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元勇者だけど、たまに猫になる魔王とレストランをやってます。この関係は誰にも言えません  作者: 甘城ソウヤ
第5部:脱ぎ捨てた過去と、騒がしい日常の帰還

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第103話 『囚われた影と、日常の結界』

 ふと夏の音が止まり、耳が痛いほどの静寂の中に、感情の一切窺えない役人の声だけが落ちる。


「この区画の土地・建物はすべて国の管理下に入りました。ただちに建物を明け渡し、立ち退きなさい」


 その言葉に、ディアボロの深紅の瞳が殺意に染まる。

 己の庭先を蹂躙された怒りに呼応し、足元から黒炎がジリジリと漏れ出した。


 アルフレッドは書類を握りしめたまま、黒炎を放とうとするディアボロの前にスッと立ち塞がった。


「……マスター。このふざけた話の出処を、当たってみてもらえませんか」


 アルフレッドは振り返らず、ただ真っ直ぐに役人を見据えたまま言った。


「……俺はここで、仕込みを続けます」


 ディアボロはその背中を数秒見つめ、暴発しかけた黒炎をぎりぎりで収めた。


「……ふん」


 不満げに鼻を鳴らし、ディアボロは一人、夏の陽射しの中へと出ていった。


 残されたアルフレッドは、一人で厨房に立っていた。夏のジリジリとした熱気の中、時計の針の音だけが、やけに鼓膜を叩いた。


 その静寂を破ったのは、裏口の重い樫の扉が乱暴に開かれる音だった。


「……はぁっ、はぁっ……」


 転がり込んできたのは、息を切らせたゼノンと、眼鏡の奥の瞳を険しく細めたルシウスだった。


「アルフレッドさん、ここは危険です。宰相が王国軍を動かし、我々を『不穏分子』として捕縛しに来ます」


 ルシウスが早口で告げた直後だった。


 ガチャリ、ガシャン。


 規則正しく、無機質な甲冑の音が、四方から『キッチン・ブラン』を完全に包囲した。


 アルフレッドは魔鋼の包丁を強く握りしめる。

 一歩でも踏み出せば、兵士たちにこの店を終わらせる口実を与えてしまう。

 ここで手を出したら全てが終わるという予感が、はち切れそうな衝動を無理やり繋ぎ止め、包丁を握る腕にギリッと青筋が浮かんだ。


 アルフレッドが葛藤に歯を食いしばった、その時。彼の前に、二つの影がスッと立ち塞がった。ゼノンとルシウスだ。


 ルシウスは、肌身離さず持っていた鉄の算盤を、静かに懐へとしまった。

 常に数字で最善を求めてきたルシウスの思考が、今はただ、この店とアルフレッドを守ることだけを考えていた。


 そして、ゼノンは震える足に力を込め、ゆっくりとアルフレッドを振り返った。


「……アルフレッドさん」


 その顔に、いつもの涙はなかった。ただ、小さく、けれど確かな温もりを込めた、静かな微笑みがあった。


「ボクたちに、最高の帰る場所をくれて、ありがとうございました」


 ゼノンの言葉を受け継ぐように、ルシウスが前へ歩み出る。


「……ここは、我々が引き受けます。あなたは、あなたのやるべきことを」


 二人は自ら扉を開け、待ち構えていた重装備の兵士たちの前へと進み出た。

 抵抗の意志を持たない彼らの手首に、重く冷たい鉄の手枷がはめられる。


 ガチャン。


 無機質な金属音が、夏の空気に冷たく響いた。

 二人の手首を繋いだ兵士たちは、一度も振り返ることなく、店を後にした。


 不気味なほどの静寂が残された厨房で、アルフレッドは血が滲むほど拳を握りしめ、連行されていく二人の背中をただ見送るしかなかった。


 数刻後。扉が開き、ディアボロが店へと帰還した。


「……どうした」


 低く、地を這うようなディアボロの声が、静まり返った厨房に響く。


「……ゼノンとルシウスが王国軍に連れて行かれた。俺と、この店を庇って」


 絞り出すようなアルフレッドの声。その直後だった。


 ディアボロの足元から、光すら飲み込む漆黒の炎が爆発的に広がった。

 夏のジリジリとした熱気が一瞬でかき消え、肌を刺すような冷気が吹き荒れる。

 窓ガラスがピキリと鳴り、店内の空気が致死量の魔力で圧し潰されそうになる。


 ゼノンとルシウスを奪った兵士たちへ。

 その背後にいる王都へ。

 すべてを焼き尽くさんばかりの殺意が、ディアボロの中で暴れ出す。


 ディアボロの深紅の瞳が、一瞬だけアルフレッドの手元――まだ書類を握りしめたままの手を見た。兵士の襲来を予測し、自分を遠ざけてまで独りで盾になろうとした、不器用な男の手を。


「何故……何故、我に言わなかった!!」


 ディアボロが理性を飛ばしかけた、その時。


 ドンッ!!


 アルフレッドが踏み込み、黒炎を纏うディアボロの胸倉を、両手で力強く掴んだ。


「言ったらあんた、全部燃やすでしょう!!」


 アルフレッドの群青の瞳が、至近距離でディアボロの深紅の瞳を真っ向から射抜く。


「あいつらが命懸けで守ったこの店を、あんたの怒りで灰にするな」


 胸倉を掴むアルフレッドの手から伝わる、怒りのこもった確かな熱。


「……俺たちのやり方で、奪い返す」


 その言葉と手の熱に、ディアボロの暴走しかけていた魔力が、ギリギリのところで踏みとどまった。

 周囲を侵食していた漆黒の炎が、スッと収束していく。


 ディアボロは不敵に口角を上げ、胸倉を掴むアルフレッドの手に、自らの手を重ねた。


「その言葉、違えるな」


 重ねた手を振り払い、ディアボロは裏口へと踵を返す。


 二人が救出へ踏み出そうとした、その時。王都の異変を察知したエリアーナとリディアが、店へと駆け込んできた。


「待て! この区画は立ち入り禁止だぞ!」


 外で見張りをしていた王国軍の残党が慌てて追いかけてきて、入り口で一斉に槍を構えた。


「出て行け! 王国への反逆とみなすぞ!」


 指揮官が怒鳴り、店に踏み込もうとした瞬間。

 エリアーナが、首筋の亀裂を淡く発光させ、冷たい視線で軍を射抜いた。


 途端に、店内の空気が異常なほど乾燥し、兵士たちの構える槍の穂先が、見えないプレッシャーでミシミシと軋みを上げる。


「……静かに。師匠の『仕込み』の邪魔をしないで頂戴」


 リディアもまた、手元のシルバーフォークを指先で器用に弄びながら、黄金色の瞳を細めて笑った。


「今日はお肉の気分なの。早く行かないと、私が狩っちゃうわよ?」


 圧倒的な二人のプレッシャーに、兵士たちが恐怖でジリジリと後ずさり、道を空ける。頼もしい常連たちの強固な背中を背に、アルフレッドは魔鋼の包丁を逆手に握り、ディアボロは燕尾服の裾をバサリと翻した。


「行ってきます」


「……ふん。さっさと片付けるぞ」


 囚われたゼノンとルシウスを奪還するため、ディアボロとアルフレッドは夏の熱気が張り付く王都の中心へと、真っ直ぐに歩き出した。

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