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元勇者だけど、たまに猫になる魔王とレストランをやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第6部:瓦礫の上の約束と、終わらない食卓

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第114話 『雨に溶ける、約束の温度』

 天井の傷は、あのときのまま残っていた。

 ハンバーグを分けた瓦礫も、崩れたまま、日陰に沈んでいた。


 目の前のディアボロから、胸を軋ませていたあの音は聞こえない。


「よかった。……あのまま、消えてなくて、よかった」


 ディアボロは、静かにアルフレッドを睨みつけている。あのときのように、いきなり襲いかかってはこない。

 ディアボロは視線を外し、俯いた。さらりと銀髪が流れ落ち、表情が見えなくなる。そして、視線を落としたまま、ゆっくりと右手をアルフレッドへ向ける。

 震える手に、黒い魔力が滲み、それが一気に収束し、黒炎となってアルフレッドへ放たれた。


 アルフレッドはディアボロを見つめたまま、微動だにしない。黒炎は耳を掠め、背後の壁に当たり消滅する。


 パキッ。


 収まっていたあの音が、空気を軋ませるように響いた。

 アルフレッドは眉根を寄せ、ディアボロを見る。肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた彼の表情は、苦悶に歪んでいた。


「……よせ。我は……」


 ディアボロの苦しげな声が、バキバキと鳴り出した嫌な音に塗りつぶされていく。


「……逃げろ、アルフ……」


 胸を押さえたディアボロの手から、漆黒の爪がせり出す。次の瞬間、それがアルフレッドに向かって振り下ろされた。頬が裂け、つ、と血が流れる。震える爪が何度も振るわれ、血飛沫が散る。その軌道は、どれもわずかに逸れていた。


 ビキン!


 ひときわ大きな音が、胸の奥から鳴る。

 ディアボロの身体が跳ね、膝から崩れ落ちかける。が、倒れない。

 荒かった吐息が、ゆっくりとおさまっていく。そのまま、背筋だけがすっと伸び、静かに顔を上げる。

 伏せた睫毛の下には、空虚な深紅が広がっていた。


 右手が上がり、黒炎がいくつも練り上がる。

 それらは一斉にアルフレッドへ放たれた。だが、当たるはずの瞬間、すべてが霧のように掻き消える。

 ディアボロは体勢を整え、爪を振るう。それもまた、アルフレッドの身体を掠めるだけだった。


「何故だ」


 ディアボロは、空虚な瞳で自分の両手を見る。それを見たアルフレッドは、唇を固く結び、顔を歪めた。


 ディアボロの中に、まだ自分はいる……いたんだ。


 ディアボロは、アルフレッドからゆっくりと距離を取った。

 掲げられた右手に魔力が集まり、大規模殲滅魔法の詠唱が始まる。アルフレッドの頭上で黒い渦が巻きあがり、バチバチと青い閃光を散らしながら、辺りの空気を焼いていった。


「……やめてくれ」


 掠れた声が、アルフレッドの口から漏れた。


 遠くのディアボロが腕を振る。次の瞬間、魔法がアルフレッドの頭上へと降り注ぐ。だが、それも当たる前に全て消え、焦げた匂いだけが残った。


 崩れた天井から雨が降り注ぐ。冷たい雫が、二人を打ちつけた。


「……そうか。我は……欠けたのだな」


 アルフレッドを見て、ディアボロが、潤んだ声で呟いた。

 そのまま、右手の爪が伸びる。

 指を揃え、自分の心臓へと狙いを定めた。雫に濡れたディアボロの口角が、すべてを受け入れたように、かすかに上がる。


 それを見た瞬間、アルフレッドは考えるより先に駆け出していた。


「バカ野郎ッ!!」


 ディアボロの爪が心臓へ届く寸前、アルフレッドはその胸に体ごとぶつかった。夢中で抱きしめた背中に、手刀が突き刺さる。


「ぐっ……」


 背中が火のように熱い。意識が白く飛びそうになる。

 食い込んだ爪から血が溢れ、雨に溶けていく。その温度に、ディアボロは動きを止めた。アルフレッドは苦痛に顔を歪めつつも、抱きつく手は緩めない。


「……あんたは、俺と約束した」


 ディアボロの耳元で、アルフレッドは震える声で呟いた。

 こらえきれなくなった涙がアルフレッドの頬を伝い、ディアボロの胸元へ落ちる。燕尾服の奥に広がっていた黒いあざが、雨と涙に溶けるように、ゆっくりと流れていく。


「俺だけの、マスターだろ」


 かすかにディアボロの鼓動が聞こえる。もうあの嫌な音は聞こえない。ホッとしたアルフレッドは、ディアボロを見上げようと、わずかに手を緩めた。


 そのとき、頭の上に、ぽつん、と。

 雨じゃない、温かな雫が落ちた。


「……い、言いおったな……その約束、一分子も違えるなよ」


 低くやわらかな、いつもの声が震えて響く。

 アルフレッドはその声に苦笑する。そして、抱きしめた腕から力が抜け、そのまま崩れ落ちた。


「おい、アルフレッド!」


 ディアボロが慌ててアルフレッドを抱きとめる。

 アルフレッドの背中から流れる血が雨に混ざり、足元へと広がっていく。その赤が、予想以上に大きく見えた。


「チッ……貴様の体は、脆すぎる」


 そう吐き捨てる声が、ひどく震えていた。

 ディアボロはアルフレッドを抱え上げると、腕の中の重さを確かめるように一瞬だけ目を伏せ、小さく息を吐いた。

 それから、アルフレッドを抱えたまま、崩壊した魔王城を後にする。


 その傍ら、かつて二人が座った場所に、雨雲の隙間から漏れた陽の光が落ちていた。

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