2.闇に蠢く
釈然としない気持ちで湊の手から逃れようと腕を引くが、頑固に握っていて放そうとしない。諦めて屋台の人波へ視線を向ける。
空港や駅でも感じたが、ずいぶん多く着物姿の人がいた。お洒落で着ているというより、気楽な普段着の様子。思ってもいないところが違うのだな、と顔を巡らせていると、赤提灯のかたわらに立つ人と目が合った。向こうも気づき、照れくさそうな顔をして近づいてきた。
「いつからいたんですか?」
いま着いたわけでもなさそうな様子に戸惑って尋ねる。佐飛さんはメガネの下の鼻を搔きながら、恥ずかしそうに笑い答えた。
「いやー、ちょびっと前? なんや二人の雰囲気がよかったで、邪魔せん方がええかと思って」
どこをどう見て雰囲気がいいと思ったんだ。
「誤解なんで、そんな気を使う必要はまったくありませんよ」
「そうですたい。イサさんは親友やけん、いっつも雰囲気はよかと。なーんも気にすることはなかですよ」
二人して言うが佐飛さんは無言のまま、視線をつと下に向けた。
――ああ……。
掴まれたままだった手を引っ張る。湊の手は離れない。
「いい加減、放せよ」
「イサさんの迷子にならんごと、繋いどうとやろ。イサさんは、すぐバーッち行くけんね」
「俺は犬かよ」
「犬は呼んだら戻ってくるばってん、イサさんは戻らんやん」
――こいつは。
相変わらず口の減らない。
佐飛さんは感心したように笑う。
「廷都にも、イサくんみたいにおもろい人おるんやなぁ」
「えっ? いや、俺は普通でしょ?」
「まー、すごかね! イサさん。京畿ん人に面白かー、ち言われたばい」
手を離したのはいいが、湊は人の腕をバシバシ叩く。この癖も、まだ治ってないのか。痛い。
佐飛さんは笑っている。これが西国の冗談なのか? 本気で言っているのか区別がつかず、なんとも言えない気分になった。
もういいや。面倒くさい。
「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」
投げやりに言う。
湊は不満そうな、佐飛さんは残念そうな顔を揃って見せた。子供か。
「明日、早いんですよ?」
「ほやけど……」
ふわりと吹き寄せた生ぬるい風に、ピクリと肌が反応した。
ピリピリとした痺れ――魔力の気配が混ざっていた。
佐飛さんも眉間に皺を寄せて辺りを見回すと、顔を川下の方へと向けた。
「なんの気配でしょうか?」
「分からん。けど……なんや近づいて来とる」
佐飛さんは、そこまで分かるのか。
俺は風の中に混ざる魔力の気配をギリギリ探知できる程度だ。けど、探知の苦手な俺でも分かるぐらい、魔力が溢れている。普通の絡繰では、そんな無駄なことはしない。
「どげんしたと?」
きょとんとした顔で聞いてきた湊に聞き返す。
「遡航する便って、この時間でもあるのか?」
「なかよ。客船も貨物も、夜の運行は八時台が最終やけんね」
湊の返事を聞き終える前に振り返り、手すりから身を乗り出して川下を見やった。
ほとんどの建物から明かりは消え、川面を照らしているのは両岸に並ぶ街灯ぐらいだ。ガス灯と銀花灯が半々。ガス灯の柔らかなオレンジ色をした光が水面を赤く染め、銀花灯の白く強い光がさざ波を煌めかせている。
交互に存在する赤みを帯びた薄闇と、明瞭な光の奥に見えるのは中洲と対岸を繋ぐ橋。そこから先は見通せない。
「なんがあるとー?」
湊も俺の前に回り込んで来ると、背伸びして川下を見やる。後ろに佐飛さんが来た気配もあった。
「まだ近づいてきてますか?」
「あっ」
佐飛さんより早く、湊が声を上げた。俺の腕を叩きながら橋を指差す。
「なんかおるばい!」
湊の指差した場所に目を凝らした。
橋の下。ガス灯の光も銀花灯の光も届き切らない薄闇の中、かすかに蠢く塊があった。
水面から橋桁まで六メートル前後だろうか。その半分以上が影で覆われ、水深にもよるが五メートルはありそうな存在に見えた。
周囲の人たちも気づき、柵に集まり出した。おかげで人の頭に隠れて見通しが悪くなった。身を乗り出して、かろうじて水しぶきが高々と上がったのが見えた。
どよめきが起こる。
銀花灯の光に照らされた水しぶきが光の粒となって輝く。
蒸気を染めた赤い闇の中から飛び出してきたのは、見覚えのある機体だった。
「大公!」
「戎華!」
背後からの声に振り返る。佐飛さんも驚いた顔をしていた。
「戎華って京畿の?」
「ほや。じゃあ、あれが苑廷のユグフド?」
「ええ」
なにがどうなっているのか。
混乱したまま川の只中で争う二機に視線を戻した。
二機の人型機乗絡繰は両腕を掴み合い、互いに押さえ込もうとしている。だが戎華は、阿修羅を思わせる四本の腕を持つ。残りの腕で兜をかぶったような大公の顔を鷲掴みにすると、肘から蒸気を噴出した。
戎華は大公の頭を押さえながら押し込む。ギリッと金属が強くこすれ合う嫌な音が、人々のざわめきを抜けて聞こえてきた。
大公は逃れようとしているが、腕を押さえ込まれ引きはがせない。
甲高い警報の汽笛が鳴り響く。多くの人たちが顔をしかめて耳を塞いだ。
不意に大公が後ろではなく、前へ右足を一歩踏み込んだ。そのまま押し返すのかと思ったが、上げた足を戎華の脛に引っ掛け、外側へと払った。
足をすくわれた戎華のバランスが崩れる。
大公を掴む戎華の手が緩んだ。
すかさず大公は戎華を突き飛ばし、後退する。そのまま川下へと視線を向けたが、体は川上へと動いた。足がもつれ、四肢をつく。
人々の悲鳴と水しぶきが派手に上がり、地面を伝って軽い振動を感じた。
――いま……。
違和感に胸がざわつく。
大公は全長五メートル、重量八トンを超える。戎華も大公に劣らぬ体躯だ。あんなものが、もし、こちらへ来たら。
「……離れた方がいい」
見入っていた湊の肩を引き、言った。
「えー? せっかくなんに」
「なにが、せっかくなんだよ?」
「あれ、きっと港から来たったい。今日は」
湊はハッと手で口を押えて、辺りを見回した。背後にも大勢の人が集まっていた。みんな、二機の絡繰の動きに集中している。それでも湊は口をつぐみ、大公と戎華へ視線を戻した。
聞き返す前に、佐飛さんが心配そうな面持ちで言ってきた。
「いまの動き、なんやおかしかったな」
「ですよね。大公は移動の一部を自動制御してるんです。そこに不具合が生じているのかも」
「自動制御! え、どんな仕組みになってるん?」
答えようとしたが、佐飛さんと技術談義をしている間もなかった。
大公は素早く立ち上がると、飛びかかってきた戎華をかわした。
そのまま半身となって構える。絡繰でありながら隙のない構え。しかし、戎華は正面から突っ込んでいった。
大公は戎華の腕を取ると、流れるような動きで戎華の顎を打ち上げる。戎華の機体がわずかに持ち上がり、巻き込まれた水面が跳ねた。
今度は完全にバランスを崩し、背中から落ちていく。
ゾッと背筋が凍った。
――機関が……!
湊の腕を掴み、引き寄せる。
大公は戎華の腕を離さず、前へ引くと同時に体勢を変えて脇へ回り込んだ。そして、右腕を戎華の腰に回し、足を引っ掛け、跳ね上げる。
戎華は排気で軌道を描きながら、前方へと投げ出された。
盛大な水しぶきが上がり、白く赤い無数の水滴がショーを彩るイルミネーションのようにきらめいた。
「掛け投げたい!」
誰かが叫ぶ。喝采と、拍手まで鳴り響いた。
なんて呑気な。
「もー、なんばすると!」
迷惑そうに湊が俺の胸を打ってきた。
「いまの見ただろ? あれで戎華が後ろに倒れてたら、爆発の危険があったんだぞ」
湊は目を丸くして二機を見やる。そうしながら手は俺のTシャツを握り締めていた。
「警察、呼ばないと。湊、一番近い交番は分かるか?」
「すぐ先にあるばってん……みんな置いていったらいかんやろ」
湊は心配そうな面持ちで周囲を見回す。観衆の中には、その場から離れる人たちもいたが、ほとんどは川べりに集まり、二機の争いを観戦していた。
群衆が一斉に避難を始めるだけでも、ケガ人が出そうだ。
だからと言って放っておけば、万が一の場合は死人まで出かねない。
Tシャツを掴んでいた湊の手を取り、肩にかけていたトートバッグと傘を渡す。
「湊は佐飛さんと交番に。俺は避難を呼びかけておくから」
「えっ。いや、俺も手伝うざ。二人の方がいいやろ?」
「湊じゃ大公たちの説明は出来ないから、一緒に行ってください。湊、今度は佐飛さんとはぐれないように行けよ?」
「分かっとうばい。イサさんも無理したらいかんけんね!」
そう言うと湊は佐飛さんの腕を取り、人垣に分け入った。佐飛さんはなにか言いかけたが、すぐ人波に埋もれ見えなくなった。




