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4.蒸気に急く

 石で補強された岸壁を滑り降り、水面に入る直前で石壁を蹴る。足裏に魔力を集中させて川面に着地すると、そのまま二機へ向けて走った。

 大公に近づくにつれ、肌の焼ける感覚が強まっていった。排煙と排気に目と喉も痛む。ズボンのポケットからハンカチを取り出すと、顔に巻いて鼻から口を覆う。そして、全身に冷気の風をまとわせた。


 ――煙と熱は遮断できた。あとは、どうする?

 大公の燃料は液体ガスを注入する仕様だ。どれほど残っているか分からないが、燃料を抜くのは難しい。なら、火を消す?

 かつて見た大公の設計図を思い出す。

 構造そのものは、他の蒸気機関と変わらなかった。火種の位置さえ把握できれば。


 そう思ったが、探査のために飛ばした魔力は、大公の外装に触れた途端、ことごとく霧散した。舌打ちする。

 これだけ無理をしているのに防御のための術は正常に機能している。魔力干渉は拒絶され、魔導術で外部からコントロールするのは、やはり難しそうだった。


 そもそも、これだけ膨れ上がった熱を俺の力で御せるのか? 悠長に術式を組成し、式譜を書いている暇はない。って、式譜は湊に預けたトートに入れていたんだった。

 湊たちに意識が飛びそうになるのを引き戻す。


 ――とにかく操縦士を逃がさないと。

 二機の足元までくると戎華の腰からよじ登る。胸部にある操縦席の口は開きっぱなしになっていた。


 狭い出入り口から内部に入り、見回す。操縦席は二つあり、操作盤は前方の席に集中していた。腕の操縦は、通常の操縦桿と疑似腕の二種があった。

 腕に装着し、操縦士の動きに連動させて絡繰を操作する機構だ。大公のものより簡易に見えるから、補助使用程度なのだろう。疑似腕の方は後方の席にも備え付けられていた。


 動かせるか、手を伸ばして触ってみる。しかし、しっかりと固定され、動かせる感じはなかった。操作盤にも操作表示がないから下手に触ることも出来ない。

 蒸気機関を止めるしかない。

 外へ顔を出し、大公に向かって叫んだ。


「機関を停止します! 転倒しないよう気をつけてください!」


 拡声はしたが届いただろうか。警笛と排気と機構の発する轟音に邪魔され、自分ですらろくに聞こえなかった。

 けど、迷っている間はない。


 中に戻ると腕を伸ばし、操作盤の隅にある金属カバーを開けた。中には他とは違う、真っ赤に塗られたボタンがある。ベタだと思っていたが一目瞭然。共通仕様の有難さは緊急時に実感する。

 ボタンを強く押し込むと、表面に朱色で施されていた術式が光を放つ。非適性者には見えない、魔力の発する輝き。同時に肌を貫くような刺激が走った。

 低く早く唸りを上げていた機関の音が、ゆっくりと静まっていく。宙を抱くように固定されていた疑似腕が、だらりと力を失った。


 ホッとしたのも束の間。戎華が大きく傾いだ。滑り落ちないよう壁に掴まり、首だけを回して外を見る。大公が戎華の腕をほどき、体勢を整えようとしていた。

 このまま大公が安全な場所まで移動出来たら……。


 いいと思ったのに、大公の右腕が大きく震え出した。震えは戎華まで伝わり、危うく外へ投げ出されそうになる。

 駄目だ。移動なんて呑気なことを言っている場合じゃない。


 震える右腕を大公は離し、片腕で戎華の機体を支えた。右腕は、すぐに芯を抜いたようにだらりと垂れ下がる。戎華に伝わっていた揺れが治まり、俺も体制を整え直した。

 まだ戎華の蒸気機関は冷えておらず、バランスを崩せば蒸気爆発を起こしかねない。

 ――大公の操縦士は、それが分かっているから避難しないのか?

 けど、それだと大公が持たない。


 全身を包む冷気を強くする。息を吸うと肺が凍えて痛いほどになった。だが冷気を緩めず外へ出ると、戎華を支える大公の左腕に飛びついた。



 蒸気管を避けてよじ登ると、バランスを取って腕の上を走る。関節から放出される蒸気と冷気が混ざり合い、熱い雫となって髪も肌も服も濡らした。

 心臓が早鐘を打ち、全身を血が駆け巡る。そこに外から取り込んだ魔力を流し、太く強く膨らませていく。


 大公の肩から胸元へと下る。エンボス加工で施されたオンカン社の社章が、ちょうどいい足場となった。大公のデザインで、ここだけはダサいと思っていたが、いまはなによりの助けだった。

 外から操作し入り口は開けられるはずだが、のんきに探している間はない。


「開けます!」


 中に向けて怒鳴ると、周囲の水分を寄り集めて刀を形作った。それを高速で循環させると、刃の部分から魔力を抜いて大公の胸部に突き刺した。

 大きな抵抗はなかった。深く突き刺し過ぎないよう、気を付けながら社章の縁に合わせてぐるり巡らせていく。

 半円を切ったところで前方に傾いてきた。慌てて水刀を払って身を引いたが、扉は中途半端に傾いたまま落ちては行かない。


 中心の接合部か。

 もう一度、水刀を作ると、真ん中から縦に切った。

 引き留めるものがなくなった扉は、重々しい音を響かせ、ここに届くほどの派手なしぶきを上げて着水した。


「大丈……」


 搭乗口から内部に入りかけ、ギョッとした。真っ暗な上、サウナのような熱気で満たされていた。背後からの街灯りで、かろうじて人影が分かる程度。

 こんな中で操縦していたのかよ。

 苦悶のような排気音で我に返った。


「機関を停止出来ますか? 緊急停止ボタンの位置は?」


 声をかけると、操縦士は強く首を振った。

 外からパイプの弾ける音がし、機体が揺れた。魔力の冷気ではない寒気が全身を蝕む。


 浅くなる息を吐き出し、深く吸う。魔力を含んだ熱い空気が肺に満たされた。それを体内に巡らせ、力とする。周囲の熱性を冷性に転換し、操縦席の内部を冷やした。

 首筋を流れる汗とも水滴ともしれない雫を拭い、辺りを見回す。


 大公の操縦方法は、戎華や他の絡繰とは異なっている。緊急停止ボタンを探すより、ボイラーに直接働きかけた方が確実だ。

 水刀で切った入り口の切断面から機構が覗いているのが見えた。隙間に手を差し入れ、魔力を通す。抵抗はなく、するりと入って行くのを感じた。

 ――よし、いけるな!


「ボイラーを破ります! 大公の姿勢を固定してください!」


 操縦士は一瞬、迷ったような気配を見せたが、すぐに疑似腕、疑似脚のついた手足を動かした。操縦士の動きに合わせて、大公もゆっくりと膝をついた。そして抱きかかえるように戎華へ腕を回す。

 操縦士に脱出を促そうとしたが、再び破裂音が響いた。待っている暇はない。爆発に絶えられるだけの安全性能があると聞いた話を信じる他なかった。


「衝撃に備えてください!」


 切断面に触れた手に神経を集中する。大公に使われている魔力を集めながら、ボイラーへ……。


「はぁ?」


 思わず間の抜けた声が漏れた。

 整然と施されているはずの魔力が、破断、断絶、途絶していた。内部の術式が破断している。物理的な損傷だけで、ここまで崩れるはずがない。戎華が、なにかしたのか?

 いや。いまは考えている場合じゃない。


 バラバラになった魔力を集め、ボイラーへと送り込む。

 ボイラー内部は火と蒸気の生み出す魔力が暴れ回っていた。

 煮え滾る火性の魔力。膨張した水性と、それを取り巻く風性。

 魔力を通じてさえ火傷しそうな熱量。それらを消滅しそうな金性の内側で渦を巻かせる。


「くっ」


 全身に痺れが走り、魔力が散った。乱れ、暴れ、荒れ狂い、抗ってくる。

 案の定、俺の力じゃ制御し切れない。

 中途半端なままでいけるか? 爆発の衝撃は屋台街まで届かないか?

 被害の程度を想像すると、しなければならない一歩を踏み出せない。


 肩に、なにかが触れた。グッと掴まれる熱を帯びた感覚に、操縦士が手を触れたのだと分かった。濡れたTシャツ越しにも伝わってくる熱さ。操縦士の体調が心配になるほど……。


「っ!」


 掴まれた肩から大量の魔力が流れ込んできた。それも気脈が焼け爛れそうなぐらい極熱の火性。

 俺の魔力と混ざり合い、肩から腕を抜けると一瞬でボイラーに到達した。力強い魔力は千々に乱れていたボイラー内の魔力を御し、いまにも弾けそうだった蒸気を固く圧縮した。


 一瞬、このまま彼に任せるのがいいのではないか、と思う。しかし、肩を掴む手は震え、息遣いも荒い。大公だけじゃなく、操縦士も、いつ限界を迎えてもおかしくなかった。

 急いで金性を捉え、ボイラーの一番弱くなった箇所を探した。


「破ります! 三、二、一!」


 脆くなった箇所に蒸気から集めた水分をぶつけ、急激に冷やす。そこに渦を巻いた蒸気が吸い込まれるように衝突した。


 爆音と共に大公が激しく揺れ、戎華と何度もぶつかった。排出される蒸気の音と金属の強くぶつかる音、警笛、機構の軋む音。音に潰されそうな錯覚を覚えた。

 かろうじてかけていた足場から足が滑り、手も離れる。


 ふっ、と体が宙に浮いた。


 二機の絡繰の合間から漏れた光の一部が、波立つ水面を輝かせていた。

 膝をついた大公の胸元から水面までは三メートルほどしかない。水深は浅く、このまま落ちれば間違いなく危険だった。

 そんな思考が、ごくわずかな間に脳裏を巡った。


 高校生の頃、無駄な騒ぎの中、二階から落ちるはめになったときのことが思い出された。あのときも、こんな風に時間が引き伸ばされたような感覚になり、突発的に力を使った。


 着地の瞬間、空気を圧出しクッションを作る。空気の層が水を押し出し、川底を露出させた。泥のような砂地。ぺちゃりとした泥の感触を手が感じた。

 全身が心臓になったような気分。手足が震え、浅く息を繰り返した。


「あっ!」


 頭上から声が響いてきた。

 反射的に見上げる。姿を確認する前に空気に押し出されていた川の水が、怒涛となって襲ってきた。

 飲み込まれ、揉まれ、流された。

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