飛びついた。


「ヒヒィィィンッ!!」


 パニックを起こした馬が嘶き、御者の制止を振り切って猛スピードで裏路地へと突進してくる。


「嘘だろ!? この狭い路地に暴走馬車!?」


 ギャレットは悲鳴を上げ、全速力で駆け出した。

 すぐ背後には、地響きを立てて迫り来る馬の蹄の音。ルルは無表情のまま、そのすぐ横を歩いている。


「なんでお前は狙われねえんだよぉぉぉ!!」


 ギャレットは迫り来る馬車を避けようと、路地の端へ大きく飛び退いた。さすが盗賊と思うほどの、見事な身のこなしだった。


 だが、不運の連鎖は、彼の卓越した運動神経すらも計算に組み込んでいた。


 ズボッ!!


「あぐっ!?」


 飛び退いた先の石畳。そこだけ偶然、排水用の側溝の鉄格子が外れていたのだ。

 ギャレットの右足が深々と側溝に足を取られ、前につんのめった彼の体は、美しい放物線を描いて宙を舞った。

 そして、その放物線の落下地点には、なぜか酒屋が天日干しのために置いていた『空の特大ワイン樽』が、口を上に向けて待ち構えていた。


 スポォォォォンッ!!!


「もががががっ!?」


 勢い余ったギャレットの体は、頭から空の樽へと突っ込み、綺麗にすっぽりと収まった。両足だけを外に出してジタバタと暴れるが、樽にはまった体は抜けない。


 さらに悪いことに、ギャレットの重みでバランスを崩し、横倒しになった樽は、そのまま緩やかな石畳の坂道を下り始めたのだ。


 ゴロゴロゴロゴロ!!!


「イヤッヒャッハァァァァァァッ!!」


 凄まじい轟音と回転。樽の中で視界と平衡感覚を奪われたギャレットは、己の運命を呪いながら、ただひたすらに坂を転がり落ちていった。



 一方その頃。ギャレットが転がり落ちている坂の途中、入り組んだ薄暗い路地の奥では、息を潜めるような密談が行われていた。


「……資金の移動は済んだか」


「ええ。教会上層部からの寄付金として処理し、すでに魔界の『翁』の元へ流れるよう、ダミー商会を経由させました」


 薄暗い影の中で言葉を交わしていたのは、教会の紋章が入ったローブを深く被った男と、胡散臭い笑みを浮かべる商人だった。


「聖女エレン様を幽閉したことで、教会の実権は完全に我々の手に落ちました」


「左様で。……これが、今回の物資の送り状です」


 商人が、羊皮紙の束をローブの男へと手渡そうとした。

 二人の男が邪悪な笑みを交わした、その瞬間だった。


 ゴロゴロゴロ……ッ!!!

 ドッゴォォンッ!!!


「ヒャッハァァァァァァッ!!」


「な、なんだ!?」


 路地の壁でバウンドし、凄まじい勢いでスピンしながら突っ込んできた『足の生えたワイン樽』が、密談中の二人の間を見事にすり抜けた。


 突風。樽が巻き起こした暴風によって、商人が手渡そうとしていた送り状が宙に舞い上がった。


 そして、その中の一枚が、樽から顔だけ出していたギャレットの顔面に、ベシッ! と音を立てて張り付いた。


「もぐぅぅぅぅっ!?」


 顔面に紙を張り付けたまま、樽は一度も減速することなく、再び坂道へと消えていった。


「……あ、あの樽は一体……?」


「そ、それより送り状が!! 一枚足りないぞ!!」


 路地裏に取り残された男たちの焦燥など知る由もなく、ギャレットを乗せた樽は、王都の石畳を爆走し続けた。


 ガシャァァンッ!!!


『キッチン・ブラン』の厨房で肉を叩いていたアルフレッドは、裏口の扉が木っ端微塵に粉砕される音を聞いて、思わず包丁を止めた。


 舞い上がる土煙の中、床を転がってきた大きなワイン樽が、アルフレッドの足元でゴツンと止まる。


「……相棒……もう、駄目だ……」


 樽の中から、顔面に羊皮紙を張り付けたままのギャレットが、血涙を流しながら呻いた。


「……随分と派手なご帰還だな、ギャレット。っていうか、その樽どこから持ってきたんだ?」


「おつかれ、避雷針」


 ギャレットが呻いていると、しばらくして開け放たれた裏口から、無傷で一切の埃もついていないルルがトコトコと歩いてきて、無表情のままギャレットの飛び出た足をポンポンと叩いた。


「俺は避雷針じゃねえって言ってんだろ……! ああもう、世界が回ってる……」


 ギャレットはフラフラになりながら、自力で樽から這い出した。

 アルフレッドは呆れながらも、労うように笑った。


「はいはい、お疲れ様。……約束通り、特盛りのカツ丼を用意してるから、綺麗にしてこいよ」


「カツ丼……! 相棒、お前だけが俺の癒やしだ……!」


 うるうると手を胸の前で合わせ、祈るようにアルフレッドを見る。が、その顔には羊皮紙がべたりと張り付いていた。


「っ、なんだよこの紙、顔に張り付いたままで前が見えねえ!」


 ギャレットは顔面の羊皮紙をベリッと剥がし、無造作に放り投げた。


「なんだこれは?」


 ディアボロの足元に羊皮紙が落ちる。それを拾い上げ、中身に目を通すと、彼の眉間に皺が寄った。


「ふん……面倒だ。ルシウスに回すか」


と一言つぶやき、ちび燕尾服を収納している新調した展示ケースに向かって、魔力をぶつける。


「ちょ、ちょっと待ったああああ!」


 瞬時にルシウスが裏口の壊れた扉から、展示ケースをかばうように現れる。


「ルシウス、これを処理しておけ」


 そういうとディアボロはルシウスの顔にその羊皮紙を投げつけると、興味なさそうにいつもの窓際の席に向かう。


「こ、これは……」


 ルシウスの表情が曇り、その一枚の羊皮紙を食い入るように見つめ、何かを弾き出すように視線を細かく動かしていた。

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