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元勇者だけど、たまに猫になる魔王とレストランをやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第5部:脱ぎ捨てた過去と、騒がしい日常の帰還

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第108話 『極秘視察という名の街歩き』

「アルフレッド、明日は店を休みにする。いいな?」


 朝、二階から降りてきたばかりのディアボロが、いつもの窓際の席に腰を下ろしながら、サラダを用意していたアルフレッドに声をかけた。


「えっ、何かあったんですか?」


「何もない。強いて言うなら、街の極秘視察だ。最近は街も活気づいてきたからな。我も一度、この目で見ておく必要がある」


 どうやら明日は、アルフレッドを連れて目立たない格好で出かけるつもりらしい。


「というわけで、以前に着た例の服を用意しろ」

「例の……ああ、ネイビーのシャツですか」


 アルフレッドは少しだけ考え、すぐに思い当たったように頷いた。


「うむ。あれならば、この我の威光も多少は抑えられるだろう」


「……多少で済めばいいんですけどね」

「何か言ったか?」

「いえ、何も。では明日のために陰干ししておきます」


 アルフレッドはそう言って、手際よく目玉焼きを並べ始める。彼の横顔に、窓から差し込む朝の光がやわらかく落ち、ディアボロは、わずかに目を細めた。


「どうかしましたか?」

「いや」


 一瞬の間のあと、ディアボロはそっぽを向いた。


「……貴様も、それなりの格好をするのだぞ」

「ああ、そうですね。何かあったかな……探してみます」



 ――翌日。

 アルフレッドは、以前に買っておいたリネンのチャコールグレーのパンツに、綿素材の黒シャツを合わせた。サイズには少し余裕があり、胸元のボタンをわずかに開け、腕も軽くまくり上げている。


「こんなもんかな……」


 普段は洗いざらしの麻シャツばかりなせいか、アルフレッドにはいまいちピンと来ていない。とはいえ、他にまともな服もなかった。

 軽く髪を整え、アルフレッドは一階へ降りた。


「お待たせしました」


 窓際の席で紅茶を飲んでいるディアボロに声をかける。ディアボロは真紅の瞳をゆっくりとアルフレッドへ向け――そのまま、ピタリと動きを止めた。


「……」

「えっと、どこか変ですか?」


「……遅いぞ」


 ディアボロは咳払いをしながら、視線をわずかに外し、ティーカップを置いた。立ち上がり、椅子にかけていた薄手の紺色のカーディガンを羽織る。


「服装は、問題ない」


 ディアボロは先に扉へ向かう。アルフレッドはその背中を見て、ディアボロのネイビーのシャツの襟が乱れていることに気づく。


「マスター、襟が」


 結んである銀髪をさらりと掬い、アルフレッドの指が襟に触れた瞬間、ディアボロの動きがわずかに止まった。襟を整え終えると、アルフレッドは「さ、いきましょう」とディアボロの後ろについてくる。

 ディアボロは何も言わず扉へ向かったが、その足取りはわずかに硬かった。


 外に出ると、職人街はすでに朝の活気に満ちていた。槌の音、荷車の軋み、どこかの店先から漂ってくるパンの焼ける匂い。ディアボロは人混みの中に入るなり、わずかに眉をひそめた。


「……賑やかだな」

「活気づいてきたって、自分で言ってましたよね」

「わかっている。ただ、思ったより多い」


 眉をしかめてムッとしたディアボロに、アルフレッドは笑いをこらえる。そして隣に並んで歩く。ディアボロは人の流れを避けるように歩くが、その分だけアルフレッドとの距離がわずかに縮まる。肩が触れそうなほどの近さに、アルフレッドは一瞬だけ視線を落とした。


「武器を見たいのだろう?」

「そうですね。楽しいですし」


 二人は武器屋に向かう。アルフレッドは店内に飾ってある剣を抜き、重みを確かめ、刃紋の美しさを愛でる。その刀身に、隣から覗き込むディアボロのルビーの瞳が映り込む。以前は、殺気立ったルビーの瞳に見られながらだったことを思い出す。

 今は、隣で同じものを覗き込んでいる。アルフレッドは楽しくなり、笑みがこぼれた。


「なんだ、買わぬのか?」


「ええ、俺にはこれがありますから」と、アルフレッドは腰に収まっている魔鋼の包丁を撫でる。それはディアボロが以前、彼に贈った包丁。

 それに気づき、ディアボロの頬がわずかに赤く染まる。


「さ、次はどこに行きましょうか」

「ん、ああ、そうだな……ここは敵情視察しかあるまい」


 ディアボロはわずかに咳払いをしながら、大通りのカフェへと向かう。

 窓際の奥まった落ち着いた席へ案内される。どうやら既に予約が入っていたらしい。ディアボロは迷いなく、王都で一番と評判のシフォンケーキと紅茶を注文した。


「以前はマスターが乱入してきて、まともに食べられませんでしたが、今日は落ち着いて食べられそうです」

「当然だ」


 アルフレッドは窓の外の通りをゆっくり眺める。ディアボロはそんな様子の彼を見て、わずかに口角を上げる。


「お待たせいたしました、季節の果実のシフォンケーキと紅茶です」


 皿が置かれると同時に、アルフレッドの視線がふとディアボロへ向く。

 その視線に気づき、ディアボロはわずかに眉を上げた。


「食べるがいい」

「ええ、いただきます」


 テーブルの一皿は、雲のようにふわふわで、生クリームがたっぷりと添えられていた。フォークを入れると、驚くほど軽く沈む。口に運べば、甘さの中に、緑のぶどうのわずかな酸味が混じり、自然と次の一口に手が伸びた。


「……紅茶は、貴様のほうがうまいな」


 ディアボロはわずかに眉を寄せ、紅茶を啜った。すでにシフォンケーキの皿は空になっている。アルフレッドは、それを見て小さく笑った。


 王都の市場まで距離があったので、二人は大通りを歩く。二メートル近くある銀色の長髪の男と、小麦色の肌をした青年。すれ違う人々が、思わず振り返る。中には足を止める者もいたが、そのまま、どこか柔らかい表情を残して通り過ぎていく。


「そういえば、またこの極秘視察は行う予定なんですか?」

「ん、そうだな。月に一度ぐらいは出かけようと思っているぞ」


 アルフレッドは一瞬だけ目を細め、それから小さく頷いた。


「なら、冬支度の装備も買わないとですね」

「む?」


 アルフレッドはディアボロの手を取る。彼は一瞬だけ足を止めたが、そのまま何も言わずに引かれるまま歩いた。そのまま近くの服飾店へと入る。


「その紺色のカーディガンだけでは、これから先、寒くなりますし」


「……我の装備に不備があると?」

「いえ、寒くなると、きっとまた風邪を引きますから」


 アルフレッドは楽しそうに店の服を手に取り、次々と広げていく。ディアボロは一歩遅れてそれを追い、渋々といった様子でその後ろについていく。

 差し出された服は、コートとマフラーだった。コートはウール地でベージュの落ち着いたもの、マフラーは、淡いサックスブルーのシンプルなもの。


「マスターならカシミヤとかいいと思いますが、一応庶民の格好をしたほうがいいと思うんですよね。極秘視察ですし」


 差し出された服に、ディアボロはわずかに眉を寄せる。だが、それを拒む理由も見つからなかった。ディアボロが試着を済ませると、アルフレッドは迷いなくそれを選び、店主に声をかけようとした。そのとき、ディアボロはあることを思いついた。


「待て。貴様の物は我が選ぼう」


 ディアボロの選んだコートは、ダークブラウンのシンプルなコート。マフラーは、彼の愛する赤ワインと同じ、深みのある色だった。


「……随分、渋いですね」


 そう言いながらも、アルフレッドはその色をもう一度見下ろし、首を傾げた。


「当然だ、我の隣に立つにはそのぐらいしてもらわぬと格が合わん」


 結局ディアボロに押し切られ、互いの防寒具を二人分まとめて包んでもらった。二人はそのまま店を出て、市場へ向かう。


 王都の市場では、最高級のスパイスや珍しい食材を見て回った。ディアボロは、水槽で激しく泳いでいる大きな海老を覗き込み、「これは魔界の溶岩の中で泳ぐ『業火バサミ』に似ているな、小さいが」と、相変わらず物騒な感想を述べていた。


 夕暮れ時。

 公園のベンチに二人で座り、屋台で買ったミートパイを齧る。


「すっかり日が傾いたな」

「ええ、あっという間でした」


 心地よい疲れに二人はオレンジ色の空を見上げ、ほうっと息を吐く。


「今日はご苦労であった。明日からまた頼むぞ」


 ディアボロはそう言いながら、パイを大きな口で頬張った。彼の喉の奥から、かすかに「ぐる、ぐる……」という音が漏れた。

 アルフレッドは何も言わなかった。だが、その顔は満足そうに綻んでいた。

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