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元勇者だけどたまに猫になる魔王と一緒に暮らしてレストランやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第1部:魔王と勇者のホワイトな職場

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第27話 『聖女の視察と、白布の下の隠し味』

 王都の職人街を吹き抜ける風が、冬の鋭さを脱ぎ捨て、どこか湿り気を帯びた春の予感を運び始めていた。

 路地裏の突き当たり、煤けたレンガ造りの街並みに埋もれることなく、凛とした白さを保ち続ける小さな店「キッチン・ブラン」。その真鍮のプレートは、今日もアルフレッドの丁寧な手入れによって、朝露を弾きながら鈍い黄金色の光を放っている。


 開店一時間前。厨房には、早朝から仕込んでいた肉と野菜の旨味を抽出した、スープの鍋が、コト、コトと緩やかな音を立てている。


「アルフレッド。この窓から差し込む光の角度が、昨日よりわずかに鋭角だ。我の睡眠を妨げるための光の結界か? それとも、太陽の精霊が我に挑んでいるのか?」


 銀髪を後ろできっちりと結び、漆黒の燕尾服を翻して、元魔王ディアボロが窓際のいつもの席に腰を下ろした。彼は深紅の瞳を細め、テーブルに落ちた一筋の陽光を、不思議そうにじっと眺めている。


「マスター、それを世間では『日が長くなった』って言うんです。季節が変わろうとしてるんですよ」


 アルフレッドは苦笑を飲み込み、コックコートの袖を肘までたくし上げた。

 ティーポットから、最適な温度で蒸らした紅茶を注ぐ。湯気と共に立ち上る芳醇な香りが広がる中、アルフレッドは琥珀色の液体をマスターの前に静かに置いた。


「ふん。……今日の茶葉は少し香りが濃いな」


 ディアボロは磁器のように白い指先でカップの縁をなぞり、満足げに目を細めた。そこまではいつも通りの穏やかな朝だった。……そう、あの音が聞こえるまでは。


 ガシャン、ガシャンと重厚な金属の擦れる音が、石畳を叩く規則正しい足音と共に近づいてくる。王宮騎士団特有の、あの聞き慣れた甲冑の音だ。


 それが聞こえたとき、アルフレッドは淀みのない動きで棚にあった真新しい布巾をすっと被った。視界が白く覆われるのと同時に、気配を殺して調理台の前に佇む。


「……ふん」


 ディアボロが面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「相変わらず、布を被るのだけは素早いな、アルフレッド」


「……余計なお世話です。いいから、マスターはいつも通りにしててくださいよ。あ、絶対に名前も言わないでください。絶対にですからね」


 布巾の下から低い声で釘を刺すと、ほぼ同時に店の扉が重々しく開かれた。


「失礼いたします。視察の途中に立ち寄らせていただきました」


 聖教会の聖女エレンだ。後ろには、木箱を抱えたガイルが、山のような威圧感を放ちながら控えている。


「……あなた。相変わらず、このような場所で悠々と過ごしているのですね」


 エレンはディアボロへ厳しい視線を向けると、短くそう言った。当のディアボロは、アルフレッドの必死の視線なんてどこ吹く風で、優雅に紅茶を啜っている。


「……そちらの方は、一体?」


 エレンが怪訝そうに、調理台の前で布を被って固まっているアルフレッドへと歩み寄ってくる。彼は布巾の隙間から、エレンの顔を確認した。

 まずい。このままだと後ろにいるガイルにまで気づかれる。


 アルフレッドは布を被ったまま、ガイルに背を向ける形でエレンと向き合った。

 そして、布越しに人差し指を口の前に立て、顔の真ん前で全力の「シーっ!」というポーズを作ってみせる。さらには、片手を激しく左右に振り、親指で後ろのガイルを指さしながら、「あいつには言うな、頼む!」という意思をジェスチャーに込めて必死に訴えた。


 するとエレンは、どうやらアルフレッドの正体に気づいたらしく、急に顔を真っ赤にし、熱病に浮かされたようなうっとりとした表情で、自らの頬を両手で押さえて震え始めた。


 アルフレッドの必死の懇願が、彼女の中でとんでもない「二人だけの秘密の合図」へと変換されてしまったらしい。エレンは完全に陶酔しきった様子で、焦点の合わない瞳のまま、手元に抱えていた小瓶を震える手で差し出してきた。


「こちら……教会からの……聖祭の施し、です……。あ、愛おしい……いえ、尊い光を宿した蜂蜜ですので、どうか、その……存分に使ってくださいませ……っ」


 エレンのその尋常ではない様子に、後ろに控えていたガイルが慌てて割って入った。


「エレン様、あまりに店員殿を凝視しすぎて目眩でも起こされましたか! 店員殿、申し訳ない。これは教会からの聖祭の施しだ。修道院が誇る琥珀色の蜂蜜、それと純白のクロテッドクリームでございます。どうかお受け取りを」


 ガイルが騎士らしい生真面目な動作で、重い木箱をカウンターに置いた。アルフレッドは冷や汗が背中に伝うのを感じながら、そっとそれらを受け取った。


「……また……必ず伺います……。今日のあのお言葉……お約束……決して忘れません……」


 「お言葉」も「約束」もした覚えなんかない! と心の中でアルフレッドは突っ込んだが、エレンは幸せそうにぼーっとしたまま、すっかり魂が抜けたようになっていて、彼の意図なんて一分子もわかってくれなかった。


「店員殿、急ぎの視察ゆえ、我々はこれで失礼する。エレン様、これ以上はスケジュールが遅れます。さあ、行きましょう」


 ガイルはそう言うと、壊れ物にでも触れるような慎重な手つきで、足元がおぼつかないエレンをがっしりと腕に抱きかかえた。その抱え方はあまりに大切そうで、どこか幸せそうな表情をしているように見えた。


 エレンはガイルに支えられながらも、何度も何度もアルフレッドの方を振り返り、夢見るような顔のまま連れて行かれた。


 静寂が戻った店内。アルフレッドはようやく頭の布巾を脱ぎ捨てた。


「……死ぬかと思った。もう、寿命が千年縮まった……」


 アルフレッドはカウンターに手をつき、肺にある空気をすべて出し切るような深いため息をついた。


「……マスター。二度とエレンを煽るような真似、しないでくださいよ。ガイルには正体はバレなかったけど、エレンのあの様子じゃ明日が怖い」


 アルフレッドが冷や汗を拭いながら顔を上げると、ディアボロは憮然とした表情のまま、冷ややかな瞳でアルフレッドを凝視していた。


「……あの女と、妙な合図を交わしていたな、アルフレッド」


 ディアボロは人差し指で、トントン、と不機嫌そうにテーブルを叩く。


「貴様があの女の前で恥ずかしげもなく秘密を共有しているのを見るのは……実に、不愉快だ」


 ディアボロは椅子から立ち上がると、カウンター越しにアルフレッドの顎を指先でクイと持ち上げた。


「アルフレッド。貴様の振る舞いも、赤らんだ顔も……すべては我の管理下にある。二度と他の人間の前で、あのような隙をさらすな。良いな?」


「はいはい、わかってますよ。……それより、早く調理しちゃいますね」


 アルフレッドは穏やかに受け流して彼の指先を避け、一歩下がって木箱を開けた。ディアボロはふん、と不満げに鼻を鳴らしたが、それ以上は追求せず、再び椅子に深く腰掛けた。


「さあ、アルフレッド。我を満足させれば、今日の粗相は不問にしてやろう」


 アルフレッドは苦笑しながら、預かった蜂蜜の瓶を手に取った。全粒粉の袋を解き、冷えたバターと粉を合わせていく。手先はバターが溶け出さないよう、素早く、かつ繊細に動かす。ディアボロが、いつの間にかカウンターに肘をつき、アルフレッドの作業を至近距離で眺めていた。


「アルフレッド。捏ねる手の角度が三度ほどずれているぞ。我を満足させたいのなら、指先の重力配分を修正しろ」


「……これ以上は無理ですよ。ちゃんと調整してますから、黙って見ててください」


 数十分後。黄金色の、見事に腹割れした「全粒粉スコーン」が焼き上がった。

 アルフレッドは焼きたてのスコーンを皿に盛り、蜂蜜とクロテッドクリームをたっぷりと添えてディアボロの前に出した。


「ふむ……」


 ディアボロはスコーンを一口にすると、一瞬だけ動きを止めた。その喉の奥から、微かに「ぐるる……」という振動音がうっすらと聞こえた。彼はハッとしたように紅茶を啜り、その音を無理やり飲み下した。


 顔を背けているが、銀髪の隙間から見える耳の先が、心なしか赤くなっている。ディアボロは自分でも制御不能なほど「美味しい」と感じて、喉が鳴りそうになるのを必死に堪えているのが、隣にいるアルフレッドには手に取るようにわかった。


「施しの味にしては、悪くない。……まあ、及第点だ」


 アルフレッドは何も言わず、口元が緩むのを隠して新しい鍋に火をかける。

 騒がしくて、心臓に悪いこの店での暮らし。だけど、この琥珀色の蜂蜜のように、今の日常も案外、悪くない味をしている。


 そんな穏やかな余韻に浸っていた、その日の午後。店の裏口の隙間から、一枚のボロボロになった羊皮紙が滑り込んできた。


「……なんだ、これ?」


 アルフレッドがそれを拾い上げると、そこには血書のような色味の文字が、不吉そうにのたうち回っていた。


『アルフレッド様。今すぐ、今すぐお傍へ……! あのお約束、愛の誓い、片時も忘れておりません。ですが……っ、今、私は枢機卿くそじじいたちの手によって、大聖堂の地下深く、三重の結界が張られた祈祷室に幽閉されております……! 視察の際の私の発言が「神聖冒涜に近い」と問題視され、三日間の断食祈祷を命じられました……っ!』


 文字は次第に震え、涙の跡で滲んでいる。


『必ず、必ず脱獄します。待っていてください。アルフレッド様、お慕いしております。追伸:ガイルが私の部屋の前に座り込み、泣きながら説教を続けていて非常にうっとうしいです。』


 アルフレッドは無言でその手紙を見なかったことにし、暖炉の中に放り込んだ。じわじわと脂を浮かせて燃えていく羊皮紙を見つめながら、安堵のため息が自然と出る。


「はぁ……よかった。あいつ、来れないんだな」


「何を一人で感傷に浸っている、アルフレッド。我の追加の紅茶はまだか?」


 カウンターからディアボロが、不機嫌そうに声をかけてくる。エレンが地下に閉じ込められた理由が、おそらく自分の「ジェスチャー」のせいだということは、墓場まで持っていこうと心に決めた。


「すぐ淹れますよ、マスター。……今日は、いつもより多めに茶葉を使いましょうか」


「ほう。我への捧げ物としては妥当な判断だな」


 千年縮まったと思っていた寿命が、ほんの少しだけ伸びたような気がした。まあ、三日後の「脱獄」については、恐ろしいけど、その時にまた考えればいい。


 今はただ、この静かな厨房に満ちるスコーンの甘い香りと、機嫌を直した主人の横顔だけで十分だった。

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