第53話「祈りと代償」
勢い余って、崖から落ちてしまったみきぽん。
まきぽんは、必死に手を差し伸べるが……?
みきぽんは何かを掴もうと、必死にちいさな手を差し出した。
(間に合って——!!)
反射的に崖に這いつくばると、私も身を乗り出して思い切り手を差し伸べた。
ガシッ!
「……っ!」
間一髪のところで、指先が柔らかい感触をとらえた。
みきぽんの手首だ。
「みきぽん!!」
「おねーたん……!」
彼女の瞳には、涙と恐怖、そして私を信じる光が宿っていた。
だけど——。
「重っ……!」
足場の悪い崖っぷちで、みきぽんを片手だけで支え続けるのは、あまりにも無茶だった。
ザリ……ッ。
嫌な音がして、周囲の岩も崩れ始める。
「まきぽん!」
バルガンの大きな手が、私のローブをグッと掴んだ。
「その手、離すんじゃねーぞ!」
「う、うんっ!」
私は歯を食いしばる。
腕がちぎれそうなくらい痛いけど、ここで手を離したら......
その時。
《ほら……もう落ちるよ……》
バン・シーたちが、すすり泣きと、ニヤけた笑いを浮かべて、さらに近づいてきた。
《落ちていく妹を、見送ることしかできないおねーちゃん……
さぞかし、いい顔をするんだろうねぇ……?》
「黙れって言ってるでしょ!!」
私は片手でスマホを握りしめながら怒鳴った。
私たちの周りでは、コメントが凄まじい速度で流れている。
【いやこれ洒落にならんやつ】
【俺、もう手汗やばいんだけど】
【マジもんのクリフハンガー……】
「くっそ……!」
バルガンはさらに体を乗り出し、今度は私の腰ごとがっちり掴んでくれる。
そのバルガンの腕を、さらに後ろのノエルが必死に引っ張っていた。
【まきぽん、がんばれー!】
【絶対みきぽんの手を離すなよ!!】
「まきぽんちゃん、バルガンさん……頑張って!」
「おい、ノエル無理すんな! 足場が——」
ザリッ……ザザザッ……!
私たちの体は、少しずつ崖下へと滑っていく。
崖の表面に走っていたひびは、やがて大きな亀裂に変わっていった。
「バルガン、岩が!」
「わかってる……!」
ただでさえ細い道に負荷がかかっている。
岩肌に広がる亀裂が、どんどん大きくなっていくのがわかった。
《ああ……崩れていく……》
《落ちていく……》
《みんな、まとめて——》
《死んじゃうんだよ……》
バン・シーたちの泣き声は、どこかうっとりした響きさえ帯びている。
「……ちくしょうッ!」
バルガンが歯ぎしりするのが聞こえた。
《でも落ちるのよ》
《もうすぐよ》
《この高さから落ちたらね、あっという間——》
その瞬間。
ガラガラガラッ……!!
嫌な音を立てて、私たちの足場が、まとめて崩れ落ちた。
「——!?」
一瞬、重力が消える。
私も、バルガンも、ノエルも、みきぽんも。
崖の道ごと、空に放り出された。
「きゃああああああ!!」
私の悲鳴と、みきぽんの「おねーたーーん!!」という叫びが重なる。
【おいちょっと待てって!!】
【これが最後の配信でした、はマジでやめろおおお!!】
【運営なんとかしろ!】
風が激しく顔に叩きつけられる。
みきぽんを落とすまいと、私は本能的に強く胸に抱え込み、抱き締めた。
(いやいやいや、このままじゃマジで全員まとめてゲームオーバー……!)
下を見る勇気はない。
ただ、落下するときのどうしようもなく気持ち悪い感覚だけが、胃を鷲掴みにしてくる。
——その時だった。
「モリガンさま……!」
ノエルの声が、渓谷に響いた。
「お願い……!」
風の音が、不意に遠のく。
落ちているはずなのに、体が止まったように感じた。
世界から、音が消えた——。
。*❅┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈❅*。
「モリガンさま、助けて!!!!」
ぎゅっと目を瞑り、女神に祈りを捧げていたノエルは、ふと違和感を覚えた。
落下が止まっている。
(……え?)
ノエルは、そっと目を開けた。
さっきまで目の前で落ちていた岩のかけらも。
風にたなびいていたまきぽんのマントも。
姉の手をしっかりと握り返しているみきぽんも。
全てが微動だにせずに、空中に止まっていた。
「時……が、止まってる……?」
《私に祈りを捧げたのは、貴女ですか》
ノエルの耳に、低く、よく響く女の声が、どこからともなく聞こえてきた。
そして耳元に挿した黒い羽根からあふれ出した光が、目の前でひとつの姿を形作っていく。
闇夜のような長い髪。
高貴なルビーのような瞳。
黒い翼を背に広げ、血と戦の香りをまとった女戦士——。
「も、モリガンさま……」
ノエルは、目を見開いたまま息を呑んだ。
《真の祈りとは『取引』。代償なくして願いは叶わない》
女神は、冷たく淡々と告げる。
だが、それがケルトの世界での掟だ。
《ここで貴女が願うのは、
落ちゆく命を救うこと——それでいいですね?》
ノエルは、きゅっと唇を噛んだ。
「はい。私たちを……」
《代償は?》
冷徹な視線が、ノエルを射抜く。
「代償……」
さあっと、胸の奥が冷たくなる。
それが意味することは、自ずから理解できた。
ノエルは一瞬だけ目を伏せ、自分の胸元を見つめた。
(それはきっと、私の……命……)
怖い。
だが、迷っている時間はない。
(このままじゃ、全員死んでしまう)
怖い。
死ぬのは嫌だ、恐ろしい。
(でも、この世界を救えるのは、まきぽんちゃんとみきぽんちゃん。
私に、その力はない……)
怖い……。
ノエルはぎゅっと目を閉じると、覚悟を決めた。
そして目を開き、まっすぐに女神の瞳を見つめると、力強く宣言した。
「わかりました。代償を……私の命を捧げます!」
女神は、ノエルの耳元に飾られた羽根に、そっと指先を伸ばした。
どこか冷たい指先の感覚に、ノエルは下を向いて、ただ震えている。
《いい子ですね》
女神の唇がわずかに緩む。
《……その命、その歌声。
常若の国に来た時は、私の元で歌いなさい》
ノエルは、ハッとして顔を上げた。
《では——契約は成立です。貴女の望み、聞き届けました》
その言葉と同時に、女神は光の中に消え、代わりにノエルの背中から、黒い羽根が勢いよく生えてきた。
大きな翼が羽ばたき、周囲の空気を吹き散らす。
「な、何……!?」
ノエルが突然の展開に呆然としている間に——。
止まっていた世界に、再び色と音が戻ってきた。
。*❅┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈❅*。
「きゃああああああ!!」
吹き付ける風が一気に戻ってきて、耳をつんざくような悲鳴が重なる。
「大丈夫、つかまって!」
ノエルは、翼を大きくはためかせた。
「ノエル!?」
落下していたはずの身体が、ぐいっと持ち上げられた。
「えっ……!?」
見上げると、ノエルが私の腕をしっかり掴んでいる。
その背中には、黒い翼。
闇をまとったような大きな羽根が、朝焼けの光を反射して、神々しく輝いていた。
「みきぽんちゃんをしっかりつかんでいてね!」
「おねーたん!!」
私はみきぽんの体をギュッと抱きしめた。
ノエルはさらにもう片腕で、バルガンを引き寄せる。
「バルガンさん——!」
「お、おう!?」
重たい戦士の体を持ち上げるのはかなりきつそうだったけど、それでもノエルは歯を食いしばって耐えた。
「おいノエル!? 俺、重くねえか!?」
「……大丈夫、モリガンさまの加護があるもの!」
翼がさらに強く羽ばたくと、落下の勢いが徐々に弱まっていく。
「みんな、しっかり掴まってて!」
ノエルは元の岩壁の道に戻るべく、翼を操った。
バサッ——!!
「と、飛んでる!?」
下を見ると、地上が遥か彼方に見える。
「おそら、とんでまちー!」
そして程なく私たちは、ドスンと元いた道に着地した。
「いったぁ……!」
「ぐっ……! ……でも、みんな無事だな……?」
バルガンが、腰をさすりながら起き上がる。
私は、クラクラする頭を押さえながら、ノエルの方を見た。
「ノエル、これって……?」
「ええ……私も突然のことで、ビックリしてるわ……」
ノエルは少しふらつきながらも、立ち上がった。
背中の黒い翼は、まだかすかに光を帯びている。
朝日を受けて浮かび上がるその姿は、いつものほんわかとした吟遊詩人ではなく——
まるで、戦場を舞う黒き女神のようだった。
「……すご……」
思わず呟いた瞬間。
《……あら》
空中を漂っていたバン・シーの一体が、こちらを振りむいた。
《逃げても、死ぬ運命は変わらないのよ……》
《いずれ、皆——》
その言葉を遮るようにして。
「消えなさい」
ノエルが、静かに告げた。
その声は、さっきまでの優しい歌声とは違い、力強く揺るぎない響きを持っていた。
「この子たちは——あなたたちが望むようにはさせないわ」
黒い翼が、一際大きく広がる。
一瞬、ノエルの瞳が深い紅に染まったように見えた。
《……っ》
バン・シーたちの身体が、ビクリと震える。
《そ、それは……》
《戦場の女王の……》
《……ご命令……?》
ノエルは一歩前へ出て、ゆっくりと断崖の縁に立った。
「さまよう泣き女たち。
あなたたちの悲しみは、私が歌に変えて引き受けます」
風が、ノエルの髪とローブを揺らす。
「だから——今は、消えなさい」
その一言を合図に、バン・シーたちは、一斉に悲鳴とも溜息ともつかない声を上げた。
《ああ……》
《あああ……》
そして、彼女たちの体は霧となって、朝の光の中に溶けていった。
泣き声はピタリと止み、
崖に残った私たち四人の間を、乾いた風が吹き抜けた。
「ノエル……」
私は思わず、息を呑んで見つめた。
【今のノエルたん、マジで女神だった……】
【バン・シー、一喝で消え去ったんだが】
【黒翼生やして「消えなさい」は反則なんだわ】
「あら……あらら?」
ふと、ノエルが自分の耳元に手をやった。
「……羽が」
彼女の声が、動揺して震える。
耳元で揺れていた、リゼから預かった黒い羽根。
だがそれは、いつの間にか消えていた。
「ノエル……
モリガンさまの加護の印、持っていかれちゃったみたいだね」
「まさか……代償って、これ……」
ノエルはハッとして、胸に手を当てた。
命まで取ろうとしなかった女神の計らいに、瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
「ありがとうございます、モリガンさま……」
【リゼからもらった羽、なくなったんだな……】
【代償……ってやつか】
【でも、全員生存エンドなら大勝利だろ】
私は思わず、ノエルに抱きついた。
「ありがとう、ノエル。
本当に、ありがとう……!」
「ふふ……ちょっとだけ、かっこつけすぎちゃったかしら」
ノエルは照れたように笑って、私の背中をぽんぽんと叩いた。
背中の黒い翼が、かすかに震えて——
すうっと、光の中に消えていく。
「……あ」
「翼が……」
モリガンの加護である「黒翼」は、もう完全に消えてしまった。
けれど——。
「行きなさい、って言われた気がするわ」
ノエルは、朝日に照らされた雪山の向こうを見つめる。
「境界の聖域まで、しっかり歩いていきなさい、って」
【今回、マジで神回だった】
【代償つき加護とか、ケルトの世界観しっかりしてるの好き】
【ノエルたん……俺、一生推すぜ】
「……うん、行こう!」
崖の下から吹き上げる冷たい風の中で、私はスマホを握りしめ、力強く頷いた。
「絶対に、最後までみんなで一緒に行こう。
ノエルが守ってくれた、この命で——」
みきぽんが、大きな瞳で私を見上げてきた。
「みきぽん、おねーたんと、いっちょでち!」
「当たり前でしょ」
私はその小さな体をぎゅっと抱きしめた。
バルガンも、戦斧を肩に担ぎ直す。
「ノエルが命をかけてくれたもんを、無駄にするわけにはいかねえからな」
私たちは断崖に立ち、改めて顔を見合わせた。
女神の加護は失われた。
でも、その代わりに——。
私たちの「絆」は、前よりずっと深く結ばれた気がした。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
角笛団の絆はさらに深まり、いよいよ境界の聖域に向かいます。
次回も、お楽しみに——!




