第65話 『七福一凶の防衛線と、平和すぎる黄金チキン』
魔界の薄暗い屋敷の一室。
保守派の重鎮である旧貴族『理詰めの翁』は、目の前に控える裏社会のプロ誘拐部隊のリーダーに、ずっしりと重い金貨の袋をドサリ、と投げ渡した。
「ターゲットは我が孫娘、ルル。現在、人間界の王都にある『キッチン・ブラン』なる店に身を置いている。魔王に悟られず、極秘裏に奪還せよ」
「畏まりました。魔王の目を盗むことなど、我々プロには造作もないこと。しかし、あの恐るべき魔王が、なぜ人間界の小汚い食堂などに……」
「口を慎めッ!!」
翁が激昂し、大理石の床を杖で激しく打ち据えた。
「……若き王は今、人間の料理人ごときに誑かされ、魔界の玉座を空けるという愚行に走っておる。我が一族の至宝であるルルまでもが、その毒牙に当てられたのだ。忌々しいことこの上ない」
翁は深く皺の刻まれた顔をさらに険しく歪め、誘拐犯を睨みつける。
「身内を動かせばあの魔王に足がつくゆえ、わざわざ外部のプロである貴様らを雇ったのだ……。いいか、ルルの髪の毛一本、肌に擦り傷一つでもつけてみろ。報酬どころか、貴様ら一族郎党、魂の塵すら残さず消し去ってくれるわ!!」
「ひっ……! は、はい! 殺さないよう徹底し、制圧を行います! ちなみに対象の特異な能力などはありますでしょうか?」
「ルルはか弱い。その上、少しばかり運命が……いや、貴様らのような下賎な輩に我が孫娘の秘密を明かす必要はない。いいか、すべての殺傷兵器の使用を禁ずる。以上だ。行け」
――数日後。初夏の日差しが降り注ぐ王都。職人街の路地裏に佇む『キッチン・ブラン』は、不自然なほどの静寂に包まれていた。
隣の建物の陰。黒いローブの集団が気配を絶ち、店の中を確認している。
翁から、対象は殺傷するなとの厳命を受けた誘拐部隊のリーダーが、ローブに身を包んだ部下たちに、低い声で指示をする。
「……対象はカウンターの隅。魔王は窓際で茶を飲んでいる。今は我々の気配には全く気づいていない」
緻密な包囲網。計算し尽くされた死角からの奇襲をかけるため、部隊は散開する。
「いいか、殺傷兵器はご法度だ。睡眠針だけで無傷で仕留めるぞ。第一班、放て。プロの仕事を見せてやれ」
合図と共に、音もなく窓の隙間から数本の睡眠針が放たれた。
一方の店内。
窓際の特等席では、ディアボロが目を閉じ、淹れたての紅茶の香りを楽しんでいた。
ルルはカウンターの隅の丸椅子に座り、無表情のまま微動だにしていなかった。その隣では、大泥棒のギャレットが恨めしそうにモップをかけている。
「なんで俺が、こいつの分まで床磨きを……」
「労働の代償。動くと運命のダイスが転がる」
ルルが答えた瞬間。開け放たれた窓の隙間から飛来した睡眠針が、突如として吹いた突風に煽られ、ギュンッと軌道を変えた。針はルルを完全に逸れ、ギャレットが掃除しようとしていた手の届かない天井の隅に突き刺さり、見事にクモの巣を絡め取り、ふわりと落下し、端のゴミ箱に入る。
「お? 風魔法で手伝ってくれたのか。手間が省けたぜ。ルル、お前案外使えるな!」
「次も、幸運」
外で息を潜める雇われのプロたちは、戦慄する。
「ば、馬鹿な……あの距離で射線を逸らしただと……!?」
そんな緊迫した外の空気など露知らず、厨房ではアルフレッドがまかないの準備を進めていた。
「ギャレット、少し煙が出るぞ」
アルフレッドは、数種類のスパイスに煉獄唐辛子をほんの微量だけ入れてブレンドした特製スパイスを、熱したフライパンで空煎りし始めた。
強烈で刺激的な香りが、一気に厨房に立ち昇る。
「ゲホッ、ゴホッ! 相棒、目が痛てぇ! 換気扇、最強にしてくれ!」
「おう、わかった」
アルフレッドが換気扇の出力を最大に引き上げる。排気口から、強烈なスパイスの煙が外へと勢いよく噴き出した。その煙は絶妙な気流に乗り、屋根の上で待機していた誘拐部隊の顔面へ、思い切り直撃した。
「ぐあああっ!? 目が、目がぁぁっ!」
「くそっ、目に見えぬ毒ガス兵器を散布しているぞ……! なんという隙のなさだ!」
屋根の端に潜んでいた第二班は、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、屋根の上を転げ回った。
「……ええい、ひるむな! 窓の隙間から催眠玉を投げ込め!」
リーダーの指示で、第三班の一人が接触起爆式の催眠玉を取り出した。それを放る寸前、涙で手元が狂い、目の前の手すりにぶつけて暴発。ボフッ! というくぐもった爆発音と共に、懐に隠し持っていた小ぶりな魔宝石が飛び出し、窓の隙間をすり抜けて、店内でモップがけをしていたギャレットの額にベシっと当たり、床に落ちる。
「いてっ。……お?」
ギャレットが床に落ちた石を拾い、確認する。
「小ぶりだが、魔宝石じゃねえか。臨時収入ついに来た!」
ギャレットはホクホク顔で、魔宝石をポケットに放り込んだ。窓際では、ディアボロが陽を浴びながら、紅茶をゆっくり啜る。
「幸運、あと一回」
ルルは座ったまま、退屈そうに呟いた。
「よし、揚げるぞ」
厨房のアルフレッドが、たっぷりとスパイスをまぶした鶏肉を、大きなフライパンになみなみと入っている高温の油の海へ、一気に投入した。
ジュワァァッッ!!
油が荒れ狂い、店内を満たす揚げ音。その強烈な音の波に驚いたのは、屋根の梁で昼寝をしていた、野良猫だった。
「フギャーッ!」と飛び上がった猫は、プロたちが地面に描いていた魔力増幅用の魔法陣のど真ん中に落下。
魔力誘導の印が猫の肉球に消され、効果がずれた。魔法陣が逆流して小規模な爆発を引き起こした。ボフン、と間抜けな音に合わせて、ディアボロが茶器をソーサーに置く。カチャリ、と硬質な音が店内に響いた。
「馬鹿な……っ! 調理の音波を利用して、猫を起動させ、我々の魔力波長を乱したというのか!?」
リーダーは、次々と壊滅していく部下たちを見て、恐怖に顔を引きつらせた。
魔王は一歩も動いていない。料理人はただ肉を揚げているだけ。それなのに、なにもできない。
「こうなれば、プロの意地に懸けて、ルル様だけでもどうにか……!」
その後も、部隊の罠が風に邪魔されるなどの幸運が、息つく暇もなく連鎖していく。何も成功できていないリーダーは、ついに決断する。
「この手は使いたくなかったが……」
リーダーは、最大規模の強制転移魔法を、細い路地裏で詠唱し始めた。詠唱が完成する直前、店内から小さな声が聞こえた。
「次、大凶」
ギリ、ギギギッ……。ルルの頭上、隣の建物の屋根の修理のために積まれていた重いレンガの束が、バランスを崩して細い路地裏へ向かい、一気に崩落した。
数百キロの質量が、ルルめがけて一直線に落ちる。……はずだった。
だが、その落下軌道の直線上に、たまたま強制転移魔法を詠唱しようとポーズを決めたままのリーダーが存在していた。上からの圧で黒いローブがはためく。
ガラガラガラッ!!
ルルを襲うはずだった大凶は、見事にリーダーを直撃し、彼を石畳に沈める。
外の惨状などどこ吹く風で、ディアボロは優雅に足を組み、眩い日差しに目を細め、不敵に口角を吊り上げる。
「大凶、終わり」
ルルは、少しだけ首を傾げたが、店内の美味しそうな匂いに姿勢を正す。
「よし、揚がったぞ! まかないにしよう」
アルフレッドが、黄金色に輝くスパイシー・フライドチキンを山盛りにした大皿をカウンターに置いた。ルルはベタつく油を気にせず、両手でチキンを掴み、大きく口を開けて齧り付く。猛烈な速度でリスのように頬が膨らんでいく。
「あっち! 辛っ! でも美味え! ルル、お前俺の分のポテトまで食うな!」
ギャレットも騒ぎながらチキンに食らいつく。
「……ふん。油まみれの野蛮な食事だが、悪くない。アルフレッド、我のグラスに炭酸の効いた飲み物を注げ」
ディアボロは優雅にチキンを口へ運び、喉の奥で小さく「ぐるる……」と唸った。
「……最近の野良犬は騒がしいな。アルフレッド、窓を閉めろ。旨さが逃げる」
「はいはい、マスター。辛さはどうですか?」
数時間後。魔界の最深部。満身創痍で逃げ帰った部隊の生き残りが、玉座に座る『理詰めの翁』の前に平伏していた。
「……何だと? プロである貴様らが、一歩も近づけずに全滅したと申すか」
「は、はい……。奴らは、目に見えぬ強烈な毒ガスを操り、我々の目を潰しました。そして激しい音波で我々の魔法陣を乱したあと、最後は未知の質量兵器でリーダーを粉砕しました……! しかもその間、魔王と料理人は、優雅に肉を貪っていたのです! 完全なる、強者の余裕……我々の動きなど、全て読まれておりました!」
震える報告を聞き、理詰めの翁はゆっくりと目を閉じた。
「……なんと恐ろしい。これほどの力を持つ若き王が、人間に傾倒しているとは」
翁が手にした杖を、床に静かに突く。
「やはり、放置はできぬな。……小細工は無用。魔界の古式に則り、直接『王の器』を問うしかあるまい――」
ジャンクな黄金のチキンが、魔界の歴史を揺るがす政変の引き金を、確実に引いたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます! 少しでも「面白い」と思っていただけたら、【★での評価】や【ブックマーク(フォロー)】で応援してもらえると嬉しいです!




