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元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第3部:魔界の足音と、揺るがぬ白き城

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第72話 『帰還する王と、温かき食卓』

 魔王城の深奥、古代の魔法陣が刻まれた転移の間。そこには、全てを終えて帰還の途につこうとする四人と、彼らを見送る二人の臣下の姿があった。


「お疲れ様でした、魔王様」


 ルシウスが一分の隙もない姿勢で、深く一礼する。


「魔界の内政は、私にお任せください」


「……任せた」


 ディアボロは短く頷き、その隣へ視線を移した。そこには、極度の緊張と胃痛から解放され、すでに床へ半分ほど溶けかけている魔王代理の姿があった。


「胃が……やっと……頑張りますぅ……」


「……ふん。無理をするな」


 ディアボロが呆れたように、だが確かな労いを込めて告げる。アルフレッドもまた、ルシウスに向かって真っ直ぐに群青の瞳を向けた。


「また、店に来てください」


「……はい。必ず」


 ルシウスは手にした鉄の算盤を強く握りしめ、静かに、だが力強く応じた。その横で、ボロボロになったギャレットが深いため息をつく。


「はぁ……やっと帰れる……」


「また店にいく」


 無表情のままルルが告げると、ギャレットが「えええええ!?」と悲鳴を上げ、その場に小さな笑いが起きた。


 ディアボロが魔法陣に魔力を流し込む。漆黒の光が四人を包み込み、ルシウスとゼノンが静かに手を振る中、光が弾けた。


 次の瞬間――。


 肌を撫でたのは、職人街の路地裏に流れる緩やかな風。そして目の前に広がるのは、見慣れた王都の石畳と、白い壁。爽やかな初夏の日差しが降り注ぐ、『キッチン・ブラン』の裏口だった。


「……帰ってきたな」


 アルフレッドが、目を細めて小さく笑う。


「ええ」


 ディアボロは重々しい深紅のマントを無造作に脱ぎ捨てた。


「……暑い」


「今は初夏ですから。……お疲れ様でした」


 二人が言葉を交わし、いつもの扉に手をかける。カランコロン、と軽やかなベルの音が響き、店内へ足を踏み入れた瞬間だった。


「うわあああっ!?」


 後をついてきたギャレットの悲鳴が上がり、見事にカウンターの角で頭を打って床に倒れ込んだ。彼の足元には、なぜかどこからともなく転がってきたレンガが落ちている。早速、ルルの大凶が発動したらしい。


「そろそろ慣れて」


 ルルは無表情のまま言い、それを見下ろす。ギャレットは「まだ魔界の疲れが……」と床で痙攣している。


「お帰りなさい!」


 厨房の方から駆け寄ってきたのは、エリアーナだった。


「無事で……本当に!」


「心配したわよ」


 リディアが呆れたように言いながらも、その顔には心底ホッとした笑顔が浮かんでいる。


「アルフレッド様ぁぁぁ!!」


 勢いよく突進したエレンがアルフレッドに躱され、前につんのめると、ちょこんと立つルルと目線が合った。


「ルルちゃんも、お帰り!」


「……ただいま」


 声はいつも通り平坦だったが、ルルの口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。


「……あんた、ボロボロね」


 リディアが呆れて床のギャレットを見下ろすと、彼は恨めしそうに顔を上げた。


「……俺の心配もしろよ」


「お前が無事なのは見ればわかる」


 ガイルが即答し、店内にからりと明るい笑い声が弾けた。


 その騒がしい出迎えの中。ディアボロは何も言わず、一直線に窓際の特等席へと歩を進めた。いつもの場所。いつもの席。すっと腰を下ろし、優雅に脚を組む。深紅のマントを脱ぎ捨てた彼は、すでにいつもの漆黒の燕尾服姿に戻っていた。


「……ふぅ」


 そこにあるのは、魔界の重く垂れ込めた暗雲ではない。初夏の穏やかな街並みと、明るい日差しだった。


 ここが我の帰る場所だと、そう確信すると、自然に頬が緩んだ。


「少し待っててください」


 アルフレッドはコックコートの襟を正し、いつものエプロンを身につけて厨房へと入った。冷蔵庫を開け、出発前に完璧な状態で熟成させておいた極上の肉を取り出す。指先に伝わる弾力に、仕上がりの確かさを感じて安堵のため息が出た。


「……無事で、よかった」


 誰に聞かせるでもない小さな呟きと共に、彼は熱した鉄板に極上の肉を滑らせた。


 ジュワァァァッ!!


 暴力的なまでの食欲をそそる音と、芳醇な肉の香りが一瞬にして店を満たす。


「おおっ……」


「いい匂い……」


 常連たちが一斉に歓声を上げ、喉を鳴らす。表面はカリッと香ばしく、中は極上の肉汁を閉じ込めたままジューシーに。ディアボロの好みを完璧に理解し尽くした焼き加減だ。付け合わせの野菜も彩りよく配置し、深い平皿に盛り付ける。


「よし」


 アルフレッドは皿を手に取り、ディアボロの前に静かに置いた。


「お待たせしました」


 ディアボロは、差し出されたステーキをじっと見つめた。立ち上る湯気、完璧な焼き色、そして表面に滲み出す透明な肉汁。


「……」


 無言のままナイフを手に取り、ゆっくりと肉に入れる。スッと抵抗なく刃が通り、中から完璧なミディアムレアのロゼ色と、溢れんばかりの肉汁が顔を出した。

 フォークで持ち上げ、口へと運ぶ。


 目を閉じる。ゆっくりと咀嚼する。肉の圧倒的な旨味、ソースの深いコク、そして野菜の甘みが、口の中で完璧な調和を奏でる。ごくり、と飲み込んだ瞬間。


「…………ぐるる」


 極めて微かな、しかし確かな喉鳴りが、ディアボロの奥から漏れ出た。店内が、一瞬だけ静かになる。常連たちは、その音を聞いて、示し合わせたように温かい笑顔を浮かべた。


 目を開けたディアボロは、少しだけ不機嫌そうに言い放つ。


「……待たせすぎだ」


「すみません、マスター」


 アルフレッドが悪戯っぽく笑って返すと、ディアボロは「……ふん」と鼻を鳴らした。だが、その口元はほんの少しだけ、確かに綻んでいた。


「で、魔界は、どうだった?」


 ガイルが身を乗り出して尋ねる。


「……勝った」


 ディアボロが短く答えると、ガイルは「そうか」と満足そうに深く頷いた。


「お疲れじゃったな」


「……ああ」


「良き戦いであったか?」


 グレゴリウスの問いに、ディアボロは肉を切り分けながらポツリと返す。


「……悪くはなかった」


「当然の結果ですわね!」


 エリアーナが高らかに笑う。


「……ふん」


「でも、無事で何よりです」


「お疲れ様」


 リディアがシンプルに労い、ディアボロも短く頷いた。


「アルフレッド様が無事で……!」


 エレンが今にも泣きそうな顔で手を組むと、アルフレッドは優しく笑いかけた。


「ただいま、エレン」


「魔王様、強かった」


 ルルが無表情のまま、しかしどこか誇らしげに告げる。


「……当然だ」


「俺も頑張ったんだけど……」


 床から這い上がってきたギャレットの言葉には、誰も反応しなかった。


「みんなが鬼にぃぃぃ!!」


 再び、店内に笑い声が溢れる。いつもの賑やかさが戻ってきた。


 ディアボロはステーキを咀嚼しながら、時折、厨房のアルフレッドへ穏やかな眼差しを向ける。アルフレッドもまた、フライパンを振りながら時々窓際に目をやる。

 ふと目が合う。ディアボロはすっと視線を外し、窓の景色へと顔を向ける。だが、決して悪い気はしない。


 ガシャーン!!


「またああああ!?」


 ルルの大凶が発動し、今度はどこからか飛んできた皿がギャレットの頭を直撃して悲鳴が上がる。


「あら、今日は絶好調ね」とエリアーナが笑い、「いつものことじゃない」とリディアが呆れる。「ベール姿のアルフレッド様も良かったけど、こっちも素敵ですわ……」とエレンが妄想を膨らませ、酔っ払ったガイルはテーブルに突っ伏していた。グレゴリウスが「良き日常じゃ」と穏やかに微笑む。


 騒がしい。でも、温かい。


 ディアボロは、食後の特製ブレンド『ブラン』のカップを持ち上げた。芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。


(……先代は、孤独だった)


 視線を移し、厨房のアルフレッドに目を向ける。


(だが、我は違う)


 店内を見渡す。騒がしい常連たち。絶えない笑い声。そして、この温かい空気。


(我には、この騒がしい日常がある)


(この、温かい食卓がある)


 カップを口に運び、紅茶をゆっくりと啜る。


(……それでいい)


 静かに目を閉じ、深い満足をその身に刻み込んだ。


 トントン、トントン。厨房からは、アルフレッドが次の料理を作る小気味よい包丁の音が響いている。

 初夏の日差しが、窓から真っ白な店内へ明るく差し込んでいた。

 ディアボロがふと視線を向けると、厨房のアルフレッドと一瞬だけ目が合う。だが、互いに何も言わないまま、またそれぞれの日常へと戻っていく。


 騒がしくて、温かくて、平和な日常。その中で、孤独を終わらせた王と、その隣に立つ料理人の時間は、今日も静かに流れていく。

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