死線の境
扉が、音もなく開く。
月明かりだけの薄暗い部屋に、人影が忍びこみ、ベッドの方へ一歩...そしてまた一歩と、少しずつ歩を進める。
暗いから見えにくいけど、美しく長い髪は確かにアイツの髪だ...と、彼女は思ったのかもしれない。
夕食時、包丁が一丁無くなっていたと、光織さんから聞いていた。
その包丁を彼女は懐から取り出し、両手で逆手に振り上げた。
窓からの明かりが、ほんの少し刃に反射する。
...そして興奮を抑えきれず、彼女は包丁をベッドに向かって思いっきり突き刺した。
赤い液が布団から漏れ出し、それが彼女の快感となって、更に何度も何度もベッドを突き刺す。
肉に突き刺さる触感、溢れる赤。
...だけど...何かがおかしい。
声一つあげないなんて、そんなこと...
それに骨に当たる感触も全くない......?
彼女は布団を捲り、そしてその瞬間───
パッと、電気の明かりが部屋を照らした。
「......っ!!」
優奈さんは、驚きで少し硬直する。
「いや~、ここまで私の計算通りに事が運ぶなんて思いませんでしたよ。
...ふふ、分かりやすい人なんですね、優奈さんって」
私はクローゼットから出て微笑みながら言った。
それを合図に、お姉ちゃんと美月さんが風呂場から出て来た。
「...か、華凛ちゃん...?これって
どういう事かなぁ?」
優奈さんの顔がひきつる。
「あれー、分かりませんでした?
優奈さんが楽しく夢を見られる様に、お膳立てをしてあげたのに...
優奈さんって意外と抜けてるんですね」
私は笑いながら言った。
朝食の後、お姉ちゃんと再びチェスで対局し、昨日以上に大敗を喫した優奈さんは、お互いの健闘を称えるハグだとか言って、お姉ちゃんに抱きついたのだが、その際お姉ちゃんがポケットに入れていたカードキーが、案の定失くなっていた。
「それなのに意外と手癖が悪いんだから、ビックリしちゃいますよね。
その袖口の辺りが緩めの服装も、スリをしやすくする為なんですか?
...もしかして、昨日のパーティーでも何か盗んでたりして」
優奈さんの瞳孔が一瞬拡大した後に縮小した。
図星だったか。
それに常習犯っぽいな。
そういえば、一時期何処かの大学で、盗難騒ぎが続いたとニュースで流れていた気がする。
「...さ、さあ?なんの事か分からないなー。
...っていうかさ、随分と悪趣味なんじゃない?こんな悪ふざけするなんて、ベッドが汚れちゃったじゃない」
こういう時のブロック肉とケチャップは、意外と効果覿面だなと思う。
お肉は後で私が美味しくいただくけどね。じゅるり。
「悪趣味も何も、優奈さんがそんな事しなかったら、あんなに汚れずに済みましたよね。
っていうか、ここってお姉ちゃんの部屋ですし、あれってどう考えても、お姉ちゃんが寝てる様にしか見えなかった様な......?」
因みに、髪は光織さんのウィッグを貸して貰い、それらしく見せた。なんで持って来てたのか、詳しい事は聞いてないけど。
「き、気のせいでしょ~。
私に華澄ちゃんを殺す気なんかないもん」
典型的なサイコパスらしい取り繕い方だなと思う。
「そうですか......
なんていうのは冗談で、優奈さんがわざわざ包丁を持って入って来た時点で、それは未必の故意ですし、包丁をああして突き刺した瞬間に、殺人未遂の現行犯...なんですけどね。
気付いて無かったかもしれませんけど、ほら、美月さんって刑事ですから...」
私がそう言うと
「やっほー、刑事でーす!」
と、美月さんが警察手帳片手に元気良く手を振り、優奈さんの顔が青ざめた。
「こっ...これは違うの華凛ちゃん!
私の意志とは無関係に、体が勝手に...!」
「ええ、分かりますよ。
多分、人を殺す夢を見たんですよね?」
「えっ?...ど、どうして......?」
「そんな事、どうして知っているのか...ですか?
ですから、先程も言ったでしょう。
貴方の事は手に取る様に分かるんです。
気持ち良かったし、楽しかったんですよね。
人の命を弄んで、壊す事が。
退屈な時間や、空虚だった自分を埋められる事が。
手癖が悪いのも、その一環でしょう?
でも、それが夢だと思ったら、物足りなくなった。
まるで、シリアルキラーの妄想みたいにね。
そして何より、自分を負かして恥をかかされたのが我慢出来なかった...
ふふっ、だって貴方は、自分がその場を影でコントロールする感覚が、自分の誇りであり、アイデンティティの様にさえ感じていたから。
...ですが、これで分かったでしょう?貴方は別に、大した事ないんだって」
私が急所を突くと、優奈さんが口を鳴らし、みるみる顔が険しくなった。
「うるせぇ...うるせぇんだよ!このクソガキが!!」
包丁を持った優奈さんが私に襲いかかる。
...が、お姉ちゃんのサイドキックが、もろに優奈さんの脇腹にヒットし、優奈さんが悶絶しながら包丁を落とす。
「...ゴホッ!ゴホッ!
...畜生っ!!ふざけやがって!!」
そう言って、痛みに喘ぎながらなお、優奈さんが今度はお姉ちゃんに掴みかかろうとした。
...と、その瞬間、美月さんが横から飛び出し、襲い掛かる優奈さんの勢いを利用し、払い腰で豪快に投げ飛ばす。
投げ飛ばされた勢いが強く、そのまま俯せに倒れた優奈さんの右腕を掴んだまま、美月さんは枕袈裟固めに移行した。
地面に叩きつけられた衝撃で、暫く動けなかった優奈さんが、固め技から逃れようと必死に暴れる。
「クソが!!離せ!!離せよ!!」
「ん~、優奈ちゃんさ、これ以上暴れると、公務執行妨害になっちゃうよ?」
美月さんがそう言うと、優奈さんが途端に静かになった。
「畜生...!畜生...!!」
優奈さんが延々と、悔しさを吐き出し続けていた。




