5.疑惑の岸辺
「ゲホッ、ゴボッ」
喉の奥まで雪崩れ込んでいた潮っぽい水を吐き出す。
喉が痛い。魔力のもたらす刺激とは違う、物理的な痛み。濡れた全身は冷えているのに、体内は石炭が燃えているかのように熱い。
何度も咳き込んでは、肺が酸素を求めて荒く息を吸う。皮肉なことに、ひりひりとした痛みが他にケガはしていないと告げていた。
「おーおー、元気しとうな」
軽く笑いを含んだ野太い声音が言った。
かたわらに座った男を見上げる。
他に三人がいた。一人は操縦席で舵輪を握っている。
俺は小型ボートに引き上げられていた。
乗っている四人は、全員が揃って赤と黒の片身替わりの着物を着ている。なんの冗談かと思うが、この色使いは間違いなく警察の実働部隊である鎮撫隊のはず。
制服のデザインは各地で違っていると聞いてはいたが、まさか着物を採用している地域があるとは夢にも思わなかった。
「助けて、いただ、き……ありがと、うございます……」
礼を言った声はしゃがれていた。叫び過ぎて枯れたのか、溺れて枯れたのか。自分でも分からない。
四人の鎮撫使は揃って笑った。なんでだよ。
「あんた、礼儀正しかなー」
「どっかケガはしとうか?」
イラつきを隠し、首を振る。これだから警察は嫌いなんだ。
まだ痛む肺で深呼吸をしながら周囲を見回した。
ずいぶん川下へ流されていた。二機の絡繰から三百メートルは離れた場所を船は走っていた。ポンポンポンと、リズミカルな焼玉エンジンの音が耳に心地いい。前方でも同程度の小型船が五、六隻、小気味よく音を重ねて走っていた。
すべて警察が乗っているのだろうか?
大公と戎華の姿は、最初に姿を見た橋の奥にあった。
大公は背中から太い白煙を立ち昇らせ、戎華と折り重なるようにして座っている。両岸の様子に変わりは見られず、街灯はすべて灯り、屋台街も無事に見えた。戻ってきた人々が影となり、岸辺を埋めている。
――無事だった……。
それを確認したことで、急に全身から力が抜けた。
大きく息を吐き出す。
手の震えが止まらない。肌の奥の気脈には痺れが残っている。
全力で自己発揮をしたあとは、いつもこうだ。高校で二階から落ちたときは、午後をまるまる保健室で過ごした。剣術の訓練から離れて何年も経つし、筋力すら衰えているだろう。なのに、あのとき以上の力を使った。
――このまま横になりたい……。
そんなこと出来るわけがないんだけど。
「あんた、あれを見とって川に落ちたとか?」
鎮撫使のひとりが、そう言って二機を視線で示した。
正直に言った方がいい。そう分かってはいても、言葉は喉に詰まって出てこなかった。
頭を抱え、深く息を吐き出す。鎮撫使は無理に聞き出そうとはしてこなかった。
大公と戎華へ向かう他の船とは違い、俺たちの乗った船は川岸へと向かった。
橋近くに設けられた船着き場。幅二メートル、長さ十メートルほどしかないが、ボートが接岸するには十分な広さだった。
ボートが係留されると、降りるよう促された。立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。よろけて後ろに倒れかけたところを力強い腕に引っ張られる。前のめりになって石畳の上に落ちた。
思い切り、両ひざを打った。骨を伝って痺れが頭まで走る。痛い。
「大丈夫か? 病院行った方が良かか?」
鎮撫使のひとりが、かたわらにしゃがんで聞いてきた。
恥ずかしさと疲れから、顔も上げられない。川沿いの道には人が溢れ、こちらを見ている気配がした。
川面を走った姿は何人に見られただろう。警察に通報されたら、なんの言い訳も出来ない。警察が交通整理する声が聞こえてくる。この体で逃げ出すとか無理、だよな。
人混みに紛れられれば……無駄なあがきが脳内を駆け巡る。
ざわつく観衆の言葉が降ってくる。俺のことを話している声も聞こえた。川に落ちた間抜けだ、と笑っている。それはそれで少し腹立たしい。
大きく息をつき、震える脚に力を込めて立ち上がった。ただ、それだけで軽く息が上がる。階段、上れるかな。
野次馬の目は気にしないようにして、階段を見上げた。
銀花灯の光の中、つなぎを来た人影が立っていた。
肩と袖は赤色をした、青いつなぎ服。あれは、確か。
「お前か!」
不意につなぎを着た男性が怒鳴った。後ろにいた別の男性が止めようと手を伸ばしたが、遅かった。男性は階段を一気に駆け下りてくると、拳を握って腕を引いた。
殴りかかってくる。
そう分かっても、逃げる気も、かわす気もなかった。すぐ隣に立っていた鎮撫使が、俺より早く反応したのが視界の隅で見て取れたからだ。
鎮撫使は簡単に男性の手首を捉えると、無造作に後ろへと捻り上げた。
「っ! 放せよ! 俺じゃなくて、そいつを捕まえろ!」
騒ぎ、叫ぶ言葉は苑廷のイントネーションだった。つなぎの胸元には大公に施されていたのと同じ社章が刺繍されている。やっぱり、オンカン社の人間か。
慌てて、もうひとりも階段を降りてきた。
「すみません。申し訳ない。放してやってもらえませんか」
髪に白いものが混じった男性は、オロオロとした様子で若い男性を捕えている鎮撫使に頼んだ。
「私たちは、ただ、その人に話を聞きたいだけで」
その一言で警察の目も、野次馬の視線もすべて俺に向いた。誰を見ていいのかも分からず、力の入らない手で拳を握った。
「こん人がなんな?」
「話を聞いてきたんです。その人が……」
「ウチの大公をぶっ壊した張本人だよ!」
若い男の叫びが、心臓を貫いた。
周囲が一気にざわつく。鎮撫使の目が疑うような色を帯びた。
「あんた、こん人の言うとうとは本当か?」
そんな直球で聞かれても答えようがない。
なにをもって壊したと言っているのか。
そもそも大公と戎華の争いは、なんだったのか。
そこを明確にしてもらわないと、俺の行為が正当なものであったのか判断できない。出来ない以上、警察の前で下手なことは言えない。
「黙ってるのが証拠だ!」
――なんの証拠だよ。
「まあ、とりあえず場所ば移そうか」
別の鎮撫使が俺の肩に手を置いた。筋肉質な腕はズシリと重く、かろうじて立っていた体がよろめいた。肩を掴んだ鎮撫使に支えられる。
「すみま、せん」
「あんた、溺れただけにしては疲れとうな」
探りを入れるような口調に思わずタメ息がこぼれ、顔が強張る。
「訴えてやるからな! 証拠は、すべて大公に残ってるんだ!」
「はいはい。良か良か、あとは署でしんしゃい」
若い男の腕を掴んだまま鎮撫使は言い、男の向きを強引に変えた。悲鳴が上がるがお構いなしに階段へと押しやる。
俺も手すりに掴まり、鎮撫使に半ば抱えられるようにして、ようやく階段を登った。一段一段の足が重く、登りついたときには呼吸が乱れていた。
橋の上には規制線が張られ、四車線のひとつは警察と数台の車両で塞がっていた。一緒に来た鎮撫使のひとりが、上にいた鎮撫使と話をする。
その間、ぼんやりと停車した小型バスを眺めた。
後部に蒸気機関、天井に水タンクを備えた標準的なタイプ。見た目は、どこかレトロさを感じるデザインだけど。
視線を動かすと、バスの乗り口のかたわらに立つ男性と目が合った。三十過ぎぐらい。整った顔立ちと百八十を超えている身長のせいか、規制線ギリギリにいる野次馬の女性たちが熱っぽい視線を向けていた。
体格がよく、隙のない立ち姿だったが警官の雰囲気ではない。仕立てのいいスーツを着ているし、オンカン社の人間だろうか?
値踏みしてくるような視線が落ち着かない。
男性との間に入るようにして、五十代ぐらいの鎮撫使が近づいてきた。
「あんたさんね? あん絡繰ば止めた、ちいうとは」
鎮撫使にしては物腰の柔らかい口調。
「……誰に聞かれたんですか?」
さっきオンカン社の初老の男性も口にしていた。話を聞いてきた、と。観衆の目撃談なら誤魔化せやしないだろうか。無駄だと分かっているのに、ついそんな考えを抱いてしまう。
「ユグフドに乗っとった操縦士ばい」
なら、駄目か。諦めが広がる一方、操縦士の無事を確認出来てホッとした。
「止めた……というか、対処しただけ、というか」
どう言えば誤解なく、影響を最小限に留められるか言葉を探しながら口にする。
「ド素人が、なにが対処だ!」
オンカン社の若い男が怒鳴った。鎮撫使に押さえられているから向かってくることはないが、憎悪のこもった眼差しにたじろいだ。
「操縦士ん話じゃ、あんたさん素人には見えんかったらしかな?」
濡れた服が肌にまとわりつく感触が、不意に気になった。
「……技師、ですので。一応」
「魔導技師?」
「……はい」
小さく、かすれたような返事。鼓動は速まっているのに、体が熱を帯びることはない。逆に指先が冷えていくような感覚を覚えた。
「魔法使いがヒーロー気取ってんじゃねぇぞ!」
心臓が強く打ち、痛みが走った。
人々の間に、その言葉が広がっていく。その言葉だけが耳に届く。
腹の底に開いた穴に、感情が落ちていく。




