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元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第2部:英雄たちの休日と、黄金の再会

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第33話 『クロスマン爆誕』

 王都の職人街の午前は、いつも賑やかな声と鉄を打つ音で溢れている。高く澄んだ青空に、幾筋もの煙突から吐き出される煤けた煙が溶け込んでいく。そんな賑わいから少し離れた路地裏に佇む『キッチン・ブラン』の厨房に、トントン、と軽快で規則正しいリズムが戻ってきた。


 アルフレッドは、飴色に輝く木製のまな板に向かい、たっぷりと塩の乗った大ぶりの豚肉を前にしていた。包丁が肉の繊維を断つたびに、熟成された脂の微かな香りが立ち上がる。それをさらに厚切りにし、傍らには皮を剥いたばかりのジャガイモ、人参、そして丸々と太ったキャベツを並べた。最後に独特の清涼な香りを放つセロリを手際よく刻み、熱を帯びた鍋へと投入した。


「よし、火加減は……」


 アルフレッドがコンロのつまみに手をかけた、その時だった。


「……おい。またその『毒草』を入れたな?」


 窓際の特等席で紅茶を啜っていたディアボロが、ルビーのような深紅の瞳を向けた。声音には若干の嫌気が混じっているが、その表情には、ようやく厨房にアルフレッドが戻り、いつもの平穏が再開されたことへの微かな安堵が滲んでいるようだった。


「マスター、セロリです。これから入れる肉とキャベツを美味しくするための、これがメインのソースなんです。俺にまかせといてください」


「ふん、気に食わぬな。我は食わぬぞ。断じて、その皿には手をつけぬからな」


 アルフレッドは小さく笑い、火を強めた。

 立ち上った香りは、どこか懐かしく、鼻孔を優しく撫でるような根菜の甘み。一晩置いた黄金色のスープに、厚切りのベーコンとセロリの風味が溶け合い、深みのある香りが店内に満ちていく。


 お昼には少し早めの時間に、ドアのベルが鳴った。


「団長、こちらがくだんの食堂です」


 ガイルが落ち着いた所作で扉を開け、先を譲る。重厚な具足が床を叩き、ガシャンと騎士らしい音色を響かせて踏み込もうとしたガイルの肩を、制する者がいた。


「ガイルよ。鎧は脱いでから入るのが、もてなす者への礼節というものだぞ。……それに、そんな鉄の塊を纏っていては、せっかくの料理の味まで硬くなる」


 諭すように穏やかな声と共に、そこに立っていたのは、展示されていた英雄の一人、聖騎士団長グレゴリウスだった。輝く黄金の鎧を着ていた男は、今は紺色の貴族服を纏い、ガイルに鎧を脱ぐよう指示していた。


 窓際に座っていたディアボロは、そのやり取りを静かに眺めている。ティーカップの湯気の向こうの口元は、少し緩んでいた。


「……失礼いたしました。レオナルド、頼むぞ」


 レオナルドはしょんぼりした顔で、無言のままガイルの鎧を預かっていた。


 一歩、店内に足を踏み入れたグレゴリウスは、ふわりと緩いオールバックに流された濃い金髪を指先で整えると、深い灰色の瞳が店内を静かに見渡した。彼の左のこめかみから口元にかけて走る稲妻のような形の痣が特徴的だった。


 グレゴリウスは、窓際の特等席にいるディアボロを一目見た。王都の騎士団長と魔界の王。空気が一瞬で緊張感に満たされるが、グレゴリウスはディアボロへ向き直る。


「大変世話になった。ディアボロ殿」


 そう言うと、グレゴリウスはディアボロに向かって深く、静かに頭を下げた。

 ディアボロは不敵な笑みを浮かべ、手に持ったティーカップをわずかに傾ける。


「ここは食事する場所だ。愉しんでいくがよい」


「……感謝する」


 グレゴリウスはニッ、と破顔したあと頷くと、当たり前に布巾を装備したアルフレッドの案内で奥のテーブル席へと歩を進めた。


 当然のように案内を終え、厨房に戻ったアルフレッドは、かつてないほどの危機感に苛まれていた。


「やばいやばい! あの方は以前ガイルに肖像画を見せつけられた英雄の聖騎士グレゴリウス様!! それにガイルが付いてきているなんて! ええい、ここは布巾の装備を外すべきか……」


 ブツブツ呟くようにアルフレッドは鍋をかき混ぜる。その声をディアボロが拾い上げた。


「ふっ、また今日も珍妙な化け物のように行動するのか? アルフレ……むぐっ!」


 厨房にカトラリーを取りにきたディアボロはアルフレッドに口ごと拘束される。


「また今日も俺は布巾……クロスマンになります! 分かってますよねマスター! 俺の正体がバレたらここの店は差し押さえで営業停止ですよ!!」


 アルフレッドは自分で言っていることが無茶苦茶なのも気づかず、ディアボロに説教する。ディアボロはアルフレッドの拘束を解き、不機嫌そうにする。


「仕方がない。我が給仕を担当する。貴様は厨房で小麦色の腕を振るうがよい」


 やがて、ディアボロの手によって、立ち上る湯気と共に深皿が運ばれた。


「農夫風煮込みのポテだ。堪能するがよい」


 澄み切った黄金色のスープの中に、スプーンで崩れるほど柔らかく煮込まれた巨大なキャベツと、厚切りの肉。目の前におかれた皿からは、鼻腔をくすぐる温かい香りが広がる。我慢のできなくなったグレゴリウスは、目をひいた大きな豚肉の切り身から食べはじめた。


「ムホーーーッ!! なんじゃこのポテは!! 旨味が……旨味が魂の隅々にまで浸透していくようじゃ!! 最高じゃ、最高じゃぞ! わしの好きなじゃがいもも中まで味が染みていて最高じゃ!」


 なりふり構わずスプーン一本でガツガツ食べるグレゴリウスを見て、ガイルは青ざめ、ディアボロは鬱陶しい顔を向け、アルフレッドは布巾の中で目を丸くしていた。一通り食事をしたグレゴリウスは我に返ったようで、


「失礼した。復帰してから飯がうまくてのう。む、そろそろ混み合う時間か」


 そう言うとグレゴリウスはガイルとともにキッチン・ブランを去っていった。

 扉が閉まった瞬間、アルフレッドは頭の布巾を、カウンターの上に投げ捨てて言った。


「死ぬかとおもった……寿命が一万年縮むところだった」


 と、その場に崩れ落ちんばかりに深い吐息を漏らした。


 ディアボロは、抜け殻のようになったアルフレッドを冷ややかに見下ろし、言う。


「……アルフレッド。先ほど口にしたその『クロスマン』とは一体何だ? 貴様のその布巾を被った醜態に、わざわざ仰々しい名をつける必要がどこにある」


「あ、いや……それはその、ごめんなさい!」


 そういうとアルフレッドは顔を真っ赤にし、それを小麦色の両手で覆い隠した。あまりの羞恥に、隠しきれない耳の先まで火照っているのが見て取れる。

 アルフレッドは顔を覆ったまま厨房の奥へ逃げ込むと、余った『ポテ』を二つの深い木皿に盛り分けた。


「マスター、まかないですよ」


 カウンターに座り、それを見たディアボロは不機嫌そうに木皿を受け取る。


「騙されたとおもって食べてください。きっとうまいです」


 嫌そうにディアボロはスプーンを手に取り、まずスープを口にした。瞬間、深紅の瞳がわずかに見開かれる。セロリの雑味はどこにもなく、肉と根菜の甘みを引き立てる高貴な香りとともにやさしい旨味が口の中に広がる。


「…………悪くない。だが、やはりこのセロリの量は少ないほうがよい」


 そう言いながらも、ディアボロのスプーンは止まらず、あっという間に木皿は空になっていた。


「なんだかんだ言って、完食じゃないですか」


「違う、細かな魔力の消費が重なって、我は回復をせねばならぬのだ」


 空の鍋に残るやさしい香りと、穏やかな午後の陽光。洗い物をしているアルフレッドには聞こえぬよう、陽光を浴びながら小さな「ぐるる……」という音と共にキッチン・ブランの安らぎの時間は過ぎていく。

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