第117話 『店主の危機と、王のもてなし』
外の息は白く、空気は凍るように冷たい。
久しぶりに外の空気を吸い込み、アルフレッドは、あの日から随分と季節が進んだのだと、肺に刺さる冷たさで実感する。
「おい、寒くはないか?」
隣のディアボロが、ルビー色の瞳でアルフレッドを覗き込む。ふわりと舞う雪が、さらりとした銀髪に落ちる。それをアルフレッドは何気なく払い、答えた。
「ええ、大丈夫です」
「ふん、くれぐれも無理はするな」
職人街を歩く二人を見て、すれ違う人々が振り返る。だが、そのままどこか柔らかな表情を残していく。
八百屋の前に差しかかると、女将が声をかけてきた。
「あら、今日はお出かけ? 体調はふたりとも大丈夫なのかい?」
木箱をどすん、と下ろし、女将は汗を拭いながら腰を叩く。
「相変わらず忙しそうだな。そなたこそ無理をするな」
「ふふ、あんたに言われる日が来るとはねぇ」
女将は籠にオレンジを詰め、ディアボロに差し出す。だが、手でそれを制し、やんわりと断った。
「すまぬが、今日は行く所がある」
軽く会釈し、そのまま八百屋の前を通り過ぎる。
「行く所って、どこですか?」
ディアボロは一瞬だけ視線を逸らし、答えずにアルフレッドのコートの袖を掴むと、そのまま早足で歩き出した。アルフレッドはその速度について行けず、少しよろけた。
「ちょ、ちょっと待って……」
「……内緒だ。いいから来い」
視線を逸らしたまま、ディアボロの足が早まる。引っ張られ危うく転びかけたアルフレッド。だが、その歩みを止めたのは、道を塞ぐように現れた子どもたち。
「今日こそは、あの炎出してよ!」
「チッ……一回だけだぞ」
そう言ってディアボロはかがんで、眉間に皺を寄せたまま、子どもたちの目の前に人差し指を出し、ボウっと黒炎を出す。
「わっ! すげえ」
「黒い炎だ!」
楽しそうな子どもたちを見るディアボロの顔は、柔らかな笑みを浮かべていた。それを見たアルフレッドも、頬が緩み、自然と笑みがこぼれる。
「マスターって人気あるんですね。子どもに」
「……あやつらがしつこく言ってくるのが悪い。さ、行くぞ」
せがむ子供に両手を上げ、ディアボロは「去れ!」と脅しをかける。子どもたちは嬌声をあげ、散り散りに逃げていった。その足音を聞きながら、ディアボロはバツが悪そうにマフラーの位置を直す。
そして、ディアボロが向かった先は、王宮前にある紅茶専門店。キッチン・ブランで出す紅茶の仕入先だ。
「おい、店主はいるか?」
「は、はい。キッチン・ブランのマスター様でございますね」
店主は冷や汗を拭きつつ慌てながらも、丁寧に、ディアボロに向かいお辞儀した。店主をちらりと見たアルフレッドは、わずかに首を傾げたまま、ディアボロを見る。
「ふん、今日は『ブラン』を王向けにブレンドし直したいのだ」
「さ、左様でございますか。ではこちらに……」
ディアボロとアルフレッドは、血の気が引いた青白い顔の店主に案内され、奥に通される。天井まである棚にぎっしり並んだ茶葉に圧倒されたアルフレッドはあたりを見渡しながら、勧められた席に座る。
「王様へ献上……」
店主が確認を取ろうとしたとき、ディアボロのルビーの瞳がギラリと光り、唇の前に人差し指を静かに立てる。「ひっ!」と息を飲む声が店主から微かに聞こえたが、アルフレッドは茶葉に夢中で、店主のことは見ていなかった。
「すごいですね。職人街にあったときより、ずっと広くなってる」
以前の店に何度か買いに行っていたアルフレッドは、きらびやかな店の内装に目を輝かせる。店主はその言葉に気づかないほど、青い顔をして胃を押さえ始めた。
そのとき、奥から一人の柔和なマダムが出てきた。
「ディアボロ様ですね。『ブラン』に追加なさいますなら、こちらの香りが良いかと思います」
そう言って彼女は、鮮やかで甘いベリーのフレーバーを取り出した。そして何も言わずにこやかに微笑んだ。
「ふむ。量はまかせる」
「はい、手土産用の包装にいたしますね」
紅茶専門店を出ると、ディアボロはアルフレッドの背に手を当て、自らの歩調に合わせるよう誘導する。
「ここは寒いからな」
ディアボロは耳を赤くしながら、アルフレッドをエスコートする。王宮の庭は広く、吹き付ける風は寒かったが、背中に感じる熱に、アルフレッドは頬まで暖かくなる。
「今日の極秘視察は、王の様子を見ることだ」
「ああ、あのムニエルを食べていた……疲れ切ってた人ですよね」
「……まあよい。さっさと城に入るぞ」
王宮の廊下は、冬の陽光を白く反射していた。ひっそりとした静けさの中、眩しいだけのその光には温かみがなかった。
「眩しいですけど、ここじゃマスターも日向ぼっこしなそうですね」
「ふむ、ここは心地よさが足りん」
従者に案内され、王の私室の手前の部屋で待たされることになった。扉が開き、一人の青年が足早に入ってくる。
「あ! アルフレッド様! そしてマスターも!!」
そこに立っていたのは、従者服を着たレオナルド。エレンの大聖光破をまともに浴びて大火傷を負った騎士が、にこやかにお辞儀をする。
「あれから私は大火傷を負って、気づいたら秋が終わってました。そして、この手ではもう騎士としてやっていけなくなったんです」
レオナルドの左手は未だ紫色の斑模様になっており、思うように動かせないようだった。
「そうだったんですね……」
「でも今は出世……というよりは、テオドール様の元で毎日楽しくやっていますから! ご心配なさらないでください」
そこへ、別の扉からテオドールが姿を見せる。以前のようなやつれた姿ではなく、背筋は伸び、穏やかな表情だ。
「レオナルドの楽しそうな声が聞こえたと思えば……」
テオドールは、二人に丁寧にお辞儀をする。
「限界だったあのときに、助けてもらったこと、感謝している。そしてもう一人では背負わないことにした」
テオドールは脇にいるレオナルドの肩を抱き、自慢げに微笑む。
「うちのレオナルドは有能でな。いつも楽しく仕事が出来る。まるで生来からの友人のようだ」
テオドールの笑顔に、少しだけ眉を寄せ、ディアボロは何も言わなかった。ただ、深く椅子に腰掛けたディアボロの組んだ足先が、苛立つように小さく揺れていた。
「あ、そうだ。マスター。これ、渡してもいいですよね」
そう言うとアルフレッドは、先ほどの紅茶専門店で購入した『ブラン』特製ブレンドをテオドールに差し出し、穏やかに微笑んだ。
それを見たディアボロの揺れが止まり、そのまま隣にいるアルフレッドの肩を抱いた。
「さすが我の認めた――」
「紅茶……ありがとうございます。あの味が忘れられなくて。さあ、レオナルド、用意したものを運べ」
しばらくすると美味しそうな香りとともに、侍女たちが目の前のテーブルに次々と料理を並べ始める。
「食堂より、こちらのほうが落ち着いて食べられるのでは、と思って。失礼に当たるかもしれないが、食べていただきたい」
ディアボロはその料理を目の前にして、深く、ため息をついた。
「ん、このチーズケーキ。美味しいですよ、マスター」
そう言うと、アルフレッドはケーキをフォークに刺して、ディアボロの前に差し出す。紅茶を飲んでいたディアボロは、そのまま口を開け、差し出されたケーキを口にする。
「ふん、なかなかの出来だな」
唖然とした顔でそれを見ていたテオドールは、レオナルドに目配せするが、彼はうつむいて、小さく首を振った。
「そういえば、王宮周辺に店を構える気はないか?」
テオドールがディアボロを見つめながら、真っ直ぐな声で尋ねる。
ディアボロは椅子に深く腰を預けたまま、腕を組んで答える。
「我の城はあそこだけだ。アルフレッドの、初めて料理を作った……大切な場所だからな」
王宮を出ると、アルフレッドは大きく伸びをした。
「いきなり王様に会うなんて、びっくりしました。王様、元気そうでよかったです」
「そうだな。ところでアルフレッド」
「なんです? マスター」
ディアボロはアルフレッドを、足元から頭の先まで眺める。
「これから洋品店に行く。そして貴様用のまともな服を、最低五着は揃えるぞ。覚悟しておけ」
「え、そんなに私服はいりませんよ」
ディアボロはアルフレッドの腕を掴み、王都の大通りへ消えていった。雪は止み、明るい日差しが、粉砂糖のような雪に反射していた。
最後までお読みいただきありがとうございます! 少しでも「面白い」と思っていただけたら、【★での評価】や【ブックマーク(フォロー)】で応援してもらえると嬉しいです!




