第55話 『黄金の乾杯と、隠れない明日』
戦いの熱が引いた後、一行が戻ってきたのは、いつもの路地裏にある『キッチン・ブラン』だった。
店に入った瞬間、アルフレッドは慣れた手つきでコックコートの袖をまくり、厨房へと立った。戦場で剣を振るっていた時とは違う、しかし同じくらい真剣な背中。彼は冷蔵庫を開け、挽肉を取り出すと、ボウルに入れて丁寧に、そして力強く練り始めた。
パン、パン、パン。
空気を抜く小気味よい音が、静まり返った店内に響く。その音を聞いて、カウンター席に座り込んでいたガイルが、ようやく夢から覚めたように顔を上げた。黄金の鎧は傷だらけだが、その顔にはもう兜はない。
「……本当に、生きていたんだな。そして、ずっとここにいたのか」
ガイルの声は震えていた。
目の前で料理をする男の背中が、かつての親友のものと完全に重なる。
アルフレッドは苦笑しながら、形成したハンバーグのタネを鉄板に乗せた。
ジュワアアッ! という食欲をそそる音が立ち上る。
「ああ。魔王を倒した後、色々あってな。気づいたらこの店で、働くことになってたんだ」
「……なぜ、黙っていた! 私がどれほど……どれほど探したと……!」
ガイルがカウンターを叩く。だが、その拳に力はない。怒りよりも、安堵と、自分の目があまりに節穴だったことへの情けなさで、その目には涙が溢れていた。
「悪かったよ。でもな、ガイル。……お前が『店員殿』として俺に話してくれた悩み、あれを聞くのが結構好きだったんだ」
アルフレッドはフライパンを揺すりながら、優しく言った。
「お前が俺を忘れないでいてくれたこと。それが嬉しくて、言い出せなかった。……臆病だったんだよ、俺は」
「……馬鹿な奴だ」
ガイルは鼻をすすり、袖で涙を乱暴に拭った。
やがて、アルフレッドが皿を差し出した。湯気を立てる、店の看板メニュー。『特製デミグラスソースの煮込みハンバーグ』だ。
「食えよ、ガイル。……お前、これ好きだっただろ?」
かつての冒険の日々。野営地でアルフレッドが作ってくれた、不格好だが温かいハンバーグ。それを思い出しながら、ガイルは震える手でナイフを入れ、一口分を切り分けると、そのままゆっくりと口へ運ぶ。
「…………っ」
溢れ出す肉汁。濃厚なデミグラスソースのコク。そして何より、作り手の体温が伝わってくるような、優しい味。それは、彼がこの数ヶ月、悩みがあるたびに通って食べていた「店員殿の味」であり、かつて世界で一番信頼していた「親友の味」と重なった。
「……うまい。……うまいぞ、アルフレッド……!」
ガイルは男泣きした。涙が頬を伝い、食事に落ちるのも構わず、彼は夢中でハンバーグを頬張った。
「……私は、なんと愚かな男だ。この味を、ずっと知っていたのに……!」
ガイルの目の前の、空になった皿が、二人の空白の時間を埋めていく。
「……ふん。湿っぽいな」
窓際の特等席で、ディアボロが呆れたように紅茶を啜った。
だが、そのテーブルには、いつの間にか山盛りのフライドポテトと、特製ハンバーグが置かれている。
店内を見渡せば、いつものメンバーが思い思いに食事を楽しんでいた。グレゴリウスは「ポテをおかわりじゃ!」と叫び、リディアは鴨のローストにかぶりついている。エリアーナは優雅にスープを飲み、ゼノンは胃に優しいリゾットを食べて涙を流し、ルシウスは黙々とサラダを食べている。エレンに至っては、アルフレッド成分を浴びすぎ、幸せすぎて気絶したまま、椅子に座らされていた。
その賑やかな光景を見て、アルフレッドはふと、ヴァレリウスの言葉を思い出した。
『英雄は、いつか必ず自分の信者に殺される』
民衆の期待。重圧。
かつて彼を押しつぶそうとしたもの。
だが、今のこの店には、そんな空気は微塵もない。
「……マスター」
アルフレッドが呼びかけると、ディアボロは不機嫌そうに顔を上げた。
「なんだ。茶の代わりならまだいらん」
「ヴァレリウスの予言、外れましたね」
アルフレッドは晴れやかな顔で笑った。
「ここには、信者なんていない。……ただの、腹を空かせた食いしん坊たちだけだ」
ディアボロはフンと鼻を鳴らし、フォークでハンバーグを突き刺した。
「当然だ。我の城に、神を崇める者など不要。……ここにいるのは、我とアルフレッドの料理に胃袋を掴まれた、有象無象のみだ」
「そうですね。……俺はもう英雄じゃない。ただの、この店の料理人です」
料理が行き渡り、全員の手元にグラスがある。ディアボロが、面倒くさそうに、でも少しだけ口角を上げてグラスを持ち上げた。
「秩序? 予言? ……くだらん。我が気に入った。祝宴を許す。――乾杯だ」
その言葉を合図に、全員がグラスを掲げる。
「乾杯!!」
店中に響く声と、グラスが触れ合う軽やかな音。ガイルが涙を拭いながら、ゆっくりと言った。
「おかえり、アルフレッド」
アルフレッドは、もう布巾を被っていなかった。
素顔のままで、小麦色の腕を組み、彼はニカッと笑った。
「ああ。……ただいま!」
明日からはまた、騒がしくて、忙しくて、最高に美味しい日常が始まっていくのだ。
「さあ、冷めないうちに召し上がれ!」
アルフレッドの声と共に、黄金色の夜が、温かな湯気の中に溶けてゆっくりと過ぎていく。
――だが。
平和だったのは、ほんの束の間。運命が決定的にずれていくのは、あいつが持ち込んだ『ささやかな一凶』だった。
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