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元勇者だけど、たまに猫になる魔王とレストランをやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第5部:脱ぎ捨てた過去と、騒がしい日常の帰還

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第106話 『相棒の剣と、料理人の答え』

 夏の王都の路地裏に、涼やかな風がさらりと吹き抜ける。

 その風に混ざった故郷を思わせる懐かしい匂いを感じた瞬間、バザルトの脳裏には、かつての情景が鮮やかに蘇った。


 赤く熱された鉄の匂いが立ち込める、薄暗い工房。

 煤にまみれた二人の青年が、まだ少年の名残を残した顔で向かい合っていた。

 一人が、打ち上がったばかりの剣を、もう一人へと静かに差し出す。


「……お前に、持っててほしい。今の俺の最高の出来だ」


 バザルトの手に、一本の剣が収まる。

 魔物との戦いで負った深い傷により、幼馴染であり最高の相棒でもあった親友は、剣士の命である利き手の自由を失った。

 志半ばで冒険者を引退し、鍛冶師へと転じた彼から初めて贈られた、魂の宿る一振りだった。


 その日からバザルトは、冒険者として剣を振るい続けた。

 憧れの勇者アルフレッドの背中を、たった一人で追いかけて。二年前に姿を消したと思っていたアルフレッド。

 だが、彼は勇者を辞め、王都の路地裏で料理人として生きていた。


 石畳から立ち上る熱気が、バザルトの心を蒸し上げる。

 懐から取り出したのは、煤けて端が丸まった一枚の紙の端切れ。

 そこには、病に倒れた母親の薬代を工面してほしいという、親友の震えるような筆跡の無心が記されていた。


 その端切れの裏には、一枚の依頼書が隠されている。


『勇者アルフレッドを無力化せよ』


 依頼主である宰相はすでに失脚し、捕縛されていた。だが、前金として受け取った報酬の金貨は、今もバザルトの手元に残っている。


 バザルトは、使い込まれた剣の柄を握った。


「……行くか」


 そう言うと、バザルトは路地裏の先の店を見据え、歩き出した。



 キッチン・ブランの厨房では、アルフレッドが仕込み用のズッキーニを刻んでいた。鮮やかな緑を刻む、トントン、という規則正しい音だけが、誰もいない広い空間に響く。

 窓際の特等席は空いたままだ。

 その空白が、アルフレッドを少し落ち着かなくさせていた。


 カランコロン、と穏やかに扉のベルが鳴った。


「申し訳ありません。まだ開店前で……」


 アルフレッドが音に反応し、視線をまな板に落としたまま返事をする。

 その背にカキン、と剣を鳴らす音が聞こえ、アルフレッドは思わず視線を上げ、訪問者を見る。


 そこには真っ黒なマントを羽織った男――バザルトが、音もなく入り口に立っていた。窓際の空席を一瞥し、アルフレッドがいる厨房に面したカウンターの前で足を止めた。


「……頼みがある」


 アルフレッドがバザルトへ向き直る。


「店の外で、一度だけ剣を合わせてほしい。勇者、アルフレッドとして」


 アルフレッドは、困ったように眉をさげ、頭をガリガリと掻く。


「もう、俺は勇者じゃないんだ」


 言葉を濁して剣を合わせようとしないアルフレッドを、バザルトはまっすぐに見据えたまま、引き下がらなかった。

 その視線に、アルフレッドは小さく息をついた。


「夜なら、この店の裏庭で剣を受けようか」


「……わかった。夜に」


 そう言うと、バザルトは静かに店を出ていった。



 日中の熱気が引き始め、夜の裏庭にはようやく涼しい風が流れていた。


 無言でバザルトが剣を抜く。その鋭い切っ先に対して、アルフレッドは使い慣れた魔鋼の包丁を逆手に構えた。


「もう、勇者のように剣を構えるってことはないのか」


 寂しく笑うバザルトの言葉が、夜の裏庭に低く響く。


「あぁ、もうあの勇者の剣は捨てたからな」


 その声をきっかけに、バザルトが石畳を蹴る。

 火花が散り、金属の激突音が虚空に反響した。無駄がなく、それでいて重い一撃を、アルフレッドは包丁で辛うじて受け止める。

 バザルトの剣筋は一振りごとに、血を吐くような年月の重さが宿っていた。

 その重さにアルフレッドは思わず一歩、後退する。


 バザルトは休まず剣を打ち込む。

 アルフレッドは、そのすべてを塞いでいく。


 激しい打ち合いの合間、バザルトの親指が、無意識に剣の柄を微かになぞった。

 アルフレッドの群青の瞳が、その刹那の仕草を捉える。

 刃の角度。重心の取り方。柄の握り心地。それはピタリとバザルトに合わせて作ってある剣の造形だった。


 まっすぐな羨望をぶつけてくるバザルトの瞳は、まだ『勇者』を打ち負かせると信じていた。その剣と共に。

 いつ終わるか分からない剣戟の中、アルフレッドは、はぁ、と小さく溜息をつき、決意の目をバザルトへ向けた。


 そして包丁を持ち直すと、バザルトが打ち込んできたタイミングで包丁をひねり、剣の側面を叩き上げる。


 パキンッ!


 甲高い音が中庭に響き、バザルトの剣の切っ先が宙を舞い、中庭の石畳に突き刺さる。


「すまないな」


 アルフレッドは折れた剣先を拾い、バザルトへと手渡した。

 バザルトは何が起こったのか理解できない様子で、呆然と立ち尽くしている。


 その背に、アルフレッドは静かに声を掛けた。


「落ち着いたら、店の中へ来い」


 時間が経ち、月が天頂へと昇るころ、吹っ切れた様子のバザルトが店内に入ってきた。


「いきなりで悪かったな」


 ボソッとバザルトがアルフレッドへ謝った。アルフレッドは返事の代わりに、バザルトへたっぷり野菜の入ったミネストローネを差し出した。


「こちらこそ。……その剣、誰かが打ったやつだろ」


「ッ……」


 ミネストローネを食べていたバザルトは、我慢しきれないように涙を流した。その様子を見たアルフレッドは、穏やかに声を掛けた。


「いい仕事をしてるな」


 そのあと無言でミネストローネを完食したバザルトは、懐にしまった折れた剣に一度触れ、「ありがとう、また来る」と一言残し、去っていった。



 夕暮れの光が、煤けた鍛冶屋の土間を赤く染めていた。バザルトは久しぶりに故郷に戻り、親友の元へと足を運ぶ。


 金槌の音が止んだ静寂の中に、鉄の匂いが立ち込めていた。


「よお、帰ったぞ」


 バザルトが声を掛けると、炉の前にいた男が顔を上げた。かつて彼のために剣を打った親友は、以前よりも少し痩せたように見えた。


 バザルトは無言で、懐から布に包まれたものを差し出す。


 カチン、と乾いた音を立てて土間に置かれたのは、二つに折れた剣だった。


「すまん、折っちまった」


 その折れた剣と、申し訳なさそうなバザルトを見た親友は、使い込まれた前掛けを締め直し、再び炉に火を熾した。


「次は、折れねえやつを打ってやる。……今の、お前に合うやつをな」


 ゴォッ、と勢いよく火が爆ぜ、夕暮れの空に高い鎚の音が響いた。

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