第58話 『爆炎の魔女と、冷たすぎるスープ』
王都の職人街に、少し早い夏が訪れていた。石畳からは陽炎が立ち昇り、道行く人々は上着を脱いで汗を拭っている。そんな熱気の中、『キッチン・ブラン』の扉が勢いよく開かれた。
「暑いわね! なんなのこの湿気は! 私の魔力回路がショートしそうよ!」
入ってきたのは、燃えるようなオレンジ色の髪を巨大な縦ロールにした大賢者、エリアーナだった。
彼女の周囲だけ気温が数度高い気がする。彼女はカウンター席にドカッと座ると、汗で濡れたおしぼりを手に取り、ふんと鼻を鳴らした。
「乾燥!」
パシュッ! 一瞬で蒸気が上がり、おしぼりがカピカピに乾いた布の塊と化した。
「……エリアーナさん。おしぼりは顔を拭くものであって、瞬時に脱水して板にするものじゃありませんよ」
厨房からアルフレッドが苦笑いしながら、新しい冷えたおしぼりを差し出した。
「あら、ごめんなさい。この溢れ出る熱情をどうにかしたいのよ。……アルフレッド、私に究極に冷たくて、白いスープを作らせなさい」
「作ってくれ、じゃなくて、作らせろ、ですか?」
「ええ! 修行の成果を見せる時よ。この体内の熱を鎮めるような、雪のように冷たいスープを、私の手で作りたいの!」
エリアーナの首筋にある青白い亀裂が、魔力の高まりに合わせてカッと光る。窓際で優雅にアイスティーを飲んでいたディアボロが、鬱陶しそうに顔をしかめた。
「……騒々しい老女だ。貴様が冷たいものを作ろうとすれば、どうせ爆発して熱湯になるのがオチだろう」
「なんですって!? 黙って見てなさい、銀髪! 今の私は、火加減を覚えた女よ!」
エリアーナは立ち上がり、厨房へと乗り込んだ。アルフレッドが提案したのは「ヴィシソワーズ」。ジャガイモとネギをバターで炒め、ブイヨンで煮込んで裏ごしし、最後に生クリームを加えてキンキンに冷やすスープだ。
前半の「煮込む」工程までは順調だった。エリアーナは以前学んだ「弱火」を駆使し、焦がさずに野菜の甘みを引き出した。問題は、仕上げの「冷却」だった。
「よし、煮込み終わったわ。あとはこれを一瞬で冷やせば……。冷却!」
エリアーナが鍋に杖を向け、冷気を叩き込んだ瞬間。
パリーンッ!!
「きゃっ!?」
急激な温度変化に耐えきれず、陶器の鍋が真っ二つに割れ、スープが調理台に溢れ出した。
「あああ! 私のスープが!」
「……ふん。当然の帰結だ。熱膨張と収縮の理屈も知らぬのか」
ディアボロが呆れたように鼻を鳴らす。
「うるさいわね! じゃあどうすればいいのよ! 魔法で冷やす以外に方法なんてないじゃない!」
「ふん。貸してみろ」
ディアボロが立ち上がり、グラスに入った常温の水を指差した。
「凝固せよ」
パキパキパキッ……。彼が指先を軽く振っただけで、水は一瞬にして凍りつき、しかもグラスを割ることなく、美しい薔薇の形をした氷へと変化した。
「な……っ!?」
「見ろ。魔力を均一に浸透させ、分子レベルで振動を止めれば、器を壊すことなどない。貴様の魔法は、ただの暴力だ」
ディアボロは勝ち誇った顔で氷の薔薇を見せつけた。エリアーナの縦ロールがブルブルと震える。
「キーッ! 見せつけてくれるじゃない! この私が、そんな繊細な真似はできないとでも思ってるの!?」
「ああ、思っているぞ。貴様には一生無理だ」
二人が火花と冷気を散らし始めたところで、アルフレッドが割って入った。
「はいはい、喧嘩しないでください。……エリアーナさん、魔法を使うから失敗するんです。俺が教えたことを忘れたんですか?」
アルフレッドは新しい鍋を用意し、氷水を張った大きなボウルを持ってきた。
「魔法で無理やりねじ伏せるんじゃありません。こうして、氷水に鍋を当てて、ゆっくり混ぜながら冷ますんです」
「……手作業で? そんなの、日が暮れちゃうわよ」
「暮れませんよ。それに、こうやって混ぜている間も、美味しくなる時間なんです」
エリアーナは不満げに唇を尖らせたが、杖を置いて木べらを握った。カチャ、カチャ。氷がぶつかる涼やかな音と共に、彼女はスープを混ぜ始めた。
単調な作業だ。だが、不思議と心は落ち着いてくる。鍋底から伝わる冷気が、木べらを通して指先に伝わり、彼女の中に渦巻いていた過剰な熱を吸い取っていくようだった。
「……あら。なんだか、静かになってきたわ」
エリアーナの首筋の光が、穏やかな明滅へと変わる。逆立っていた縦ロールも、しっとりと肩に落ち着いた。
「よし、十分に冷えましたね。仕上げに生クリームを」
アルフレッドが冷たい生クリームを注ぐと、スープは艶やかな乳白色に染まった。それを、よく冷やしておいたガラスの器へと静かに注ぎ分ける。
「完成です。『大賢者のヴィシソワーズ』」
エリアーナは器に注がれた白い液体を見つめた。湯気はない。ただ、ひんやりとした冷気だけが漂っている。一口、スプーンで口に運ぶ。
「…………」
冷たい。そして、驚くほど滑らかだ。ジャガイモの素朴な甘みが、冷たさによって研ぎ澄まされ、喉を通るたびに体の芯まで染み渡っていく。
「……美味しい。私の魔法よりも、ずっと涼しいわ」
エリアーナがうっとりと呟くと、横から白い手が伸びてきた。
「……貸してみろ。貴様の魔力が混じった危険物だ。我が直々に毒見をしてやる」
ディアボロが当然のようにスプーンを奪い、一口啜る。
「……ふん。悪くない。貴様の騒がしい魔力も、冷やせば多少はマシな味になるようだな」
ディアボロの喉は「ぐるる……」と微かに鳴っていた。
「あら、素直じゃないわね。……でも、お礼にアンタの心も少しは冷やしてあげるわよ!」
エリアーナは上機嫌になり、指先をディアボロのティーカップに向けた。
「お返しよ! 冷却!」
カキンッ!
制御を誤った魔力が直撃し、ディアボロのホットティーが一瞬でカチカチの氷塊になった。
「なっ、……貴様。我の茶を凍らせたな?」
「あ、あら? ちょっと出力が……」
「表へ出ろ老女! その縦ロールを冷凍保存してやる!」
「望むところよ! 跳ね返してアンタの髪を燃やして差し上げますわ!」
再び始まった喧嘩を横目に、アルフレッドは冷えたスープを鍋ごと冷蔵庫にしまった。騒がしい店内に、涼やかな風が吹き抜ける。今年の夏も、どうやら退屈することはなさそうだ。
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