『包帯の海!?そこへ颯爽と現れたのは、泣き虫救世主!』
カチャリ、と白衣のポケットから上質な銀の懐中時計を取り出し、パカッと蓋を開く。
磨かれた大理石のように白い指先で時計を支え、白はルビーのような赤い瞳で厳格に文字盤を睨んだ。ふぅ、と小さく息を吐いて蓋を閉じる。
「回診でーす。回診の時間ですよー」
間延びした声で「回診、回診」と言いながら廊下を歩く白と、それに続いてキイキイと音を立てる回診用のワゴンを、どこか誇らしげに押すアリス。
「アリスくん。符牒通り、スケジュールより15秒早く到着しました。見事な時間管理です」
「フンス! 名探偵(兼ナース)たるもの、白先生のタイムスケジュールについていくのは朝飯前よ!」
ナイチンゲールの画期的な提案により、広い窓を取り入れた結果、採光は十分すぎるほどに明るい。
白は真っ白な睫毛を伏せ、そのまばゆい陽の光に少しだけ瞳を眩しそうに細めながら、窓の外を見やった。
薄ぼんやりとした陽の光に照らされてキラキラと輝くテムズ川と、その川向うに金色に輝く時計塔が映える。
「はい、それではまずは、この部屋から回診していきましょうか。アリスくん」
「は、はいっ!」
回頭しようと、ワゴンを少し傾けたところ。
「はれっ、はれれっ!?」
ガシャーーンッ!!
――バラバラバラッ
無情にもワゴンの上の木箱が滑り落ち、中に入っていた数十個のロール包帯が、廊下へ一斉に転がりだした。
白い帯が新体操のリボンのように綺麗な曲線を描きながら、ピカピカの床をバラーッ、とどこまでも拡がっていく。
「わあぁぁ! ごめんなさい白先生! 廊下が包帯の海になっちゃった!」
アリスは頭を抱えておろおろと足元を見つめる。
白は呆然と包帯の絨毯を見つめていたが、ハッと我に返ると、大慌てで白衣のポケットから銀の懐中時計をひったくるように取り出した。パカッと蓋を開け、ルビーのような赤い瞳で激しく文字盤を睨みつける。
「じ、自分で言うのもなんですが……これほど見事な包帯の絨毯は、私の短い医師人生でも初めて見ました! ですが殿下、感心している時間はありません! ナイチンゲール代表の次の巡回スケジュールまで、あと3分と15秒しかありませんよ! 早く回収しないと、今度こそ二人まとめて大目玉です!」
白が珍しく慌てた様子で、白衣の裾を揺らして包帯を拾おうとした、その時。
廊下の向こうから転がってきた包帯の『端っこ』の前に、ナース服の裾を揺らして、アリスたちよりも明らかにスタイルの良い年上の女性がしゃがみ込み、その白い手で優しく受け止めた。
「――もう! だから言ったのにぃ〜! 王女殿下がナース服なんて着てコソコソしてるから、絶対に何かやらかすと思ってましたぁ〜!」
アリスと白がハッと顔を上げると、そこには2人と同じナース服をその豊満な体でいささかはち切れんばかりに着こなした少女(?)――ミス・マーチが、両目に涙をいっぱいに溜めて立っていた。
何より奇妙なのは、その頭に被った白いナースキャップの左右から、行き場をなくした2本の大きなウサギ耳が、ペコンと折れ曲がった状態で無理やり飛び出していることだった。
「マーちゃん!? なんでここにいるの!?」
「アリスちゃん(リデル)の命令ですぅ! 『――いい? ミス・マーチ』」
マーチ・ヘアはそこで急に涙目を引っ込めると、すっと感情の消えたジト目になり、驚くほど低く冷徹なトーンへと声色をガラリと変えてみせた。部屋に残っている『あっちのアリス』の喋り方の、完璧な模写だ。
『――どうせあの青いのが、病院で絶対に派手なやらかしをするに決まっているよ。だから貴女もナースに変装して、現地での回収の手伝いと監視をしてきなさい。……お茶をこぼしたら承知しないからね』
「――って、ものすっごい冷たい目で言われたんですぅ! だからアタシ、血とか苦手なのに無理やりナースキャップにお耳をギチギチに詰め込んで、ここまで走ってきたんですよぉぉ!」
「うわ、アーちゃんの真似そっくり! 怒ってる顔が目に浮かぶわ!」
マーチ・ヘアの迫真の物まねに、アリスは冷や汗を流す。
「ふふっ、どこにも、怖い上司がいるのだね。ほら、私たちも、これを片付けないと怖い上司に睨まれますよ」
白は、この病院を支配するボスを思い浮かべ、苦笑いした。
「ふえっ!?こ、ここにもアリスちゃん(リデル)みたいな子がいるんですかぁ!?そ、それなら急いで片付けないと駄目じゃないですかぁ」
ミス・マーチ――マーチ・ヘアは、ぶつぶつと文句を言いながらも、その豊満な胸を揺らし、驚くべき手際の良さで、拡がった包帯をシュルシュルシュルッ!と綺麗なロール状に巻き戻し始めた。
「自分で言うのもなんですが……」
その光景を呆然と見ていた白が、ぽつり、と呟く。
「そのお耳の長いナースの方、私よりも包帯を巻くのが上手ですよ、アリスさん」
*
「ふぅ……! どうにか『ボス』に見つからずに済みましたぁ……」
マーチ・ヘアがはち切れんばかりのナース服の胸をなでおろし、ようやくいつもの涙目に戻ってワゴンのフチに手をついた。
白はカチャリと銀の懐中時計をポケットから取り出し、パカッと蓋を開けてルビーのような赤い瞳を落とした。チクタクと刻まれる秒針を確認し、小さく安堵の息を吐いてパチンと蓋を閉じる。
「ミス・マーチの見事な手際のおかげで、ボスの巡回前に片付きましたね。……スケジュールは少し遅れ気味ですが、次の回診の時間を詰めれば、十分に遅れを取り戻せる範囲です」
「マーちゃん、本当に助かったわ! やっぱり《ヴォーパル・バニー》にあなたが必要ね!」
アリスがニカッと太陽のような笑顔でお礼を言うと、マーチは「もう、人使いが荒いんですからぁ……」と嬉しそうにウサギ耳をパタパタと揺らした。
そんな2人のやり取りを見届け、廊下に誰もいないことを確認すると、白はちんまりとした白衣のポケットに両手を入れ、すっと真面目なプロの医師――そして交渉人の顔に戻ってアリスを見つめた。
「そうそう。アリスさん。お片付けが終わったところで、一つ『名探偵』へのご提案なのですが」
「なにかしら、白先生?」
お忍びの符牒を思い出し、アリスが少し声を潜めて首を傾げる。
「もし可能でしたら、夏目殿が逮捕されるきっかけとなった証拠の木札について、私のほうでも見られるよう、手配できませんかねぇ?」
白の切れ長の瞳が、鋭く光った。
「ヤードが本物と信じ込んでいるあの木札ですが、私や輝夜様が見れば、それが東国の人間が書いた本物か、あるいは文字の形を真似ただけの『偽物』か、一発で判別がつきます。もし偽物だと証明できれば、ヤードの誤認逮捕をひっくり返す、最大のパズルのピースになりますよ」
白の理知的な言葉に、アリスは「それだわ……!」と青い瞳を輝かせた。
病院のインサイド(内側)だけでなく、ヤードが持つ証拠を引っ返すアウトサイド(外側)の捜査――新たなミッションの幕開けだ。
「分かったわ、白先生! ……ねぇ、マーちゃん。アジトに戻ったら、すぐにアーちゃんとピーターにこのことを伝えて! ヤードに保管されている『ナツメドノの木札の情報』を、外から探ってもらうように頼んでちょうだい!」
「ひええっ、アタシもう次のパブ潜入の任務に行かなきゃいけないのに、伝言係までですかぁ〜!?」
マーチ・ヘアは、頭の大きなウサギ耳をへにょん。と情けなく垂らしながら、これ以上ないほど不満そうな悲鳴を上げるのだった。
そんな賑やかな秘密を乗せて、真鍮のワゴンは再び、労働者たちの待つ病室へとガラガラと動き出すのだった。
ヒンヒンと泣き言ばかり言ってるマーチ・ヘアですが、こういう長所もあるよ!という思いで書きました。
……後付け設定です。
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