第118話 『キッチン・ブランの、いつもの夜』
ぱちり、と暖炉の薪が弾ける。
外には、遠くの喧騒が残っているが、キッチン・ブランには客もいなくなり、時計の音が、かち、かち、と響く。
アルフレッドはカウンターを丁寧に拭き、ディアボロはその隣でグラスを磨いていた。
「……アルフレッド。怪我の調子はどうだ」
「大丈夫ですよ。マスターのほうこそ、調子はどうなんですか」
アルフレッドがカウンターを拭き上げると、ディアボロはふんと鼻を鳴らした。
「当然、大丈夫に決まっておる」
ディアボロは磨いたグラスを揃え終えると、大きくあくびをした。温かい店内の夜は、存外に穏やかなものだった。
カラン、と店内に来客のベルの音が響く。
小さく扉が開き、その隙間から冷気がふわりと店内に忍び込んでくる。
「いらっしゃいませ」
そこには、季節外れの薄いシャツに身を包んだ、白い髪の少年がいた。入り口に立ったまま、静かにこちらを見ている。周囲では、降り始めた雪が彼に触れる前にほどけて消えていた。
その視線を受け止めた瞬間、ディアボロは胸に手を当て、わずかにうつむく。掌の下に残っていた冷ややかななにかが、雪のように、音もなく消えていく。
ようやく、この店が迎えるべき客が来た気がした。
やがて、アルフレッドとディアボロは顔を見合わせ、静かに笑った。
「こちらへどうぞ」
アルフレッドは、暖炉近くのテーブル席に少年を案内し、扉を閉め、暖炉に新しい薪を焚べる。ディアボロが少年に水を出している間、アルフレッドは冷蔵庫の中身を確かめると、迷いなくハンバーグの準備に取りかかった。
ディアボロはハンバーグのソースを作り始める。どこか覚えのある、漆黒の香りが立ちのぼる。アルフレッドはパン、パン、と軽快なリズムで肉だねの空気を抜き、表面を軽く焼き上げる。
艶のある漆黒のソースにハンバーグを沈めると、煮込んだ泡が、プチ、と弾ける。ディアボロはそれをじっと見つめていた。
アルフレッドが付け合わせの野菜を皿に整え、そこへ、煮込まれたハンバーグをディアボロが載せる。
アルフレッドは、その皿を座っている少年の前に置く。
少年がナイフとフォークを手に取るのを見届けると、アルフレッドは厨房へ戻り、調理器具を洗い始める。
店内には、ナイフとフォークの触れ合う小さな音だけが、静かに続いていた。
頃合いをみて、アルフレッドはお湯を沸かし始める。
ディアボロは茶葉を量り、ポットに入れる。
お湯が沸き、アルフレッドが丁寧にポットにお湯を注いでしばらく待つ。
食器の触れ合う音が途切れたとき、二人は暖炉の前のテーブル席を見ると、いつの間にかその席には誰もいなかった。
空になった皿。
すぐそばの暖炉の薪がぱちりと弾ける。
二人は顔を見合わせて、ふっ、と口角を上げる。
「……貴様の飯は神ですら屈服させるのか」
「当然です。だって俺はあんたが認めた料理人ですから」
客席のキャンドルは消され、店内で唯一光を放っているのは、厨房を照らすオレンジ色の優しいランプだけ。カウンター席で二人は紅茶を飲んでいた。
「今日もお疲れ様でした。マスター」
「うむ」
ディアボロは結んでいた銀髪を解き、満足げに大きく伸びをした。その瞬間、彼の喉の奥から「ぐるる……」という、以前より少しだけはっきりとした音が漏れた。
アルフレッドがその音を聞いて、泣きそうに笑う。
「……今、確実にゴロゴロ言いましたね」
ディアボロは泣きそうなアルフレッドを見つめ、わずかに俯いて、にやりと笑う。
「……貴様の空耳だ。我の喉が夜の冷気に共鳴しただけだ。おい、アルフレッド。茶がぬるい。淹れ直せ。今すぐにだ」
この静かで穏やかな時間は、これからいつまでも――
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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これにて『キッチン・ブラン』のお話は、いったん終幕を迎えます。
後日談は、少し時間を置いてから、ゆっくり書いていく予定です。
7月からは、新しいお話を始める予定です。
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ありがとうございました。
甘城ソウヤ




